皆様、こんばんは。
日一日と、回復していくというのは本当でした。
今朝もずっと寝ていたのですが、
横になりすぎて、腰が痛くて堪らなくなり、
起きてみると、あれ?身体が軽い
昨日のだるさと眠気が噓のよう。
脳みそも一枚薄皮がむけたよう。
手術から三日目にしてようやく、麻酔が抜けたようです。
焦ってはいけませんね。
こういうことも、時間薬じゃないけど、
ある程度の時間が必要なんですね。
私は、若干せっかち。
ノロマのくせにね。(笑)
嬉しいことに、昨日も一昨日も眠すぎて食欲が涌かず
豚汁一杯だけ、、、とかだったんです。
そうしたら、お正月に増えた体重は元に戻っていました。やったー。
よーし、これを上手にキープしなくちゃ(笑)
皆様には、手術の成功を応援して頂き、
本当にありがとうございました。m(__)m
おかげさまで、すっかり元気になりました。
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さて、表題の、死別サバイバル。
私にとって「夫との早すぎる死別」は一言で表現するなら
ズバリ、『サバイバル』だとずっと感じていました。
過酷過ぎるこの状況から、生き延びなければならない
でも、健全な体と精神で生き延びるのは極めて難しい。
平穏な暮らしから、突然何故だか選ばれて、梯子を外される。
奈落の底に沈んで行くのは容易いが、
なんとかして浮かび上がりたい。
誰も助けてはくれない。
最後は自分の力で、何とかしないといけないサバイバルゲーム。
ここにあまり仲の良くない夫婦がいたとします。
顔を合わせると、喧嘩ばかり。
互いにこの結婚は失敗だった、何なら相手が死んでもそんなに悲しくないだろう、、、
なんて、ちらりと考えたりも。
ところが、想像じゃなく本当に相方が急逝したとします。
すると、120% 物凄い後悔と悲しみに襲われます。
120%、いや200%。
伴侶がもし死んだら、、と想像するのと、
本当に有無を言わさず、死ぬのとは、全く違う。
180度違う。
この違いこそ、経験した者にしか、わからない。
夫が地球の反対側に単身赴任だとする。
家事や子育てに物理的に参加出来なくて、
その奥方が悲しそうに言う。
「うちも、母子家庭みたいなものよ、ワンオペよ」と。
おいおい、全然違うのよ。
一緒にしないで、そんな軽い苦労と違うのよ。
ちゃんと肉体があって、この世に存在していて
本当に必要な時には、声も聴ける、駆けつけてくれる
同じ温度で、家庭内の問題を考えてくれる、
経済的な問題も、一蓮托生。
そんなパートナーが、この世に存在しているのと
この世に居ないのとは、天と地ほどの違いがあるの。
おっと、、、、
つい熱くなって脱線しそうになった。
とにかく、人生経験豊富な中高年の私達でも、生きるか死ぬかの窮地に立たされるのが
早すぎる伴侶との死別なのだ。
まぁ、この過酷な状態は、どんなに言葉を尽くしても、
経験のない方に100%理解してもらうことは不可能だと思うけど、
ライブイベントの中でのストレス度No.1に配偶者との死別が挙がるのは、
当たり前と言うか、極自然な事だと思うのです。
幸いなことに、私の場合は夫に感謝しかないが、
経済的に困窮するということは無く、
それでは、本当の意味でのサバイバルとは言えない
と、突っ込みを入れられそうだが、
だが、明日にでも働きに出ないと…という切羽詰まった状況ではなかった事が
かえって私の回復を遅らせた…という気もする。
なぜ、そう思うか。
私は、死別から四年半、ずっと半引きこもり生活をしていて、
その間、少しも元気になれなかったから。
死別から丸四年が経つ頃、さすがにのんびり屋の私でも
この悲しみに暮れるだけの、さみしさに落ち込むだけの暮らしから
脱出したいと思うようになった。
とびっきり幸せになれなくてもいいの。
せめて、普通になりたい。
毎日、毎晩、泣いてばかりのそんな日々はもう、たくさん。
普通に。普通に。
とにかく、普通になりたい。
絶望のどん底、底辺から、
小さな幸せを感じられる程の、人並みの状況へ。
これは、私にとっては、死別地獄からのサバイバル
脱出ゲームだ、、、、。
コ○ナ旋風が落ち着きつつある2022年、
シャンプーは、そんな事を考えていたのでした。
まだ序盤だと言うのに、長くなったので、
すみません、次に続きます。
営業2年目の娘。 取引先から個人的にお歳暮をもらったけど、
コーヒー飲まないからと、私に持ってきてくれた。
あの幼かった娘が…と思うと、ちょっとホロッとなる。
夫にも見せたかったと、やはり思ってしまう。
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