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みなさんこんばんは! 本日も幻想郷・霧雨魔法店内のスピリチュアルサロン、CLASS・M(クラス・エム)にお越しくださいましてありがとうございます♪
僕はこのサロンのマスターを務めております、九次元の白い守護聖人、守宮聖人(もりみやまさと)です。
魔理沙「よう! 今日もみんなに会えてうれしいのぜ♪
私は霧雨魔法店の店主、いつも明るく元気いっぱいな人間代表の星の魔法使い、霧雨魔理沙さんだぜ☆」
小鈴「聖人さん、今日は教会の牧師先生がよく紹介されている小説をご紹介されるのですよね?」
はい。
今回は日曜日に少しお話をしました『塩狩峠』をご紹介いたします。
パチュリー「あら、それって北海道に実際にある峠よね・・・?」
はい。
この塩狩峠(しおかりとうげ)という小説は、1968年9月25日に三浦綾子(みうらあやこ)さんという北海道旭川市出身の作家の方が発表されたとある実話を元に書かれた作品でして、1973年には映画にもなっています。
この小説の主人公、永野信夫(ながののぶお)のモデルとなった、鉄道院(後の国鉄、現在のJR北海道)職員、長野政雄(ながのまさお)さんが1909年2月28日、現在も北海道本島の最北端、宗谷岬のある稚内市と北海道の主要市町村のひとつ、旭川市を結ぶことから、JR北海道の主要路線の一つにもなっている宗谷本線の途中駅、塩狩(しおかり)駅(当時は未開業)付近にある塩狩峠の頂上付近を走行していた名寄駅発旭川行きの最終急行列車の最後尾の客車の連結器が外れ、もちろん峠の頂上付近であったこともあり、下り勾配を暴走し始めます。
コア「ええっ!!?
それは大変じゃないですか!!!
しかも実話なのですか!!!!?」
そうなのです。
もっともこのおぞましい出来事が起きた最大の原因は、この列車に使われていた車両の連結器が現在の自動連結器や棒連結器などではなく、ねじ式連結器というものを使っており、それらを含むものは簡潔に説明するとすべて各々の車両両端部にフックと鎖状のものがフックからぶら下がっており、その鎖状のものを連結先の車両にあるフックにかけてつなぎ、鎖の途中がねじの要領で伸縮できるようになっており、それで連結が外れにくくさせたり、走行中の衝撃を和らげるようにするといった連結方式を採用していたことでした。
レミリア「・・・ねぇ、聖人。
それって前に同じく紅魔館の学習会でも紹介した、きかんしゃトーマスの連結の仕方ってそうだったし、似たような事故もよくあったような気がするのだけれど・・・」
そうですね。
きかんしゃトーマスでよく出てくる事故も同様に、今回の事故もいくら連結が外れないようにする仕組みはあるとはいえ、ねじ式連結器は今回の事故現場のような勾配にはめっぽう弱く、恐らく勾配の高低差によっていずれかのフックから鎖が外れてしまったのでしょう。
ちなみにこの事故に対しての再発防止策は日本国内にある鉄道車両車両を自動連結器に交換されるようになります(勾配がほとんどない伊予鉄道の軌道線の坊ちゃん列車などは今でもねじ式連結器が採用されています)が、これは日本があくまでも鉄路では他の国と繋がっていないというのもありますが、外国と鉄路がつながっていることもよくあるヨーロッパでは、各国ごとの連結方法に対応するのが追い付いていないために未だにねじ式連結器が採用されている国も少なくはないようです。
咲夜「日本の鉄道は安全で正確とはいうけれど、そうなるためにもいくつもの事故とかを経験しているというのもあるのね・・・
ただ、外国だとそれがなかなかできない事情もでてくるのね・・・」
技術は新しいものの方が費用が高くなりますからね・・・
ましては他国との折り合いや調整も兼ねるとなおさらになります。
さて、話を戻しますが連結が外れて下り勾配を暴走し始めた客車ですが、いつまでも直線であるわけではなく、このままではカーブなどに差し掛かった時に脱線をした衝撃で長野さんを含むこの車両に乗っていた人は下手をすれば全員社外へ投げ飛ばされて犠牲になってしまいます・・・
ちなみに当時はこの車両にもハンドブレーキという車両を止める策はあったそうですが、勾配があまりにも急で期待はとてもできなかったでしょう・・・
そこでこの車両に乗っていた長野さんはとった行動は・・・
美鈴「ま・・・まさか・・・」
はい、何と長野さんは線路に飛び降ります、その瞬間大きな衝撃とともに車両は完全に停止しましたが、客車の下には無残な姿となった長野さんが・・・
