Welcome to "The Edge of PARADISE"

Welcome to "The Edge of PARADISE"

楽園の端に残した日記帳。日々の徒然感じたことを日記にしたり、写真を記録して、世界に足跡を残していきます。

Amebaでブログを始めよう!
2年前の連休では、 
私はお台場で開催されたマジックショーに閉じ込められてしまいました。 

そして2年後の連休では、 
私はお台場の月面基地に、7000人もの宇宙飛行士を閉じ込めてしまいました。 

2年間で、随分遠くに来てしまったなぁ…。 


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 

会社つとめて以来最大の9連休があっという間に終わりますが、 
そのうち3日間は原宿に行き、3日…じゃない4日だ! 
4日間はお台場に行くというよくわかんない行動をしています。 

で、その4日間のお台場のうち、明日を含む3日間は、 
Zepp Tokyoに終日いっぱなしなわけです。 

何をやっているかというと…、 

「宇宙兄弟×リアル脱出ゲーム 月面基地からの脱出」 

http://realdgame.jp/spacebrothers/

こんなゲームです。 

SCRAPのリアル脱出ゲームにスタッフとして関わり始めて1年半。 
ライブで観客席しか行ったことがないZeppで、我が物顔(笑)でスタッフしています。 


コレがマジで面白い。 
既に2日間8公演参加しましたが、毎回毎回熱狂と驚愕と感動の渦でいっぱいです。 

こんなに「物語」なリアル脱出ゲームというは初めてで、 
まさか「リアル脱出ゲームで泣かされる」日が来ようとは、思いもしませんでした。 


4月から全国のZeppをめぐり、連休後半で東京本公演を開催しているのですが、 
この後も5月下旬に追加公演が決まり、 
6月3日に再追加公演が決まりました。 
しかも6月は出来たばかりのZepp DivercCty!! 

キャーキャー! 
俺、初Zepp台場がスタッフ参加(予定)だよ!! 



Twitterでも散々褒めちぎってますが、 
身内びいきを差し引いてもホントにオススメしたいイベントなんです。 

チームワークに笑って、頭滅茶苦茶使って、ひらめきで震えて、 
しかもエンディングで泣ける。 
凄いです。スタッフでほんとよかったと思ってます。 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 

明日は当日券が若干出るのかな? 
5月下旬の追加公演はまだチケットがあります。 
6月3日の(多分)最終公演は明日から発売予定です。 

気になってる人は、どうぞ怖いもの見たさで見に来て下さい。 
「パズルとか苦手だからなぁ…」って人にも、ホントにオススメします。 

ちなみに「宇宙兄弟」を読んだことがなくても十二分に楽しめますが、 
「宇宙兄弟」を途中まででも読んでると、きっと涙腺決壊します。 

私、8公演のエンディングを毎回見ましたが、 
毎回涙腺が決壊しかかってるのを必死で押し留めてますもの。
あと3時間足らずで、30代が終わります。
(実際には生まれたのが3月13日の午前6時45分だったので、
ロスタイムとしては7時間弱あるんだけど、当然寝てるのでね。)

前回の日記にも書いたけど、
色んな事が起きた30代。
丁度30歳になった年の11月から、ブログの前身である日記サイトで
日記を書き始めてました。
だから、10年。

途中何回か中断したりしたけど、
日記→ブログ→mixi→Twitter&Facebookと移り変わって、
ほぼ毎日何処かで自分の表現を続けてきたことに。

お陰で色んな人とめぐりあい、すれ違い、
出会いと別れが凄く多い10年間でした。

だからかな。
3月に入ってからの12日間は、なんかもう、一日一日が愛おしくて。

別に名残惜しいとか、悔いが残るとかは全然ないのだけど、
20代最期の日にはこんなこと全然感じなかったのは、
やはりその濃密さ故、ってことなのでしょうね。

昨日はモテキナイトファイナルに参戦。
最高の30代ライブ納めでした。
岡村ちゃんも良かったけど、
フジファブリックの志村さんバージョンの「夜明けのBEAT」はほんとに震えました。
森山未來が途中で乱入して、PVと同じように踊り狂ったその光景は、
なんだか幻想のように見とれてしまいました。




