―春、三月
まだ冬の名残が残る夜更けの事
都心の居酒屋で、すっかり飲み潰れてしまっているめぐみの姿があった。
突っ伏しためぐみの正面には料理をつまむ翔子の姿。
二人は出会って間もなかったが
尊敬し合える仕事仲間であり、心許せる友人でもあった。
「めぐさん、もう飲みすぎですよ~」
テーブルに伏せたままグラスを探るめぐみが危なっかしくて、翔子は飽きれた声を出す。
酒を共にしたのはこれで数度目の事だったが
こんなに泥酔しためぐみを見たのは初めてだ。
「いいんだよ、どぅでも」
翔子が伸ばそうとした手を力なく突っ返しながら、めぐみは投げやりに答える。
仕事以外で二人が、こんな時間まで一緒にいるのも珍しい事だった。
何故ならめぐみには、帰りを待っている“最愛のパートナー”がいるからで
仕事で帰れない日も、そればかりが気がかりで手につかないほどの“愛妻家ぶり”だった。
それだけに今日のめぐみの様子は翔子から見ても解せない。
翔子は顔色を窺うように、そっと律子の名を口にしてみた。
「りっちゃんさん、家で待ってるんでしょう?」
その名を耳にした瞬間、めぐみの表情が固まる。
確かにこんな遅くに飲んだくれて帰ったら律子は心配するに決まっていた。
「何かあったんですか?りっちゃんさんと…」
心配そうに翔子が尋ねると、めぐみの表情も少しずつ曇っていく。
「別になんもないよ…」
「ですよね!翔子の知ってる限りで
お二人ほどラブラブなカポーはいませんよ!」
大袈裟にはしゃいで言ってみせる。
翔子にとって、二人は憧れの恋人同士そのものだった。
「ラブラブなんかじゃないよ」
「やっぱりなんかあるんじゃないですか」
翔子の問答にじれったくなって、めぐみは思わず声を上げた。
「ないってば、ほんとに…
本当に何事もないんだよ!」
「それって…」
翔子が何か気付いたように目を丸くする。
めぐみはその視線から逃れるように、あからさまに目を逸らした。
「まだ…って事ですか?」
翔子の問いかけにただ黙り込むめぐみ。
それが肯定の意を表している事だと翔子にもすぐに察する事が出来た。
「え…でも、一緒に暮らして確かもう…」
「三ヶ月」
「ええええええええぇ」
驚きの事実に、翔子は思わず間の抜けた声を出してしまう。
「な…でもっ、キスは?」
核心に触れるような翔子の質問に
めぐみは一瞬たじろいだが、拗ねた声を出しながらも答える。
「してるよ、普通に」
「普通の?」
「そぅ、普通の…」
翔子は目を見開かせたまま、何度も頷いた。
「一緒のベッドで寝てるんですよね?」
「うん、まぁ…」
「夜、そういう雰囲気になったりしないんですか?」
「……なってるような、気がしなくもないけど
よくわかんない…りっちゃんすぐ寝ちゃうし」
「そんなヘタレな」
翔子は、先に寝てしまう律子を隣りに
毎晩悶々としているめぐみを想像して、思わず笑ってしまった。
めぐみはこういう事では翔子よりずっと上手だと思っていたのだ。
「いいですね、純情」
「ちっともよくない」
「じゃあやっぱりそういう事したいと思うんですか」
「思っちゃ悪い!?」
「いやいや」
顔を赤くして反論してきためぐみを、翔子は慌てて宥める。
どうやらめぐみは真剣に悩んでいるようだった。
今日真っ直ぐに帰らずに翔子を誘ったのもきっと
そういう蟠りを打ち明けたい気持ちがあったからなのではないかと、翔子は察した。
「とにかく、ちゃんと気持ち伝えるべきですよ
せっかく両想いなのにもったいない」
真剣な悩みを打ち明けてくれためぐみに応えて
翔子は自分なりのアドバイスを口にしてみる。
「でもりっちゃん…そういうの、ヤかも」
「りっちゃんさんは…私の勝手なイメージですけど
ただウブなだけじゃないですか?」
「それは…そぅかもしれないけど」
頷きながら、口ごもるめぐみ。
いつもより小さく見えるめぐみが可愛くて、翔子は笑った。
「めぐさんいつも言ってるじゃないですか
ガンガンに攻めまくれ!って、その意気でいくんですよ!」
翔子は大袈裟に言ってみせた。
やはりめぐみには強気でいてほしいと、それがめぐみらしいと、翔子は思っていた。
「攻め、まくる…?」
「貪欲に攻めまくるんです」
「貪欲に…」
アルコールが完全に回ってしまっためぐみは
翔子が言い聞かせてくれた言葉を呪文のように頭の中で唱えていた。
