ダンと久しぶりに生活し始めて数日、

ダンが庭の草刈りや

日を遮るほど成長してしまった木をスッキリと剪定してくれた。

本当だったら、すごくありがたくて、感謝が溢れる出来事なのに、

なぜか私の心は冷めている。。。

 

 

そして、さらにそのままダンが晩ごはん作りをし、

「疲れた~!」と言って、お風呂に入った後、

突然、寒さを感じたらしく、

お風呂から上がって熱を測ると、38.5度もあった。

 

 

ダンがそんなにがんばっていたその日、

私は何をしていたかというと、

あまり体調が良くなかったため、

家では横になり、

 

 

近所のマッサージサロンを予約して、

90分のマッサージを受け、

 

 

帰ってきてからも、何もやる気力もなかったので、

ドラマを観たり、ゲームをしたりしていた。

 

 

フルでがんばってるダンと、何もしていない自分を比較して、

がんばっていない自分はダメだとジャッジしそうになった。

だけど、イヤイヤ、私は今は何もしたくないんだから、これでいいんだと

心を建て直した。

 

 

そして、夜、ダンが熱を出してしんどそうにしているのを見て、

ダンと一緒にいた頃の自分を思い出した。

ダンがしんどそうにしていても、

なぜか親身に、看病したいと思えないのだ。

最低限のことはするけど、という感じになってしまう。

 

 

ダンと一緒にいて私が感じてしまうのは、

がんばってるから、褒めてほしい、認めてほしい。

しんどいから、かまってほしい、優しくしてほしい、愛情を欲しい

という類のエネルギーで、

それがかえって、私をダンから遠ざけてしまうというのか、

ダンに対して優しくすることから遠ざけてしまうような

そんな感覚なのだ。

 

 

だけど、私も、弱ってる人に対しては、

もっと優しくありたいという思いもあり、

だけど、なぜかダンといると望まない自分になってしまうこともあって、

ダンといる時の自分自身が好きじゃなかったんだと気づいた。

 

 

目に見える形としては、

すごくダンから与えてもらってるけど、

目に見えないエネルギーの見返りを

すごく期待されているような、そんな感覚なのだ。

 

 

じゃあ、私はどうありたい?

誰かに期待されようとされまいと、

やはり自分の気持ちのおもむくまま、

自分の好きな自分自身であり続けたい、

 

 

今回みたいに、イヤな自分が出てきたとしても、

なぜかそうなってしまうのだとしたら、

それも自分なのだと、

自分の一部なのだとジャッジすることなく

暖かく包み込みたい。