世間に名前を売る人、売らない人、
教育者、研究者なら、売らない人こそ本物だろう。
学生に教え、研究に励みながら、
マスコミなどで知られるようになるのは違和感がある。
某大学で、ジャーナリストの故立花隆氏に、
平和についての講座を依頼したことがあった。
はじめ、立花氏は断ったが、
学生のために引き受けることにしたそうだ。
大学教授が自分の仕事を放棄して、
ジャーナリストに平和学をやってもらうとは?
立花氏も、内心そう思ったことだろう。
教える研究者がいない、学生たちには気の毒なことだ。
立花さんが亡くなったとき、NHKで”知の巨人”と形容したときも、
違和感をもった。
立花さんを過小評価するものではなく、
マスコミの著名人にたいする姿勢である。
それはやがて、ジャニーズの問題で明らかになる。
立花さんの「脳死」の研究は、
専門家が説明できないような内容で、大いに感心したものだ。
国家廃止への関心はどうだったろう。
活字では目にしたことはなく、NHKの番組内で一言、
「国家が戦争を起こす、戦争を無くすには国家を無くすしかない」
テレビに出る人間として、公共放送で言い残してくれた感があった。
このとき、ナレーションの森田美由紀さんは、
制作責任者でもあったとしたら、立派なことであった。
かつて、医学を学んだSF作家が、著名な分子生物学の教授と対談で、
国家の解体に迫れないか問題提起、
教授はこの話題についてゆけず、返答できない。
作家は仕方なく「ぼくはネクタイしていませんから・・・」(笑)
教授「それじゃ、ネクタイとりますか・・・」(笑)
お互い苦笑して対談を終えるしかなかった(NHKだったと思う)
社会を生物に置き換える発想も一つの仮定だが、
論理ということでは数学の有効性が上回る。
2乗して負になる数はないが、虚数として仮定することができる。
したがって、国家の無くなった社会を、仮定することもできる。