今回の「りん散歩」は
「江戸を感じに深川〜両国の博物館・庭園巡り」と題して歩きたいと思います。
まずは東京・江東区の門前仲町駅(東京メトロ東西線・都営大江戸線)へ。
この辺りは広い意味で深川と言われる地域ですが、深川駅ってないんですね。
門前仲町あたりはうちの会社の取引している銀行があるので月に2回くらいは来ているのですが、じっくり歩いたことがありませんでした。
いつもとは逆方向。深川仲町商店街を進むと、
参道門がありました。「成田山・深川不動尊」 とありますね。
「人情深川ご利益通り」。参道の雰囲気が感じられます。
ここが成田山・深川不動尊です。千葉の成田山新勝寺の東京別院です。
うちの会社は社長や役員がここで新年の安全祈願しに行くそうです。
何やら梵語がか書かれていますね。先ほどの建物が本堂かと思いきや旧本堂で、こちらが本堂なんだそうです。
そして左に向かうと、
富岡八幡宮です。江戸時代以来「富岡の八幡さま」として親しまれてきました。
手形や足形もありますね。
歴代の横綱のしこ名が彫られています。現役の横綱のももちろんありますが・・・撮り忘れちゃった。
また富岡八幡宮は横綱が奉納の土俵入りをすることでも知られています。日馬富士の土俵入りの様子です。
日馬富士はすったもんだがあって引退しましたが・・・
すぐ後に富岡八幡宮でもすったもんだどころじゃない「あの事件」が起きるとは・・・。
富岡八幡宮の鳥居の近くには伊能忠敬像があります。伊能忠敬は江戸では深川に住んでいて、10回にもわたる日本地図作成のための全国の測量前には必ず富岡八幡宮に旅の安全を祈願して出かけたそうです。
測量のために歩いた距離はなんと4万km。地球一周分の距離に相当します。
わたくしも地球一周目指して日々歩いていますが、伊能忠敬は当時としては高齢の55歳から始めて72歳まで測量を続けました。17年間だと結構時間がかかったと思われますが、実際の測量の旅程では約3300日でおよそ9年。わたくしも現代人の中では相当に歩く方だと思いますが、それでも頑張って11〜12年はかかりそうなのでいかに忠敬が強靭な足腰を持っていたかが分かります。
ただ伊能忠敬のもっとすごいところは、名主として村をまとめ上げた後に隠居し、49歳という年齢で天文学や測量技術を新たに学び始めたこと。そして高齢をおしながらも日本の地図作りに粘り強く情熱をもって取り組んだことでしょう。その地図は開国して訪れた外国人が舌を巻くほどの正確さだったそうです。
現代に当てはめれば、65歳定年から学び始めて70歳から測量の旅にでかけ、90歳近くまで働き続けるようなもではないでしょうか。平均寿命も当時よりもぐっと伸びた現代、伊能忠敬の生き方に多くを学ぶことができると思います。