中国での4年間を振り返って(その3)
もう何度も何度も書いてきたが、私が出会ってきた学生たちはよく努力するし、優しいし、とにかくすばらしい。だからといって、もう少しこうであってほしいなあという点が全くない訳でない。
という訳で、今回は「学生への注文」編。
まず思うのは、「せめてもう少しでいいから、意見とか文句とか言おうよ」ということだ。そういう習慣・考え方が中国社会にはあまりないのだろうから無理な注文だとは思うが、先生や大学に、あるいはその他いろいろな場面で自分の納得いかないことに意見を言えるようになってほしいなあと思う。
たとえば、先生の都合で授業が毎週日曜日に行われて、「いやだなあ」と思っても、決してその先生や大学に意見を言わない。バスの運転がいくら乱暴でも文句を言わない。肉料理の店で食べた肉が悪かったのか、食べたルームメイト全員がお腹をこわしても(内一人はかなり激しい腹痛だったと聞く)何もせずにあきらめる。
若い大学生が少しずつ意見を言えるようにならないと、この上意下達社会はなかなか変わっていかないのじゃないかなあ。
目の前の大学生の様子と中国西部で起こっている「テロ」とを結びつけるのは飛躍しすぎかもしれないが、下から自由に意見が言える社会にならない限り、社会に不満を持った人たちの爆発は減らないと思う。
このことと少し関連すると思うが、学生たちの、自国の政治に対する見方も私には不満だ。情報があまりにも限られているので仕方がない面もあるが、もう少し批判的に政治を見る目があってもいいのではないかと感じることが多かった。
ただ、学生たちは外国人教師と政治や宗教の話はあまりしないように指導されているようで、深く話をすることはそれほどなかったけれど・・・。
私が出会ってきた学生たちも、中国社会が直面している社会問題、環境問題や、都市と農村の問題あるいは貧富の差の問題、食の安全の問題等々、知識としては知っている。しかし、自分はそれにどう向き合うのか、それに対してどんな行動がとれるのかを考える学生とは出会わなかった。
私が中国に来る以前のことだが、四川大地震の時に中国でもボランティアで復旧活動に参加した学生がたくさんいたと聞いていたが、本当に自主的に参加していたのだろうかと思ってしまう。また、大学では共産党の授業が不定期に行われているが、出席している学生はクラスの中の成績上位者であり、思想信条の問題ではなさそうだった。
日本では、自分の生き方を模索する中でボランティアに参加する若者が少なくないように思うが、中国では共産党もボランティアも一つのキャリアアップでしかないと言えば言い過ぎだろうか?
「微博」などのネット社会では、いろいろ意見が行き交っているようだが、日常生活で「異議あり!」と言える社会が中国に早く来るように、学生諸君が頑張ってほしいと思う。
もっとも、日本も労働者が疎外され、政治も醜悪になってきているので、他の国のことを云々しているような場合ではないのだが・・・。