30代の最後に聞く曲は何にしようかな。
多分、この10年で最も聞いたアノ曲かな。

そして40代に入った最初の曲はやっぱりこの曲かな。

そんなことを考えながら、1秒1秒噛み締めて。
あと2時間半弱。

大切な人、大切な人たちに囲まれて、
色々大変だけど、素晴らしい30代を過ごさせて頂きました。
改めて、心から感謝。
もう少ししたら、ちょっとだけ、お返ししたいなと思っています。
次の冬に入る前ぐらいに。

しっかりとステップを踏みしめて、
自分のダンスがようやく見つかりかけてる。
そんな30代でした。

ありがとう。
みんな、ありがとう。

また、後ほど。
気がついたら1ヶ月半なんてあっという間。
2月のロスタイムも使い切ってしまって、ついに3月。

私も間もなく30代の終焉です。

「2回目の成人」なんて言葉も聞いたりするけど、
漸くほんとうの意味で「オトナになってきた」感覚がします。

振り返るには10年ぐらいかかりそうな30代です。
芝居に戻って、芝居をやめて、寫眞に嵌って、脱出に嵌って、
色んな人に出逢って、色んな人に裏切られ、陰口や嘲笑も経験したけど、
振り返ってる今の時点で、大切な人たちに、大事な人達に囲まれて、
10年前の自分よりも、ちゃんと歩いていることが実感できる。

いろんな物を失ったけど、いろんな物を手に入れて、
振り返れば人生の収支はプラスのはずです。

この1ヶ月半の間にも実に色んな事があって、
忘れられない瞬間が沢山あって、
もう少ししたら話せる予定も沢山あって。

一方でまだまだ迷ってることも沢山あるけど。
なんとなく、今は自分の足で動く事が一番大事なのだと思うから。
ちゃんとステップを踏んで、自分のテンポで踊り続けようと思う。

あと12日。
残り僅かの30代で、どんな人達と笑えるかな。
今はそれが楽しみでなりません。

千秋楽から3日経った今でも、
公演やライブビューイングを観た方々の感想ブログが
次々に更新されています。
10年間待ち続けて、あるいは噂を聞きつけて、
終焉を見届けた同志がこんなに沢山いたことが嬉しく、
同志たちに連帯の意を表したいと思います。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

書きたいことが沢山ありすぎて収集がつかないので、
箇条書きにしてみようかと。


・今回結構舞台セットがシンプルだったんだけど、
それでも「3Dプロジェクションマッピング的」な
映像を駆使していたのは流石と思ったなぁ。

※3Dプロジェクションマッピング:
 背景のオブジェクトに合わせた映像を作成し、
 あたかも背景自体が変化・変質してるように見せる映像処理。
 B’zの「C'mon」ツアーのオープニングなどでも使われた、
 最新の映像技術。
 サンプルはこちら。


「的」と言うか「簡易版」な感じで、
そんなに凝ったものではないけど、
映像の使い方と演出は凄く良かったと思います。

・そういえば結構「直接的な描写」が多かったかも。
10年前はシモネタは確かに多かったけど、
割りとぼかした表現を保ってたはず。
なんというか、いろんな意味で作風が「大人」になってた、
そんな気がします。

・伝説の第三舞台メンバー、岩谷さんが亡くなってから27年、
私を含め、お客さんの大半が「岩谷さんを知らない」。

鴻上さんや大高さんら第三舞台の創成期以来のメンバーは、
多分、ジレンマに少なからず苦しんでいたのかなと、
漸く気づいた。
だとしたら、第三舞台の歴史の後半は、
「語られなくなった言葉への鎮魂歌」だったのだろうか。

