母に付き添い、姉(叔母)92歳を訪ねた。

 

私の母とは18歳 離れた間柄。

母が小学校2年で両親を無くしたので、

歳の離れた叔母が、幼い母を引き取り育てた。

 

その後、叔母は、一時期 私の家庭が苦しいとき

一緒に住み助けてくれた。祖母のような関係。

 

なので、バァ様と呼んでいる。

 

私が高校時代、「どうやったら女性にもてるかなぁ〜」

といったしょうもない話を、台所の換気扇の下でタバコを吸いながら 

横で 励ましながら 聞いてくれた。ほっこり

 

そんなバァ様。

感謝してもしきれない人の一人。ラブラブ

 

・・・今回、4年ぶりにあったら、小さくなっていた。

 

抱きしめると本当に小さな存在。

小さくなったなぁぁぁ。ぐすん

バァ様が台所で、私の青春の悩みを聞いてくれたのは、ちょうど30年前。

当時 私は高3.    時は過ぎた 

 

バァ様は今も頭はしっかり。受け答えもできる。

ただ体は、歩くのがしんどく、家の中でも補助柱が要る状態。

 

”今回の出会いが、生きて会う最期になるかもしれない...しょぼん” 

 

そんな思いで、彼女のむくんだ足を摩ったり、お寿司をご馳走したり、

語らい、時間を過ごした。

 

そして、この機会に他の親戚も廻り、もう一人の叔母や叔父に会い、

その後、帰りしなに老人ホームにいる自分のオヤジも訪問した。

 

・・・みんな年老いたなぁ

 

皆さん、昔はバリバリ生きてきた方々。曰く;

もう一人の叔母:「一人で息子三人を育てた」、

叔父:「34歳のとき日本で初めてATMを提案導入」、

オヤジ:「米国企業と諜報戦をしビジネスをとった」云々。濃い昔話ばかり。

 

・・・自分も遠からず老いる。

おそらく体も元気で活動できるのは20年。メンテして25年か。

 

今から20年何をするのか、

泣いても笑っても、ゲームしてても、時間は確実に過ぎていく。

死ぬことは怖いと思わないが、何も考えず流されて生き死んでいくことは怖い

それと体のメンテナンスは要るな。

 

転職後は、日々の仕事と家族を養うため、それと元来のボーっとした性格から、

自分がやりたいことはあまり考えず、

  • 仕事では、その時その時 全力投球し、
  • 心がモヤモヤする時は、釣りやゲームに現実逃避し(なかなか止めれんあせる
  • ときどき家族孝行。

”流されるように” 生きてきた。 

その日暮らし代表のThe 凡人。

 

残り20年。

何かを残したい、やりきりたい との思いにかられている。

 

年老いた方々と会えてよかった。

心を新たにした1日。