私は、29歳で結婚した。

夫は31歳だった。

今でこそ、珍しくないが、当時の地方では、かなり晩婚の方だったと思う。

夫は53歳になってすぐ亡くなったので、結婚生活はたった22年に手が届くか、、、くらいだった。


30歳で娘を授かり、33歳で息子を授かった。

本当はもう1人欲しかったが、年齢的な事を考えて、

おそらく息子が未子、そして異性の子供だったので、

私にとっては、小さな恋人。もうメロメロだった。


娘も当然可愛くて大切だったが、

甘えん坊の男の子。「ママ、ママ」と私の側を離れなかった。

私と息子のあまりの蜜月ぶりに、亡夫は私と息子の間に割って入り、

「ママは父ちゃんのママなの!」と言って

息子を泣かせたりしていた。


束の間、絵に描いたような、しあわせ。

遠い遠い記憶。

とても遠くて、現実だったのかも、もう…。


家の外では、いつも小さな息子は、私と手を繋ぎたがった。

不安だったのだろう。

私が、荷物が多くて、手を繋いであげられないと

それだけで、ピーピー泣くような子だった。


夫亡きあと、

今では、私の方が、彼の手を探している。


奥手の息子が反抗期の最中に、夫は亡くなった。

反抗期が終わり、息子が大人になり、

社会人になって、大人の男同士として親子で酒を酌み交わす。

そんな事が当たり前にできるとばかり思っていた。

私も、夫も、息子も。


息子にとっても、突然断絶された未来。

不憫に思う気持ちは、今でも完全に払拭されることは無い。



つい先日まで、息子が悩んでいた、大学の研究室問題が解決したようだ。

現在所属する研究室では、学生としての時間を全て差し出せという

昔ながらの、理系の研究室にありがちな若干ブラック企業のような体質のゼミらしく、

台湾旅行の最中でも、度々かかって来る電話やメールに、

息子の少し沈んだ瞳が心配だった。


だが、この度来年、院一年生からは、かねてより入りたがっていた

本来自分が一番やりたかった数理・プログラミング系の研究室への移籍が

円満に決まったという。

(しかも、こちらの方が断然企業受けも良く、就職にも有利だ)


明るく事の顛末を私に話す息子を見て、

当たり前なのだが、私の出番は全く無いことに、

彼の成長の逞しさを感じた。

(金髪ピアスの売れないホストみたいな外見だけど、やる時はやってるやんって。)

そして、息子が言う。


「新しく入る方のゼミは、コアタイムが今より全然少なくて、

 週に2日ほどでいいんだわ。 だから実家から通えるかなって。

 俺、戻って来ようか?」


一年前の私なら、小躍りして喜んだだろう。

自分でも、すごくすごくすんごく驚いたのだが、

内心、「えええ…😶」

なぜか、微妙な気持ちになったのだ。


さみしいはさみしいけれど、

初めは、恐怖でしかなかった一人暮らしだったけど、

一年この暮らしを続けてきたら、、、

自由で気ままで というメリットもある、ことに気づいてしまった。


さみしいはさみしいけど、

人って、どんな環境にも慣れる。順応する。


「おいで! おいで! 帰っておいで!」

と、そんな言葉が直ぐに出ない自分に驚いた。

「うん、、それについては、まだ時間があるから、ゆっくり考えよう。」


すると、息子がすかさず言った。

「いや、母ちゃんが無理に帰って来て欲しくないなら、

 俺、もう少し安いとこに住み替えて、このまま1人暮らし続行したいんだよね。

 だって、1人暮らしの味、知っちゃったんだもん(笑)」 だと。



私は、私の小さな恋人との手を、いよいよ放す時が来たのかも知れない。



 

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