「ファントム・ペイン」までは「別れた恋人との思い出」が
「語られなくなった言葉」の意味だったけど、
10年経た今回は「亡くなった人との対話」に変わっていった。

第三舞台の根幹のテーマは最初から今まで「恋愛」だったけど、
今回だけは語られるべき恋愛が、既に過去のものになっていて、
「過去を過去として認めるために必要な通過儀礼」
のようなものを感じた。
その時に感じる虚しさを乗り越える事が、
「大人になる」事なのかな。

だとしたら、多分まだ俺も「大人になれてない」。
もうしばらく、虚しさを抱えながら年を取るしか無いかもしれない。
ただ、それが決して悪いことでもないように思えるんだ、最近。

・あと今回凄く気になったのは、
「随分女性の書き方が上手くなったなぁ」
ということでした(偉そうでスミマセン)

それこそ90年代の作品って、どうしても男性上位というか、
女性の書き方に迷いや躊躇を感じずには居られないものが
あったのです。
女性を「アイドル」として書くことは得意なのだけど、
内面に踏み込む事をなんとなくためらってる感じ。

でも今回の「深呼吸する惑星」は全然違って、
主人公は筧さん演じる「神崎(=富樫)」だと思うけど、
物語を回しているのは、どう考えても3人の女性陣。
男性陣が完全に振り回されてる。

これって、多分「虚構の劇団」の影響なんだろうな、と。
「虚構」の4人の女優陣の書き方、ホントに上手いもの。
一時期の「鴻上さん奥手だよねー」ってファンが言ってた頃が
ほんとに懐かしい(笑)

そしてまぁ、
ホントに10年間美しさが変わってないですよ女優さん!
長野さんとか、小学生のお子さんいるんだぜ!?
でも20年近く前に「第三舞台展」のイベントで
サインを貰った時の長野さんそのまんまじゃん!!
筒井さんだって「キチガイ」とか「バケモノ」とか言われてたけど、
10年前より色気増してるじゃん!
絶対「35歳から折り返し」してるじゃん!
そっちの意味で「バケモノ」だよ!!(笑)

・最後の別れのシーンは、他の観客の皆さんと同じく、
もう自分の中の色んなものをくっつけながら
泣きそうになりながら見てしまいましたよ。

あれは物語上の別れじゃなくて、
完全に「役者同士の惜別の言葉」だし、
「第三舞台を見てくれたファンへの最後の言葉」じゃん。

長野さんと大高さんと小須田さんと山下さん、
それに筒井さんと筧さんの組み合わせは、
過去いろんな役で深く絡んだ組み合わせなんだから。

もう、ホントに見れないのかな。
再演をするかどうか以前に、
「この組み合わせが(少なくとも数年は)観られない」、
つまり「この人達の言葉が語られなくなる」事が、
ホントに辛くなってしまった。

・私の周りでの親しい人には、
まだあまり亡くなった人はいないから、
「亡くなって語られなくなった言葉」よりも、
やっぱり
「生きてるのに会えなくて語られない言葉」
の方が辛い。
多分、少しずつ「語られなくなった言葉」も
増えていくのかな。

・「深呼吸してはいけない惑星なのです!」とか、
「目に見えない花粉」とか、
「ホットスポット」とか、
「キリアス(=kill us?)」とか、
明らかにそれらしいワードは出てたけど、
わざとぼかしてる気がしたのは気のせいかな?

このあたりは直接的な表現は避けて、
観てる側の認識、判断に任せたような気がする。
それは確かに「今現実に起きている問題」だけど、
今回のテーマの根幹ではないのだから。

・この10年で2ちゃんねるは一気にメジャーになり、
日記サイト→ブログ→SNS→Twitter・FBと、
「自分を表現できるメディア」は爆発的な加速度で
生まれ、浸透し、廃れていってるけど。
(「ザ・インタビューズ」の瞬間風速っぷりと言ったら!!)

