皆様こんにちは。

ただでさえ、色々あってメンタルが不安定なのに、

どうして、重なる時は重なるのでしょうか。



友達が亡くなりました。


私が愛知県に来て、最初の子が生まれてから1年後に公園デビューをして知り合い

細く長く、かれこれ25年近くの付き合いの友人でした。

上の子も下の子も同い年。

学区が違ったりして、疎遠になったりしながらも、

年に数回、ランチしたり、映画を観に行ったり、

一緒にPTAの役員をした事もありました。


そして私の夫が亡くなった時には、

もちろん駆けつけてくれて、一緒に涙を流しながら、

繰り返す私の悲嘆の話を、何の批判もジャッジもせず、 

ただ、ただ、聞いてくれました。


そして、悲しみの持って行き場のない様子の私に、

悲嘆の沼で溺れかかっている私に、

初めて、自身の身の上話をしてくれたのです。


彼女がまだ記憶もないような幼い頃、

両親が離婚し、お母さんの両親に養女として引き取られたそうです。

産みの親である人の事は、『お姉さん』と教えられて。


その『お姉さん』は、彼女が小学生の時、結婚して(再婚)遠くへ行ってしまったそうです。

その後、彼女が多感な年頃になり、よくあるドラマの筋書きのように、

戸籍謄本から、真実を知ったそうです。


大きく動揺した彼女は大学に入ってすぐ語学留学で渡米し、

向こうの日本人コミュニティで知り合った日本人男性と数年後、結婚しました。

それが、現在のご主人です。


そして程なく、高齢の両親(本当は祖父母)を亡くします。

さらに、まだ40代だった本当のお母さんも癌で亡くすのです。

お母さんを看取る時に、生まれて初めて、生き別れの本当のお父さんに再会した話までしてくれました。


自分が、経済的には苦労をしなかったけど

家族に縁の薄い人生の前半だったと。

だから、夫と、2人の子供は、私にとっては本当に掛け替えのない宝なんだと。

なのに、シャンプーちゃんは、そんな大切な家族を失うなんて、、、と

大きな瞳から、ポロポロと涙を流して泣いてくれました。


本当に彼女は子煩悩で、そしてご主人の事もとても大切にしていました。

私と同じで、死が身近にある経験をしてしまった彼女と「劇場版・鬼滅の刃」を見に行った時は

周りの高校生達が引くほど、2人で大号泣をしました。


最後に会ったのは、昨年末。

今年に入り、私自身が忙しくなり、

ふと、夏頃に彼女の事を思い出したものの、

彼女の次男が就活中。

就職先が決まり落ち着く頃までは、そっとしておく不文律があり、

次男君も公務員を志していたので、決まればそろそろ

彼女から連絡があるだろうと思っていた矢先の訃報でした。


信じられなかった。


電話口で泣く、次男君と話しても。

まだ私より6つも若い。

息子達の成長を楽しみにしていた。

旦那さんの持病をとても心配していた。




どうして。

どうして。

どうして、こんな酷い事をするの?


自分の生い立ちの幸の薄さを1ミリも表に出さず

いつも、明るく、元気に、与えられた中で精一杯生きていた彼女を

どうして連れて行くのですか。


どうしてこうも

人生は不平等なの。


唯一無二の親友という程ではなかった。

いつもベッタリという付き合いではなかった。

でも、私にとっては数少ない大切な友達だった。


友達を亡くすって、こんな気持ちなんだ。


もう私から、誰もとっていかないで欲しい。




今夜、夫の葬儀をした同じ会場に行く。


だいたい自分がどんな風になるかが、想像がつく。


葬儀場の音や、線香の香り、5年前のフラッシュバックはどんな感じ?


行くのは怖いけれど、やっぱり彼女にしっかりとお別れとありがとうを言いたい。


亡骸と会えば、彼女がこの世を去ったことの実感が湧くのだろうか。


いろいろ想像するだけで、なんか苦しい。


せめて、明日起き上がる元気くらいは残るといいのだけど。




そしてなにより、彼女のご冥福をお祈りします。

彼女の御魂が安らかでありますように。










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