地元ながら、今までで参拝したことがなかった神社を参拝してきました。
白瀧神社といいます。

神社の説明の前に、桐生織物について少しだけ。
奈良時代に絹織物を朝廷に献上した記録が、最古とのこと。
その後、桓武天皇の時代、郡役として御所に来ていた、山田の某(桐生は山田郡のため)という若者が白瀧姫に恋をして、そのことが帝の知るところとなり、御前での歌合わせで勝てば結婚を許されることとなった。
白瀧姫の歌
照り続き 山田の稲の枯れはてて 何を種とて命つくらん
山田の某の歌
照り続き 山田の稲のこかれなば 落ちてたすけよ 白瀧の水
和歌の素養があった山田の某の見事な返歌に、帝は結婚を許したという。
山田の某は姫を賜り、ふるさとに戻った。
姫は、山田の某のふるさとの山が京の小倉山に似ていると言い、その地は仁田山郷と呼ばれるようになった。
仁田山郷への峠は小倉峠と呼ばれた。
姫は、機織りを村人に教え、織物がさらに盛んとなった。
その後、関ヶ原の戦いの際は、徳川家康の旗布2410枚は、全て桐生で一日で織り上げた絹だったという。
西陣の技術を取り入れさらに発展して、「西の西陣、東の桐生」とまで称されるようになった。
以上が、桐生織物の物語となる。

白瀧姫の霊は、この神社に、天八千々姫命(織物の神)とともに合祀されています。

境内の大岩(降臨石)は、耳を当てると機音が聞こえたといわれています。
不心得者が雪駄を履いて上がって以来、その音が聞こえなくなってしまったともいわれています。
耳を当ててみましたが、確かに聞こえてきませんでした。
床紅葉で、近年急速に人気を集めている宝徳寺が、すぐ近くにありますが、宝徳寺の混雑とは別世界の、晩秋の風情をしみじみと感じたひとときでした。

とりもなおさず、父の代まで桐生織りの染色が家業だった家に育った私にとって、参拝しなければいけなかった神社でした。