言葉の鮮度がどんどん短くなって言ってるし、
語られなくなる言葉、埋もれてしまう言葉がドンドン増えて、
私も長い文章を滅多に書かなくなって、
既に「誰が見に来ているのか」すら気にもせず。

それでも、この言葉たちは言葉として残していく以上は、
誰かに伝わってほしい意図で書き続けていることは変わらないから、
今すぐじゃなくても、いつか誰かの涙を拭く一助になったり、
誰かの笑顔を導き出す導火線になればいいなと、
表現媒体はドンドン変わっても、その願いはこれからも忘れないし、
むしろその願いを具現化するために、
これからも媒体を取捨選択していくのだと思う。

でも、例え自分の肉体がとっくに朽ち果てたとしても、
その時その時つぶやいた言葉たちが何処かで生きていてくれるなら、
私の言葉が何処かで「生きていて」くれるなら、
こんなに嬉しいことはないと思う。

だからこそ、タチバナくんのあのラストに言った言葉、
「僕のブログ、全部読んでくれてありがとう」
って言葉、あの言葉を最後に持ってきて、
最後に一生さんを立たせて終わらせるのは、
もうなんというか、実に卑怯。

第三舞台という伝説の劇団を、
これ以上ない綺麗な形で終わらせ、
次の世代にちゃんとバトンを渡して、
後をなんにも濁さずに玄界灘に飛び立っていく。

ああ、もう第三舞台はホントにかっこ良かったよ。
人生の中で出会えて、ほんとに良かったよ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あっという間の2時間。
終わってほしくなかった2時間が終わってしまい。

カーテンコールは5回…って数えていいのかな?
その間に第三舞台の全公演記録と、
「第三舞台を作った人たち」と称して、
関わったすべての役者・スタッフの名前が
スクロールしていく映像が流れて、
最後の言葉が、
「and you.」

もうね、
ふざけんなと。
なんで最後までこんな粋な事してるんだよ、と。

ワタシが観た作品自体は半分もないんだけど、
年数としては2/3強。
そして、人生の半分の時間の中で、
時期によって濃度の差はあれど、
必ず心の何処かで頼りにし、絡まれ、
振り回された団体。

ワタシはかつて、
こんなにカッコイイ終焉を観たことがありません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

カーテンコールは2回目で全員スタンディングオベーション。
観客席側から舞台に駆け上がる役者と、
筧さんや小須田さんたちとタッチできたのは嬉しかった。
千秋楽おなじみの「大入り袋」(今回は「医学の力」ならぬ
「ウコンの力」いり!)も、山下さんからしっかりいただき、
言うことなし!

最前列の下手通路側っていうのは、
要するに「鴻上さんのど真ん前」。

役者紹介で噛みまくった鴻上さんも、
後半、目の辺りが妙にキラキラしていたのは…
ワタシの目の錯覚じゃないですよね?

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

解散公演は、観客に色々委ねられた公演に思えました。
色んな思い入れやいろんな感情をそれぞれに重ねあわせ、
「人生の中のたった2時間」だけど、
その2時間が、例えばまた10年後、
凄くかけがえの無い2時間として、
誰かに語り継がれる事を願う、祈りのような作品。

終わることのない拍手に、
最後の最後、鴻上さんが言った言葉、

「ちゃんと終わらせることが、ちゃんと始まることになるんだから!」

そうだよね。
第三舞台はコレで終わるけど、
人生はこれからも続く。
沢山の未来を沢山の思い出に変換しながら、
それでも更に続く未来にワクワクできるように。

「おしまい!」と言い放った鴻上さんに、
さらなる大きな拍手を送った観客。

その拍手は、確かにそれぞれの「青春の終焉」に対する
惜別の歌でした。
でもそれは同時に、私には新たなる何か、
この舞台に関わるそれぞれの「新しい日々」を始めるための
ファンファーレにも聞こえたのです。


一つの熱狂的なカーニバルは終わり、
次のカーニバルを始めよう。
バトンは、たしかに渡されたのだから。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今も余韻に浸り、時折さびしさに襲われますが、
人生はこれからも続いて、
色々動き始めています。

