昨晩、3月で終了となるBLUE MANを見に行きました。台詞は一切ありませんが、90分間余り、爆笑と感動の渦に包まれました。

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看板1




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看板2

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公演終了後に出てきたブルーマンの1人(3人います)

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ブルーマンシアターから見た六本木ヒルズと手前のビルに写った東京タワーですなかなかのグッドショット(^_^)v      自画自賛(;^_^Aです



 「馬鹿」になる修行を始めました。「断遮離修行」の一貫です。


 これがなかなか難しいものであせる、「馬鹿」になりきれません。一番やっかいなのは、自分のプライドです。ブログにも書きましたが、誰であれ「肩書き」に腹を立てていると言うことは自分のプライドを捨て切れていないからだと思います。


 「本当は自分の実力はこの程度じゃない」、「あえて言わないんだよ」、「そんなことぐらい分かっているよ」、「馬鹿はお前だ」などなど、口にこそ出しませんが、直ぐに、心の中はそのことで一杯になります。


 「他人の視線が気になる」「陰で噂しているに違いない」「俺の方ができるんだよ」という視線を送ってしまいます。視線が気になってしまいます。


 自分が本当に力があるのなら、他人が認めなくとも、その時が来たら力を出せばよいことです。力を発揮すれば、嫌でも他人は実力を認めざるを得ません。自らアピールする必要はありません。その時ではない時にまで力を認めさせようとするから「わざとらしく」なります。スタンドプレーと言われてしまいます。


 力が無いのにあるように見せることは、結局、自分を苦しめてしまいます。まさに、「肩書き」に固執する人達です。他の人は「肩書き」に頭を下げますが、その人を尊敬しているのではありません。嘘を並べ、力量があるように見せるのは「苦しみ」を背負う以外の何物でもありません。


 「出来ることは出来る」「出来ないことは出来ない」必要なときは「出来るように努力する」だけでいいと思います。シンプルイズベストです。それ以上のことを、他人の視線を意識して、あるいは自分の過去の実績(プライド)に執着し、余分な自分を作り上げるから「苦しい」のです。


 「成長」は必要です。でも「成長」してない部分までしているかのように見せるから「苦しい」のです。「成長している」ということは足りないところがあると言うことです。すべて、足りている人間なんていません。


 親や家族、親友、上司、同僚などなどの、「期待」から自由になりましょう。多くの場合は、期待する人の願望が含まれています。本当に純粋に自分のことだけを考えた「期待」など、あったとしてもごく僅かです。そんな期待があれば、自分には隠れて見えないはずです。「負担の無い期待」でなければ、自分に対する「純粋な期待」などではありません。


 「自分のプライド」、「親しい人の期待」すべてを断遮離して「自分のあるがまま」に生きる=「馬鹿になる」修行だと思います。困難な道のりですが、進んでみようと思います。



どのぐらい「馬鹿になり切れるか」

(@ ̄Д ̄@;)


「今」しかないことを


肝に銘じて


勝負!! 勝負!!