中山道歩き旅、板橋宿を通過中(2022年12月3日に歩きました)。
 
 
 
 
 
 
 
 
お蕎麦屋さんの横を通り抜けましたが
 
 
「名物榎蕎麦」とありますが何でしょう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
するとすぐ蕎麦には、じゃなくてすぐ側にはこんな木が。
 
 
榎の木のようです。
 
 
これが前回いたばし観光センターにあった
 
 
縁切榎です。
 
 
その由来の詳しくはこちらにありますが
 
 
 

 

 

 
 
榎は縁の木とも読める事から
 
 
縁が尽きる、転じて縁切りとして江戸時代の人から縁起が良くないとされてきましたが
 
 
いつしか逆に男女の仲などの悪い縁を断ち切ってくれる、という意味にも捉えられて縁を切りたい時の祈願をする者も出てきたそうです。
 
 
徳川家茂に嫁ぐために中山道を通ってきた和宮一行はやはり縁起が悪いとこの縁切榎を避けて通ったと伝わっています。
 
 
 
 
 
 
 
ちょうど通りかかった時にもお参りしている方々いました。
 
 
現在の縁切榎は3代目だそうで、現在では悪い縁を断ち切って良い縁を結ぶ、というパワースポットになっているそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ではどんどん旧中山道を歩きましょう。
 
 
この先で旧中山道は国道17号と合流します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらの木は
 
 
志村一里塚
 
 
東海道でもたびたび見かけた一里塚。もちろん中山道にもあるわけですが
 
 
この志村一里塚は中山道沿いに動かさずに当時の姿で残っている数少ないものだそうです。
 
 
歩いた時には気が付かなかったのですが、道の両脇に今も残っています。
 
 
 
 
 
 
 
そうした貴重な一里塚という事で
 
 
一里塚としては中山道で唯一の国指定の史跡となっています。
 
 
 
 
 
 
 
この付近では旧中山道は国道17号と合流したり離れたりを繰り返します。ここでは再び分かれて左側へ。
 
 
 
 
 
 
今まではほぼ平坦でしたがここで下り坂になります。
 
 
 
 
 
 
 
画像では分かりにくいですが、かなりの急坂です。
 
 
 
 
 
 
 
清水坂、もしくは志村坂と言われている坂です。その後左にカーブしながら下ります。
 
 
 
 
 
 
 
そして国道17号に戻ります。
 
 
東京都と埼玉県の境となる荒川を渡る戸田橋まであと1km。
 
 
 
 
 
 

こちらは荒川ではなく新河岸川。
 
 
 
 
 
 
荒川など大きな橋を渡る時はよく迂回させられるのですが
 
 
この時も道の右側に渡り少し遠回りしてようやく橋に向う階段を上がります。
 
 
 
 
 
 
 
戸田橋に入りました。
 
 
荒川とちゃんと書いてありますね。
 
 
 
 
 
 
 
ずんずんと戸田橋を渡ります。
 
 
さすが荒川という大きな川。橋もかなり長いです。
 
 
右側に通っているのは東北・上越・長野新幹線です。
 
 
 
 
 
 
右側を見ると河川敷では少年サッカーのグラウンドになっていました。
 
 
ようやく荒川の流れに入るとカヌーをしている人を見かけました。
 
 
 
 
 
 
 
すると見えてきたのがこの標識らしきもの。
 
 
多分ここが東京都と埼玉県の県境のようですが
 
 
道路の右側なので標識の裏側になってしまってます。
 
 
 
う〜ん、せっかくの県境だというのにこれではテンション上がりませんね。
 
 
 
 
 
 
 
と、いう事で道の左側にある県境の標識をズームでパチリ。
 
 
これで埼玉県に突入爆笑
 
 
戸田市に入りました。
 
 
 
 
 
 
 
その後は淡々と歩いていきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
カラーの戸田市のマンホールを見つけたのでパチリ。
 
 
 
次回でゴールです。
 
 
 
 
⑨に続く。