後ちょっとだけ寂しがりながら、
ワタシはワタシの「第三舞台の次」を探して、
カーニバルの準備をしていこうと思います。

第三舞台が大好きだった皆様も、
それぞれのカーニバルが始まりますように。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

終演後、物販ブースで「私家版第三舞台2」と
「深呼吸する惑星」のDVDを早速予約し、
そしてなんか勢いで今回アンサンブルで参加していた、
「虚構の劇団」の小沢くんと三上くんに
サインを入れて貰えて、最後の最後まで嬉しかったなぁ。

なので、そのあと殆ど博多を堪能できず、
中洲の屋台でとんこつラーメンと牛モツ煮を食べたぐらいしか、
博多らしいことは出来なかったけど。

そしてその日の夜どうしても目が冴えてしまい、
全然眠れずにホテルのシングルベッドで色んな事を
考えて、4時間も眠れなかったけど。

次の日の午後からの通常業務がグダグダだったけど。

それでも、ほんとに行って良かった。
最後を観れて、嬉しかったよ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

で、も、ね。
あえて最後に付け加えます。

「プロレスラーの引退とバンドの解散ほど
信用出来ない」っていう言葉があるらしいけど、
コレに「劇団の解散」っていうのも、
そろそろ入れてもいいと思うんだ!

だからね、時代の先を走り続けた劇団なら、
「再結成」っていう先取りの方法も、
あると思うんですよ、鴻上さん!!
勿論、すぐにとは言いませんので、
ウッドストックだって30周年ライブとか
結構頻繁にやってるじゃないですか?

あと、第三舞台の解散によって、
最近実力がドンドンついてきた虚構の劇団とのコラボ、
「虚構の劇団VS第三舞台」は叶わぬ夢になってしまいましたが、
去年の夏の「天使は瞳を閉じて」の大高さんみたいに、
虚構の劇団へのゲスト参加は全然OKだと思うんです!
一度成功してるんだから!
長野さんとか、小須田さんとか絡んだら、
面白いと思うんですよ。

それも含めて、次の展開、楽しみに待ってますよ、
鴻上さん!!



いつまでもお待ちしてますよ!
「深呼吸する惑星」、最後の公演の幕が上がりました。

詳しいあらすじとか内容に関しては、
他の方が結構詳しくブログなどで書いてますので、
そちらをご参照下さい。
ワタシが書くととんでもないことになりそうなので(笑)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

OP、出演者が黒服(喪服なんだけど)で勢ぞろいして、
指を巧みに使ったダンスは、
「朝日のような夕日をつれて」のオマージュだよなぁ…と
感慨深く見つめておりました。

昔より動きは激しくはないけど、
川崎悦子さんらしい特徴的な動きが印象的で、
この時点から「ああ、第三舞台だ!」って、
10年のブランクを一気に埋めてくれました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今回は鴻上さん自身が「SFです」って公言していて、
でもコミュニティとかでは「これはSFか?」って
色々議論されているようですね。

ワタシはめちゃめちゃ詳しいわけじゃないので、
SFの定義とかわからないから判断がつかないけど、
SFか否かと言うよりは
「第三舞台のようで、第三舞台じゃないような」
そんな不思議な錯覚を覚えました。
特に紀伊国屋ホールで一番最初に観たときは。

正直に話すと、
最初に見た公演では、見終わった後に「…え?」って、
思っちゃったんですよ。
確かにこれは鴻上さんの作品ではあるのだけど、
「第三舞台の作品」って言われると違和感を感じたし、
思ったより最初は引っ掛かりを感じなくて。

でも、2回・3回と観ていくなかで、
1回目で見落としていた箇所を拾えていったり、
色々自分の解釈を埋めていくうちに、
確実に「2012年的第三舞台作品」なんだと、
作品にドンドンのめり込んでいったんです。

そして4回目は、
一字一句、全てのシーンを脳内に焼き付けるべく、
しっかり見届けるつもりで鑑賞してました。

もう、この(オリジナルメンバーの)6人が集まることは
コレで最後かもしれない。
もう二度と見れないだろう。
全ては「思い出の中」で変換されてしまう。
だからこそ、見逃さないように。

あっという間の2時間でした。
見慣れていたはずなのに、一番短く感じました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

でもやっぱり「第三舞台」としてみると、
この「深呼吸する惑星」は特殊な物語だったのかな?