「さぁ、帰りましょう!」
一息ついて、翔子はめぐみの身体を引っ張り起こしたが
めぐみはもう一人で歩けないほど泥酔してしまっていた。
「めぐさーーーん」
二人が店を出る頃、駅の時計はちょうど0時を回ったところだった。
「めぐさん、着きましたよ」
泥酔状態のめぐみを置いていくわけにもいかず
翔子は仕方なくタクシーで帰る事にした。
翔子の自宅の通り道にある律子のマンションは
店からタクシーで10分ほどの近い場所にあった。
運転手に待っててもらうよう頼み
翔子はめぐみの身体を肩で支え、三階の部屋の前まで送り届けた。
とりあえず重いので、扉の前の廊下にめぐみを座らせる。
「いいですか?ちゃんと自分で鍵開けて入ってくださいね?」
本当はここでインターフォンを鳴らして、きちんと律子の元へ送り届けたかったが
要らぬ誤解や気遣いを与えてしまうかと考え、翔子はそのまま帰る事にした。
泥酔状態のめぐみを背に、後ろ髪を引かれる思いがしたが
後は本人と彼女に任せれば大丈夫だろうという気持ちもした。
めぐみの方は、翔子が待たせていたタクシーに乗り込み、走り去った頃になって
やっと扉の前で立ち上がった。
そばにあった鞄を手に、鍵を探してみたが
虚ろな思考の中なかなか見つけ出す事が出来ない。
じれったくなったように、自宅のインターフォンを鳴らす。
扉は数十秒も経たないうちに開き、そこには最愛の人が待っていた。
「めぐちゃん!どうしたのこんな遅くまで…」
呆けたように扉の前で突っ立っているめぐみに、律子は声をかけ玄関へ引き入れる。
「ただぁーまー」
めぐみの上気した頬と、呂律の回っていない声を聞いて
酔っ払っているのだと律子はすぐに理解出来た。
「誰かと、飲んできたの?」
めぐみから、遅くなるというたった一言のメールを受け取っていた律子は
何故だかとても心配で、いつもなら床についている23時を回っても
パジャマに着替える事なく、ただめぐみの帰りを待ち続けていた。
その間めぐみが誰かと過ごしていたという事実に無性に寂しさを感じてしまう。
「誰かと…誰と…えぇっと…?」
めぐみは律子の問いに答えようと、懸命に頭を巡らせてみたが
先ほど別れたばかりの翔子の事をすっかり忘れてしまっていた。
だが、思い出せない代わりに一言
呪文のように呟いたあの言葉が頭の中に浮かぶ。
「どんよくに…せめる…」
「え?」
律子が聞き返した時、その身体は既に抱きすくめられていた。
「め…めぐちゃん?」
呼びかけてもめぐみの口から返事はない。
この沈黙に、律子は言いようのない恐怖感を覚えた。
「…ッ!」
めぐみが一瞬身体を離し、律子がその顔を覗き込もうとした時
律子の唇は、めぐみのそれで塞がれてしまっていた。
「んっ」
それは二人の間に一度も交わされた事のない、焼けるほどの熱い口付けだった。
唇を無理やりこじ開けられ、めぐみの舌が律子の口内に入ってくる。
アルコールで満たされためぐみの吐息が唇から直接伝わり
律子の身体まで、酔ったように熱を帯びてきた。
「んぅ…」
律子は初めての感触を味わう間もなく
奥へ奥へと侵入し口内の全てを舐っては掻き回してくるめぐみの舌に
ただひたすら翻弄された。
「ん…んんっ…」
唇を啄ばまれる度、力が抜けていくのがわかる。
めぐみに与えられる刺激に、律子はもう立っているのもままならない状態だった。
「ぁっ…」
めぐみは口付けたまま、抱きすくめた律子の身体を撫で回し、慈しんだ。
右手はいつの間にか律子の胸にあてがわれ
左手で腰からその下にかけて焦らすように行き来する。
「やっ…」
めぐみの手に敵わなくなったように律子はその場でひざをついてしまった。
顔を伏せ、ただひたすら乱れた呼吸を正す。
そんな律子を覗き込むように、めぐみもひざをついた。
律子が顔を上げると、二人は視線を交わす。
律子の見ためぐみの瞳の奥には、熱い炎が灯されていて
初めて目の当たりにしためぐみが、怖ろしくもあり、愛おしくもあった。
めぐみは何も言わずに再び律子の唇を塞ぐ。
その手は再び律子の身体を求めていった。
「だ…め…」
めぐみに触れられる感覚に耐えながら、律子は無意味な言葉で抗ってみせる。
そんな律子にめぐみは構わない。
寄せてくるめぐみの肩を押さえようと伸ばした律子の両手は
