近くのファミレスからFUNKISTを聴きながらソクサバイ☆

今まで聴こえなかった陽子ちゃんのフルートの音色が聴こえる。

西郷さんの声が、FUNKISTの音が今までよりも力強く聴こえる。



今日は、みんなにどんなこと書こっかな~って考えてたらふと思い出した、

『てんつくマンからの運命を変えた1通のメール』

について書きますね。

みんな自分にめっちゃ自信と、未来への希望が湧いて来るかも。

今日のは個人的に永久保存版メルマガ。



まだMAKE THE HEAVENに入る前の2008年4月、僕はカンボジアに居た。

その前の年の2007年の夏、

MAKE THE HEAVEN主催のイベント『カンボジアの天使が舞い降りるJAPAN TOUR vol.3』でカンボジアのこどもたちが日本にやって来て、

そこでカンボジアのこどもたちと出逢い、その頃ボロボロの人間関係の中でボロボロになっていた僕は、久しぶりに人のこころの温かさで泣いた。

そして勇気を出して初めての海外に行こうと決心して、こどもたちに再会しに行ったのが2008年4月。

5月までの1ヶ月間、MAKE THE HEAVENのアパートでお世話になりながら、毎日こどもたちのいる孤児院にバイクで通っていた。

こどもたちと過ごす時間は、人生で感じたことのないようなしあわせな時間でした。

でもお別れの日はやってきて、

自分の心臓が小さくなって消えてしまいそうな切ない気持ちで飛行機に乗り込んで、

遠くなって行く夜の首都プノンペンの街の明かりに虚ろな目でバイバイした。



日本に帰って来てから、カンボジアでのこどもたちとのしあわせな日々との現実とのギャップに、息が苦しくなった。

日本に居たくなくて、今すぐカンボジアに帰りたくなった。

またお金を貯めてカンボジアに行って、また戻って来て、っていうサイクルを自分はこれからやっていくんだろうなって、そしたら何か開けて行くだろうなって漠然と未来をイメージしていた。

ある日、こどもたちのことを思い出しながらぼんやりと夕陽を眺めていたとき、
突然、ほんと突然ある言葉がやって来た。

それは

『来年(2009年は)、自分のこれまでの想いの結果が出る』

っていう言葉だった。

全然、意味がわからなかった。

だから特に期待もしなかった。



その後すぐに、てんつくマンのメルマガが届いた。

まさかそれが運命を変えるメールになるとは。

今もケータイに保護してあるので!、そのメルマガをそのまま載せますね。

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WONDERFUL WORLD インターナショナル植林フェスティバル(仮)
☆★☆★☆★☆★
明るくて力仕事もお任せ植林を仕事にしたい英語がしゃべれる人、二人大募集!

やることは、植林地視察や植林の運営、一円プロジェクトの運営など。

本気で世の中を笑い楽しみながら変えたいと思っている人!

今月末までに、履歴書となんでスタッフになりたいのか思いを書いて送ってきて頂戴。
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というメルマガ。

てんつくマンという存在を知ってから、
『いつかこんなすごい人と一緒に活動できたら...』
ってずっと思っていた。

だからこれを読んだとき『未来がパーって明るくなった気がした』

でもね、よくよく条件を読んだら『やっぱり自分には無理だな』って思った。

だって
『明るくて力仕事もお任せ植林を仕事にしたい英語がしゃべれる人、二人大募集! 』
というこの条件。

その頃の自分は人間不信で明るくないし、人と目と目を合わせて話せなかった。

力仕事は運送関係で働いてたのでいけるかも。(でもそんな人たくさんいるし
なぁ。)

英語も喋れないし、パソコンなんて人差し指でしか押せなかった。

ましてや、こんな大きなプロジェクトを運営するような力は自分にはないと思った。

そして決定的だったのは、募集人数『2人』。

てんつくマンのメルマガは確かそのとき、1万4000人の人が読んでて、

すごい人はたくさん居て、こんなにも条件に合っていない田舎者の青年が受かる可能性なんて、まったくないなと思った。



それから時間が経って、もう締め切りという時。

そのメルマガが頭から離れずにいた。

でも期待するほど傷つくから、複雑な気持ちだった。

そんな時、あるアイディアがやって来た。

『どうせこのまま何もしなくてもスタッフにはなれない。だったら同じダメなら、送ってダメな方がよくない?』

そっか!

その夜、夜中の3時くらいまでかけて履歴書を書いた。

自分はまったく条件にあって居ないけど、たった一つ条件にあっているものがあった。

それが
『本気で世の中を笑い楽しみながら変えたいと思っている人! 』



自分は小さい頃、UFOを見たのをきっかけに、地球のために何かしたいってずっと思っていた。

そんな人生を歩きたいって、ずっと思っていた。

でもまわりにはそういう人がいないし、今みたいにネットもなかったから、想いはあるのに、ほんとにどうしていいか分からなかった。



自分には何もなかったけど、その想い詰め込んだ手紙を履歴書とは別に書いて同封した。

書き終わった時、期待や依存を手放したような、なんかスッキリした気持ちだった。

出来ることをしたから、もうどっちの答えが出ても全然大丈夫、って思えた。



それから数日後、知らない番号から電話が来た。

『まさか...ね』

って思って、でも恐くて出れなかった。

しばらく悩んで、心臓が破裂しそうになりながら掛けなおした。

そしたら、知らない番号は『MAKE THE HEAVEN』からだった。



そして『明後日、面接に横浜にこれますか?』

(まっじすか?!!!)

『あ、はい!大丈夫です...!』



そして横浜へ向かう僕。

そして今でも忘れられない面接。。。

面接場所のビルについて、面接の部屋に入ろうとしたとき、

中からてんつくマンの笑い声が聴こえて、緊張がメーターを振り切って『無理!』って思った僕は、ビルの外へ...(笑)

勇気を出してもう一回ビルへ。

部屋にはもう1人、面接を受けに来ていた人は革靴でスーツ姿で、いかにも『出来る男』感じだった。

一方僕はカンボジアでMAKE THE HEAVENにお世話になりました!感をアピールすべく、

カンボジアで買ったタイパンツと、カンボジアのTシャツ、サンダル。。。

裏目にでたと思った。



で、面接。

最初が自分だった。

目の前には、憧れのてんつくマン。。。

出されたスイカとお茶は手が震えて食べれなかった。

緊張し過ぎて、頭真っ白になって、質問に対して何も答えられなかった。


あまりにも何も答えられないから、てんつくマンが最後『じゃあ1分間で好きなもんを言えるだけ言ってみ』って言ってくれたけど、数個で思考停止。。。



『終わった』



そう悟った。



そして、1週間が過ぎたころ、電話が。

てんつくマンと一緒に面接をしてくれたマヤさんからだった。

内容は、
『いつから小豆島来れる~?』



うっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん



というわけで、MAKE THE HEAVENの植林プロジェクト

『WONDERFUL WORLD 植林 FESTIVAL』
で、夢だったてんつくマンと活動できることになりました。


もう信じられなかった。

あの時、ダメもとで履歴書を書いてよかったって思った。

そしてどんなに不可能って思えても、やってみないと分からないし、願い想い続けてれば夢は必ず叶うんだって、実感した。

だからどんなに今の自分ではどうしていいか分からない夢でも、それを想い続けてほしい。

想い続けていれば、チャンスは必ずやってくる。

あとはそのチャンスへ1歩踏み出し続けるだけ。


その夢は叶うよ!

人生は素晴らしいってことを、自分とみんなに伝えていこう!



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宇宙の子☆マサうーぽー
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