↑前回
ちなみに僕はセロリはいただいたことはありますが、それも魔理沙ぐらい・・・いや、チルノたちぐらいの時までにさかのぼりまして、当時はやはり独特の風味によっておいしいとは決して思ってはいませんでした。
ただ、もう20年以上も前のことでそれ以来は全くいただく機会に巡り合っていないせいか、苦手を克服できているかはわかりません。
僕がこういう経験であるように、日本人のほとんどはセロリをいただく機会というのがなかなかないということもあり、それこそ育った環境によって好みが分かれやすくなっているのかもしれません。
霊夢「???
そんなのが本当にあるの・・・?」
はい。
それが、セロリにアメリカのピーナッツバター『SKIPPY』を塗って食べるという方法です。
アリス「なるほどね、私も聞いたことあるわ。
そもそもアメリカではセロリが苦手っていう人はあまり聞かないみたいで、この食べ方はかなり有名らしいわよ?」
そうみたいですね。
僕も今度試してみようと思います。
ただ、使用するのは日本で一般的な甘さが強いものではなく、アメリカで一般的な『SKIPPY』をはじめとした甘さがあまりないもの、というよりはピーナッツの風味を強く感じられるものになります。
これを間違えると本当にゲテモノになる恐れがあるのでご注意くださいね。
魔理沙「でも確かに、ピーナッツの香りで青臭さが消えそうなイメージはありそうだな。
食べ方を試した日記も今後出してみようぜ?」
幽々子「いいわね~♪
聖人くん、試すときは私も誘ってちょうだいね♪」
かしこまりました。
まぁ僕も、アメリカの生活を体験してみたというような実証報告の日記もアップしてみたいとも思っているので、
今、朝食で食パンにジャムを塗っているのですが・・・
なるほど、ジャムにピーナツバターを合わせたパンも食べてみたときものすごくおいしかったという体験もあったので、今月中にやってみますね。
幽香「よろしく頼むわね♪
さて、それじゃあまずはセロリの基本情報ね
セロリは地中海沿岸および中東原産でセリ科オランダミツバ属の一年草もしくは越年草でセリのように玉上にまとまった白い小花を、6月から9月にかけて咲かせるわ。
属名のとおり、日本にセロリを持ち込んだのがオランダ人で、葉のイメージが強いことからオランダミツバという別名もあるほかにも、漢字では『塘蒿』と表現するけれど、これは塘という字が川や池の土手を意味していて、水分を好むセロリの生息域を、蒿は、蓬(よもぎ)の別字でセロリの好き嫌いが分かれる大きなポイントになる香りの強さが見た目よりも特徴的であることを表しているわ」
では続きまして、セロリの花言葉ですが、
『真実の愛』・『会える幸せ』になります。
『真実の愛』は、セロリが先ほども申し上げました通り、長所を活かして調理できればおいしくいただけるのですが、そうでなければ独特の癖のある香りの影響で食べにくいと思ってしまう野菜でして、大人でも苦手にされている方が多い野菜です。
そんな差を受け入れつつ結ばれた愛は堅固で、真実の愛と呼ぶにふさわしいものというセロリのイメージによって、この花言葉がつけられたそうです。
霊夢「なるほどね。」
真実というのはいつになっても完全に解明をするのは難しいものです。
『何を満たせば真実であるか』は人によって違い、愛も『どのあたりの行為が愛か』というのは人それぞれです。
従って、人それぞれが思う『一番の愛情』と伝えるときにセロリの花言葉は添えるのにかなり適しているようです。
魔理沙「料理をもてなすときに、野菜が持っている花言葉の効果がでてくるってことか」
そういうことですね。
ただ、恋人や配偶者に対して、『真実の愛』で返してほしいと贈っても、期待通りのものは得られるのは難しいようです。
魔理沙「まぁ、この日記ではそういう時こそ聖書を読んで学ぶ日課を習慣づけると真実の愛に近づくことができるって言ってるから、それも参考にするといいだろうな」
そうですね。
いつでも主は僕らに真実の愛をお与えになっているので、主とかかわりを持って真実の愛を受け取れるようにすることをお勧めいたします。
ちなみに、このセロリに対してつけられた『真実の愛』を表現したヒットソングが存在します。
次回はそのヒットソングについて解説したいと思います。
フラン「セロリの歌もあるのね♪
楽しみにしてるわ♪」
はい♪
次に、『会える幸せ』ですが、これは古代ギリシャでは、恋人を植物に喩えた詩において、『抱擁(ほうよう ※抱きかかえるという意味)の鮮やかさはセロリのようだ』という一節があり、出会ったとき、その歯ざわりの良い茎のように、躊躇なく真っ直ぐ愛情を伝えてくれるセロリの容姿とそのイメージからついた花言葉のようです。
また、その古代ギリシャでは『セロリ』の冠が葬儀の正装であったことから、人生の最後に多数の人々が集まり、自分を惜しんでくれる故人にとってのうれしさという意味もあるそうです。
人が会うことは、幸せというのは群れを作り生き延びた人間の本能に根付いた感覚といえるでしょう。
単独でいる不安さを打ち消す敵ではないだれか、そしてその相手が親しい人であるなら、会う事は幸せそのものでしょう、友人や恋人をもてなしたり、同窓会など、旧交を温める場にも適しているなど、料理の食材に向く花言葉です。
メディスン「さっき聖人が言ったように、野菜を使った料理も、その野菜それぞれの花言葉を調べて使う野菜を組み合わせてみるのも面白いでしょうね。」
幽香「そうね。
私も毎日の食事もそれを意識してみようかしらね?」
魔理沙「この日記が勉強になったり、参考になったり、少しでも面白いと思ったら、是非、いいねとフォローをして『CLASS・M・ate(クラスメイト)』になってくれると嬉しいのぜ♪」
またこの日記でぜひ取り上げてほしいことも随時募集をしております。
ぜひコメント欄でリクエストしてくださいね。
魔理沙「これからも私たちと一緒にいろんなことを学んでいこうぜ♪ そしてコメントやリクエストも楽しみに待ってるぜ♪」
それではまた次回もお会いしましょう!
魔理沙「まったな~♪」
Masato Morimiya 使用立ち絵:はるか様・dairi様(https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3189645)(https://www.pixiv.net/users/4920496)