里香「う・・・うわぁ・・・」
長野さんは自分の命と引き換えに暴走した車両を完全に止めたのでした・・・
明羅「さ・・・さすがの私でもここまではできぬな・・・」
ちなみに長野さんは今の僕と同じくイエス様に従事する方で、長野さんが18歳のころ体調を崩し、仕事ができなくなったことに落ち込んでいたところを同じくイエス様に従事する友人が長野さんを教会に度々連れて行き、熱心に薦められて長野さんもイエス様に従事する者となったのです。
犠牲になった長野さんが止めた車両の中には長野さんがこの列車に乗車していた目的でもあった、会いに行く予定であった彼の妹さんへのお土産のお饅頭と、聖書があり、この長野さんの殉職は殉教にもなり、旭川や札幌などで、イエス様に従事する者となる方が何十人も続出されたそうです。
ここでヨハネの福音書20節から26節をお読みいたします
『さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシャ人が幾人かいた。
この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。
ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもしこの地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、それは豊かな身を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。私がいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』ヨハネの福音書12章20節から26節より
このうちの24節は小説『塩狩峠』の冒頭に1ページ分全てを使い書かれています。
イエス様は僕らすべての命ある者を罪や死の呪いからお救いになるために祭司長や律法学者たちによる理不尽な罪状を呑み、十字架に架かり処刑されます。
いや、死と罪を打ち破りにいかれ、3日後によみがえり永遠の赦しと命を証明されます。
そして今回、長野さんは自分と同じく暴走した車両に乗り合わせた乗客の命を救う為に自らの命を捧げました。
もしかしたら長野さんは車両に轢かれた瞬間、『自分以外の命を救えた、自分の身体は失うが自分の本体はその中の霊体でこれからこの霊体の姿で主の元に行ってそこで永遠に生きることができる・・・だから私は満足です・・・』そう思われたのかもしれませんね。
ですがもちろん本来はこの世界に来た以上はこの世界で全うに生きる必要があります、元々は主がおられ、イエス様や長野さんが帰っていかれた天の御国から何かしらの使命を授かってこの世界に来たのですから。
アリス「何だか複雑な気持ちになるわね・・・
救われたけれど、そのきっかけとなる人が本人も自分では救われたとは思ってはいるけれど代わりに命を落とす・・・
いきなりこんな目に遭ったら・・・どうすればいいのって思っちゃうわね・・・」
魔理沙「・・・まぁ、救われていることにいつも感謝するべきなのかもしれないだろうな。
私たちは少なくともイエスにも救われている、主にも救われている・・・。
どんな形であれな。
だから、それを覚えて主とイエスを覚えて感謝と祈りができる奴になれるように頑張って生きていこうぜ。」
明羅「なるほど。」
里香「まずは感謝できるところから・・・かしら・・・?」
フラン「そういうことよ。」
僕も2人が主、イエス様と出会うことができたこと、感謝しています。
ということでみなさん、今回の日記はいかがだったでしょうか?
魔理沙「この日記が勉強になったり、参考になったり、少しでもためになったと思ったら、是非、いいねとフォローをして『CLASS・M・ate(クラスメイト)』になってくれると嬉しいのぜ♪」
またこの日記でぜひ取り上げてほしいことも随時募集をしております。
ぜひコメント欄でリクエストしてくださいね。
魔理沙「これからも私たちと一緒にいろんなことを学んでいこうぜ♪ そしてコメントやリクエストも楽しみに待ってるぜ♪」
ではまた次回もお会いしましょう!
魔理沙「まったな~♪」
Masato Morimiya 使用立ち絵:はるか様・dairi様(https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3189645)(https://www.pixiv.net/users/4920496)