めぐみの両手によって拘束されてしまった。
「きゃっ!」
めぐみはその手を押さえつけたまま、力ずくで律子の身体を押し倒す。
律子の背中まで伸びた髪が床に広がる。
その身体に覆い被さっためぐみの髪は律子より長く
仰向けになった律子の身体に降りかかってきた。
めぐみの口付けで灯された律子の中の炎が
呼吸と共に広がっていくのがわかる。
目の前のめぐみと、それを求めてしまっている自分が怖かった。
「りっちゃん…」
初めて耳にする、めぐみの熱っぽい声。
そんな声で名前を呼ばれただけで、律子の鼓動は勢いを増して高鳴った。
めぐみは律子の手を押さえつけたまま、口付けを繰り返す。
何度も何度も舌を絡ませる内、律子からもめぐみの唇を求めるようになっていた。
それがわかると、めぐみは手を離し、再び律子の身体を服の上から撫で回す。
「ぁっ…」
めぐみの唇は律子の首筋へと移っていき
開放された唇からは淡い吐息が幾度となく漏れていった。
白い首筋にいくつも赤い痕を印しながら、ブラウスのボタンを外していく。
空いた左手は律子の胸を揉みしだいた。
「めぐちゃんっ…」
わずかに残された理性で抗おうとする律子を、めぐみは再び力ずくで抑えつける。
唇は露わになった胸元まで移っていた。
「だめっ…やめて…!」
降りてくるめぐみの唇に耐えるように、律子は声を上げた。
その瞬間、律子の素肌からめぐみが唇を離した。
立ち込める安堵と不安。
めぐみは顔を上げ、律子の瞳に語りかけた。
「ほんとうはずっと、こぅしたかった…
ずっとりっちゃんに触りたかったッ…」
めぐみの声と、言葉と、瞳から、息が止まるほどの熱情が伝わる。
「めぐちゃん…」
律子にはもう、抗う術は残されていなかった。
再び交わされる口付け。
律子はなすがままになりながらも、めぐみの背中へ手を回した。
めぐみは更に大胆になって、手を進める。
ボタンをほとんど外されたブラウスは律子の肩まで露わにしていた。
胸を覆い包む下着の紐を、めぐみは肩から外していく。
律子は恥じらいから耐えるようにめぐみにしがみついた。
心から身体から、めぐみの全てを求めているのだという本当の想いを
隠し通す事など出来やしなかった。
肩から胸元に口付けながら、めぐみは律子の足の間に手を伸ばす。
「あっ…そこは」
その場所がどうなっているか、律子は自分でもわかっていた。
めぐみの指先がそこへ辿り着くのを本当は待ちわびてしまっていた事も。
自らの情欲に抗う事も出来ず、律子はそれを受け入れた。
「あッ…」
右手を律子のスカートの中に差し込み、めぐみは下着越しからそこに指先を押し付ける。
触れたそこから律子の蜜が沁み出し、めぐみの指先を濡らした。
「あっ…ぁっ…」
その場所で執拗に行き来を繰り返すめぐみに、律子の喘ぎは増す。
素肌に埋めていた顔を上げると、めぐみは律子の顔を覗き込んで来た。
「めぐちゃん…っ…」
触れられながら、悶える素顔をめぐみに見つめられ
律子は恥ずかしさに顔が熱くなるのを耐えていた。
そんな律子の顔に、めぐみは更に顔を寄せて言う。
「愛してる…」
囁かれ、唇を塞がれる律子。
零れた涙が心をも濡らし、このまま一つになりたいと、ただ願った。
確かめるように、めぐみは再び律子の身体を両手で包み込む。
何も言えない代わりに、律子もその背中をただひたすら抱きしめ返した。
律子が抱きしめる腕に力を込めると、反比例して、めぐみの力が少しずつ抜けていく。
そうしていつの間にか、ぴくりとも動かなくなってしまった。
まさかと思いながら律子は、めぐみの顔を覗き込む。
「めぐちゃん…?」
律子の呼びかけに、めぐみは規則正しい寝息を立てるだけだった。
ぐったりとした身体の重みが律子の全身に伝わってくる。
めぐみの身体を傍らに置きながら、上体を起こすと
律子は高鳴る呼吸を押さえ、乱れた着衣を時間を戻すかのように正していく。
目の前で熟睡している彼女を眺めていると、全てが無かった事のように思えた。
だが素肌に明らかに残るのは、めぐみの唇と指先の感触。
そして身体の火照りは鼓動と共に押さえようのないものだった。
「んっしょ…」
自分より背丈の高いめぐみの身体を、肩で支え寝室まで運ぶ律子。
力の抜けためぐみを運ぶのは華奢な律子には大した重労働だった。
「んー!」
めぐみの身体と共に律子はベッドに倒れ込む。