ワタシが見てきた第三舞台の作品の中で、
一番「物語」だったと、感じています。
「ファントム・ペイン」も物語構造のジャンプが
少ない作品でしたが、あれ以上にブレがない、
「物語が1本筋の通った」感じでした。

ワタシが感じた違和感の原因は多分そこにあって、
「第三舞台」の定義を勝手にしていたのかな、と。
でも、近年の鴻上さんが「虚構の劇団」で
若い役者達と立て続けに作品を発表しているから、
それがしっかり反映されているんですよね。

そういう意味でこの作品は、
「2012年的第三舞台」でもあり、
まさに「最後のカーニバル」でした。

何箇所も過去作のオマージュやイメージがつながる
場面があり、勿論着ぐるみ長野さんを始め、
それぞれの役者さんしか出来ない演技があり、
「完全新作」でありつつ「集大成」な感じ。

まさに最後にふさわしい物語でした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

多分、ですが。

あえて此処まで「ストレートな物語」に振ったのは、
ただでさえ観客が感傷的に、それぞれが余計な感情や
思い入れを盛り込んで観てしまうから、
逆に作品としての構造はシンプルかつ直接的に
誘導していくようにしたのかな?と。

ギャグのくすぐりも、10年前の第三舞台は勿論、
最近の虚構の劇団の作品でもしっかり踏みしめるように
構成してたと思ったけど、
今回はなんだかツッコミもあっさりしていたように
感じるんですよね。

特に筒井さんに対する筧さんの突っ込み方とか、
筧さんのセルフボケに対するセルフツッコミとか、
昔はもっとガツンと印象深く入れてた気がするのに、
例えば「…オイ!」の一言ですぐに場面転換したり、
全体的にすっと流れていくような感じ。

観てる方も演じている方も、
そんなマイルドな「大人っぽさ」を感じざるを得なくて。
そこはすごく不思議に感じました。
まるで、お互いのたどり着いた場所を確認する作業みたいで。


でも、私が一番印象に残った、大高さんの台詞
「歳を取ることと、大人になる事は違うんですよね」とか、
もう一つ、高橋一生さんの台詞
「なぁ、俺たち大人になったとき、どんな未来が待ってるのかな?
ワクワクするよな!」
っていう言葉には、もう、
「これは今この場所で貴方達しか出せない台詞だよ!」
って感じてしまって。

特に今回、高橋一生さんが凄かったなぁ。
一生さんが演じた役は、確実に「第三舞台がおいてきたもの」、
つまり創立メンバーで、これから一気にメジャーになる直前に
バイク事故でなくなった伝説の役者、岩谷真哉さんへの
鴻上さんの思いが詰まったものなのは確実なのだけど、
だからこそ今回メイン役者の中では唯一の「外様」で、
しかも年齢も離れているという三重のプレッシャーの中で、
ホントに素晴らしくやりきったと思います。

「トランス」の頃から素晴らしい役者だと
十二分に認識していましたが、今回はもう大絶賛で。
一生さんが居なかったら、見ているお客さんの認識は、
もっと「お祭りイベント」になっちゃってたかもしれない。

だからこそ、凄いなぁ…。
最後の最後の場面で、舞台に残り、
観客のすべての感情を一心に受け止め、
前方を、未来を見つめる大役を任されたのも、
その大役を見事乗り切ったのも、凄かった。
役の上ではとっくに死んでる役なのにね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

選曲も、今回も素晴らしかった!

