皆様、こんばんは。

いきなり春が来たような暖かさでしたね。

明日からまた全国的に気温急降下のようですが。


さて、前回からの続きです。

 



人間は、強烈なひとつの感情に囚われている時は、

他の感情に鈍感になる生き物だなあと思います。

 

夫が亡くなって直ぐ、もちろん虚無感とか、

寂しさとか色々な気持ちを感じてはいましたが、

何よりも強かったのは、私の場合は『自責の念』。

 


多分、夫も私も故郷は遠く、

子供二人はまだ学生で、

夫の看病は全て私一人、

本当に孤軍奮闘だった事も、大きな要因かもしれません。

全ての決断が、私一人に委ねられ、

私なりに、夫の意思を尊重し、医者の見解を聞き熟慮して

選ぶ答えが、全て裏目に出る。

 

何一つ報われず、全て悪い方向に。

ただ夫を苦しめただけ。

申し訳無くて。 

自分がとても不甲斐なくて。

 

大変な事をしてしまった。

大変な事になってしまった。

感じるのは、ただ強烈な恐怖のみ。


 

そんな背景があったせいか、誰に

「そんなことはない。貴女はよくやった」と言われても、

どうしても、どうしても、そうは思えず、

 

あんなに夫を苦しめて、

短期間に死なせてしまったのは、このポンコツの自分なんだ、、、と。

頑なに思い込んでいました。

(そりゃ、自己肯定感もダダ下がりしますわな)

 


今、思い返すと、そうやってひたすら自分を責めていた時は

自分の事にまで思いが至らなかったのです。

そんな余裕が無かった。

 

夫が可哀想。

夫に申し訳ない。

それしか感じなかった。

 

 

そして、めでたく(?)自責の気持ちとバイバイ出来たあと、

程なくムクムクと私の心に広がってきたのは、ズバリ

『さみしい気持ち』だったのです。

 

多分、夫の事よりも、自分の事に気持ちが向いた瞬間。 

自分の事よりも、天国にいる夫の事ばかり考えていたところから

現世に残されて、まだ暫くは生きなければならない自分の事に、

目が向いた瞬間。

 


「なんということ! 私の置かれた状況って、可哀想過ぎる! さみし過ぎる!」と。

めちゃめちゃ、狼狽しました。 

それが大体、死別から三年半の頃。

(気づくのが、遅いっちゅうのよね、、)

 

 

この、『さみしい』と言う感情も

なかなか厄介な代物です。

ふとした時に、どこにでも入り込んでくる。

そして、しつこい。

一度、取り憑くとなかなか離れてくれない。

 


私は、昔から、自称『拗らせさみしんぼう』でした。

一人行動が好きなくせに、

自分がさみしいと感じる時には、強烈なかまってちゃんに変身する。

 

たまに、『さみしさ』に対して、強い耐性を持つ人がいるけど、

本当に羨ましい限り。

耐性を殆ど持たない私としては、

『さみしんぼう』との長い戦いが、今現在も続いています。



夫を早くに亡くした事だけでも、さみしさMAXなのに、

子供達が2人とも、進学と就職を機に家を出て。


私の身体の中に入り込んだ『さみしんぼうお化け』はどんどん肥大化して

私の内臓全てを食い尽くし、大暴れしているかのようでした。


まだまだずっとずっと、家族4人で泣いたり笑ったり

わいわいドタバタやっていくと思っていたのに。

1人減り、2人減り、3人減り…。

シャンプー一家は、私の気持ちと裏腹に、

一気に、一家解散の憂き目に。




なんなん。


私の人生。


私が一体何をしたって言うの。


一生懸命、生きてきただけやん。


なんで、今、こんな目にあって

ひとりメソメソ泣いてるの?



こんちくしょう!

神様のクソクソクソ!