熟睡しためぐみは正体なくシーツに沈むだけだった。
横になったまま、めぐみの方へ顔を向ける律子。
あどけない寝顔が、律子に向かって寝息を吐いている。
「…っ」
再び胸に蘇ってきた熱を遮るように、律子は上体を起こすと
二人の足元にある毛布を捲り上げ、めぐみの身体に被せた。
毛布に入っためぐみは、温もりに眠り落ちたまま、気持ちよさそうに笑った。
律子にとって、可愛く、愛おしかった。
―めぐちゃん
再び身体を横たえ、律子はめぐみの顔を覗き込む。
先ほどまでの行動が嘘のように、子供のような寝顔を見せるめぐみ。
それでも律子は、あの全てを無かった事になど出来やしなかった。
あの瞬間に灯されてしまった炎は、まだ律子の中で確かに燻っていたのだ。
―ずっと、りっちゃんに触りたかった
律子はめぐみのあの言葉を思い返していた。
あの時、そう囁かれた時、律子は初めてめぐみの抱えていた気持ちを知る事が出来た。
―あんなふうに、求めてくれていたなんて…
今までずっと気付かずにいた自分が情けなく、恥ずかしくもあった。
何より、自分自身の気持ちにまで気付かずに、律子は今日まで過ごしてきたのだ。
「めぐちゃん…」
囁くように、そっとめぐみの名を呼びかける。
めぐみの寝息がかかるほど近く、律子は顔を寄せていた。
頭の中で“こんな事をしてはいけない”という理性が確かに働いていた。
だがそれを遥か凌ぐほどの情熱が、そこにはあった。
目を覚まさないめぐみの唇に、そっと自分の唇を重ねた。
そして唇を離した律子は、自らの下腹部に手を伸ばし
下着の中に指を忍ばせていく。
指を伸ばしたそこも、布地も、ぐっしょりと濡れてしまっていた。
高まる鼓動に身を委ね、一気に下着を脱ぎ捨てる。
再びスカートの中に左手を差し込むと、露わになった陰唇に手を伸ばした。
「んっ…」
指先が触れた瞬間、全身が震える。
声を出さないように、空いた右手で唇を押さえた。
愛撫を待ちわびて充血した蕾に、人差し指を這わせると
程なくして呼吸が荒くなってしまう。
「はぁ…はぁ…ぁっ…」
自分でも抑えようもないほど高まる興奮に、律子は翻弄されていた。
指先の反復は意識を通り越して、段々と速くなって来る。
「あっ…めぐちゃんっ…!」
思わずめぐみの名を呼んでしまった。
律子がその顔を覗き込んでも、めぐみは深い眠りの中から覚める様子を見せなかった。
愛おしげに、右手をめぐみの左手に伸ばしていく。
―もし、あのまま…
律子の秘所にめぐみの熱い指先の感触が思い出される。
“あのまま抱かれてしまいたかった”という自分の本心に、律子は気付いていた。
めぐみに触れられる事を、心の底から求めていた。
「あっ…あぁっ…」
右手でめぐみの手を握りしめながら左手は指淫を続けていた。
めぐみに触れられているつもりで、律子は指先を動かしていた。
自由になった唇からは嬌声が幾度となく零れていく。
めぐみを起こさないように、と声を抑えようにも
その内で迸る興奮は、理性など微塵も残さずに律子を乱していた。
耳に響く、淫猥な水音も、律子の快楽を増長させるものへと変わっていく。
「めぐちゃん…めぐちゃんっ…」
忙しなくなる呼吸と共に、やがて限界は近づいてくる。
身体の全てで、心の全てで、めぐみを求めていた。
「…りっちゃん」
めぐみのその声に驚いて目を見開く律子。
それはただの寝言で口にした言葉だったが、律子を絶頂へと導くには十分なものだった。
「あっ…あぁッ……めぐちゃんッ…!」
指先で蕾を押し当てたまま、めぐみの手にしがみつくようにして律子は果てた。
全身から足先まで痙攣のように震え、律子の頭は真っ白になりながらも
目の前のめぐみの事だけが胸を満たして溢れていった。
「はぁ…はぁ…」
呼吸を整える律子の瞳から、涙が溢れて零れ落ちた。
再びめぐみの顔を覗き込む。
恥ずかしさや罪悪感、自分自身への戸惑いが立ち込めて胸に詰まり
その全てはめぐみへのどうしようもない愛しさに押し流された。
心から、めぐみを愛している事
わかるのはそれだけで、そのたった一つの答えに、律子は縋るしかなかった。
「めぐちゃん…」
涙を拭いながら、めぐみと同じように自分も毛布に入ると
律子は夢も見ずに眠りに落ちた。
起きている現実にこそ、夢のような愛が存在していたのだ。