今回漸く気づいたのだけど、
俺が「モテキ」の選曲に過剰に反応して、
ものすごく大好きになった理由って、
実は第三舞台が原因だったんだと。

どういうことかというと、
「既にある曲、有名な曲を物語の重要な要素として
巧みに取り入れ、物語を印象づける」っていう手法、
俺が最初に知ったのが第三舞台の選曲、だったんです。

「朝日のような夕日をつれて」のOP曲である
「THE END OF ASIA(ライブ版)」とか、
「天使は瞳を閉じて」など幾つかの作品で使われた
「BEHIND THE MASK」に始まり、
ブルーハーツとか、アンジーとか、
あるいはショーケン版の「ラストダンスは私に」とか、
ただでさえ個性やイメージが強すぎる曲たちを
積極的に使って、作品をより印象付ける事に成功してる。
「モテキ」も一緒だったんだよね。

というわけで、第三舞台(に限らず鴻上作品)では
毎回どんな曲を使ってくるかが楽しみなのですが。

OPが「BEHIND THE MASK」のnonSectRadicalsの
リミックス(だよね?)で、
間に使われたのがスピッツの「恋する凡人」他、
メインテーマのようになっていて、EDで流れたのが
斉藤和義の「ずっと好きだった」。

※選曲に関してはこの「サントラ」が素晴らしい出来です※


…ああもう!
速攻でiTunesで探して買いましたよ!
何度も何度もヘビーローテーションしてますよ!

最後の公演で「BEHIND THE MASK」の超かっこいい
リミックス持ってくるなよー!
最後の最後の曲が「ずっと好きだった」って、
それは俺達観客が言いたかったことじゃねーかー!

…って、おもいっきり浸る浸る。
しかも「ずっと好きだった」がちゃんと掛かる場面の
ダンスの素晴らしさと、その後の役者間の視線の
絡み方と言ったら!!
役の上での愛情の方向に皆視線を向けてるんだけど、
「ずっと好きだったんだぜ」っていう歌詞とシンクロして、
ほんとにこの場面はゾクゾクしました。

「深呼吸する惑星」は初夏までにDVDになるそうで、
勿論とっくに予約済みなのですが、
DVDでもちゃんと劇場と同じ曲が流れて欲しいなぁ。
(過去作品だと権利関係の問題で曲の差し替えが頻発してるのです)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

先ほどの話にちょっと戻りますが、
「歳を取ることと、大人になる事は必ずしも一致しないんだな」

もうね、このセリフ聞いた時とんでもなく共感したし、
同時に「あいたたたたたた…」と心臓にグサグサ刺さりました。
最近特に感じるのよね。
「昔理想にしていた大人に全然なってないじゃん、俺」って。
しかも、それでいいんだな…と思い始めてるし。

10代の時に見た20代の人達はとても大人に見えたし、
20代の時に見た30代の人達も凄くしっかりしてるように感じたけど。
あれは幻想だったんだよね。
自分がその年になったら、よぉぉぉぉぉく、分かる。
しかも自分だけじゃないんだよね。周りの皆もそう。
つまり、しっかりしているように見えた事自体が
見え方にフィルターかかってたってこと。
20代には20代の虚しさがあるし、
30代には30代の焦りや不安や怯えがあるし、
勿論40代にも50代にも、形を変えながら襲ってくる
虚しさや不安と戦わないといけないんだよね。

でも、だからこそ。
「未来が見えないことが不安なのではなく、希望と言える」
ようにしなきゃいけない。
少なくとも、ワタシは今この言葉にすごく共感するし、
そうなるように決意したいとおもうんだ。
ワクワクしていこうと思うんだ、これからも。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

…終わらない…全然終わる気配がない。
半分も書ききれてない気がする…。

ほんとにコレでもだいぶ端折ってるんだよ!
書きたいこと抑えてるんだよ!

20年以上の蓄積と、
20年間悩み苦しみそれでも走り続けた自分との、
シンクロがそれだけ高かった証なのですが。

長いので、その3に続きます。
流石に頭冷やしたいのと、そろそろ寝ないとヤバイので、
日を変えて、また。