……と、こんな気持ちでした。



知り合いのママ友なんかが

「ついに、息子が家を出ちゃってぇ〜、もう思いっきり空の巣症候群だねー 

 って、夫に言ってるのよ〜〜  ホント夫と2人じゃ、寂しくてぇ〜」

なんて言ってるのを聞こうものなら


「は??? 何言ってんの??」

ってヤサぐれた気持ちになり。

『さびしんぼうお化け』のせいで、心が壊死寸前でした。



いやだ。 心を死なせたくない。


しかも、厄介なことに、心の瀕死状態は外からは見えないので

どれほど辛いか、分かってはもらえない。


どうにかしてこの辛い感情からも解放されなければ。

自分で、脱出しなければ。

どうしたら、手放せる? どうしたら変われる?

たくさんたくさん、考えました。



若い頃、それこそ結婚前などは「ひとり」「シングル」であっても

これほどまでの深くキツい孤独感は感じなかったはずだ。

年齢が大きく違うのだから違って当たり前なのだけど。

でも、何かヒントが隠れているような。

年齢以外に何が違う?



若い時は、やりたい事がたくさんあった。

夢もあった。 希望も。

だから、こんなさみしさを感じなかったんだ。

そこだ。 それが大きく違うところ。


人生の終焉に向かって、円熟期を迎え、これから少しずつ静かに静かに

枯れていく筈だった人生。

伴侶とふたりなら、それも悪くない。



ところが、そんな矢先に、伴侶を失い

夢や希望どころか、目の前に広がるのは、

荒涼とした、『絶望』の灰色の風景………


こんなんじゃ、さびしんぼうお化けの格好の餌食です。


仕方がない。

穏やかに静かに、平凡な老後を、

夫と2人で子や孫の来訪を楽しみに待つ、、、

そんな老後を、持つことができなくなってしまったんですもの。


嫌でも、方向転換するしかないじゃない?

若い頃のように、自分の夢、希望、今からでもやりたい事を

見つけるしかないじゃない?



そして、自分が心地良いと感じる環境に身を置くこと。

自責の念なんかに、囚われている場合じゃない。

自分を思い切り甘やかすこと。


お化けに喰われない為には、この2点くらいしか今のシャンプーには見つかりません。


完全に、お化けから逃げ切れるまで、私は探し続けるつもりでいます。

この年齢でも。

そして、自分を甘やかすつもりでもいます。

自分のやりたいことをやる。



そしてもう一つ。

強烈なさみしさに襲われる時、いつも同じ光景が脳裏に浮かぶのです。


どんなかと言うと、映画のワンシーンのような無限に広がる

宇宙空間に、ただひとり、漂ってる絵。


自分以外に生命体は居なくて。

音も無く。

とても寒くて、とても心細い。

そんなシーンが必ず浮かぶのです。


シャンプーの『さみしさ』を映像化すると

そんな感じになる。




人は、ひとりでは、生きられない。


そんな宇宙空間では、私は生きられない。


私の存在を、認知して、必要としてくれる人達と

依存でなく、繋がっていないと生きられない。



とても漠然とした表現だけど、

こうして、何とか軌道修正しながらやっていくしかないと

思っているのです。



最後に、私のスローガン。

『持ちましょう。いくつになっても、自分のキラキラを。』




きゃーー、恥ずかしーーー(笑)



土曜日、珍しく娘が私と遊んでくれました。

と、言ってもショッピングモールで買い物とランチしただけですが。




娘と2人のお出かけは、それこそ昨夏の台湾で夜市に行った以来。

いつものお礼にランチ奢るよーと言ってくれましたが、

「いやいや、ひとり暮らしで何かと物入りでしょ?」と、

ママが奢ってあげました笑 


新しい変な上司、引き継ぎで既に娘達の部署に来ているそうです。

今のところ、何とか要領良くやってるみたいです。

「そんな心配しなくてだいじょぶよー、私だってちゃんと色々考えてるから」ですって。

逞しくなったなー、娘。


がんばれ、がんばれ、愛しい私の娘。


そして、私もがんばれ。笑




 

 

 

 

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村