今日はここでやめると言いましたが,,,,,,,

 

安定の死にたいいいいいいいいが来ていて、でも次自殺未遂したら入院って言われてるので今は理性で頑張っているんですけど、本当に死にたい。うん。朝日迎えたくない。でも入院したくない。さらに今日は両親がいる(両親のことについては後ほど言及します)。今日はひたすらアメブロ記事作って耐えます。耐えれるかなあ?

 

さて、前回の記事でリストカットのことを両親ではなく担任の先生に相談した理由。それは

     

         両親への信頼が私の中でなかったから。私の中で両親をシャットダウンしていたから。

 

プロフィールでも言及していましたが私の母は私たち(妹がいます)が将来自立して一人でも暮らしていけるようにと幼いころから英語と算数を勉強させたりと教育熱心なママでした。ここだけならあーそういうお母さんなんだで済みますが、私の母はその思いが強いが上に勉強ができないと、怒り、お前はバカだアホだと罵り、頭を叩いたりと暴力を振るわれていました。今でも鮮明に思い出します。しかし、それ以外は優しく料理が上手でセンスの良い服を私たちに着せてくれたり自身もそうでした。きっと愛情の裏返しなんでしょうね。今ではそう思います。

 

ですが、私自身もそうですし、私より出来の悪かった妹がひっきりなしに叩かれないてわめいている姿を見ることで叩かれたくない、完璧に勉強をしなきゃという思いが強くなり私の中で完璧主義が出来てしまったのも事実です。

摂食障害になる原因は医学的にはまだ解明されていませんがダイエットはきっかけであってその前に準備因子として幼少期のトラウマや完璧主義が原因の可能性があるとのこと。

 

幼少期のトラウマとして私の頭の中に浮かんだのは母からの一種の教育虐待の他に、もう一つありました。それは両親の仲です。

 

私は父が家から離れた勤務先で働いているので平日は自宅から離れた勤務先の近くに住んでいてもの心ついた時から土日しかいませんでした。そんな父は土日を私たちと最大限にいようと様々なところに連れ出す計画を立てていました。父もまた深い教養がある人なので私の住んでいる県の歴史遺跡をめぐるツアーに連れ出すてくれたりなど今でも心に残っているものが多いです。しかし、そこに母の、勉強できてないから、そこに行ったらだめだ!家で勉強しろ!っと父の計画を曲げるような出来事がなんどもありました。また、せっかくゆっくり休める土日なのに子供たちがひっきりなしに泣いているのも嫌だったんでしょう。両親は子供たちの勉強方針について、果ては勉強に使うお金について言い合いをし一時は離婚寸前までというほど仲が悪かったです。

 

幼いながらも(多分10歳とかかな)私たちのことでパパとママが仲たがいしているということは分かったし、妹は精神年齢が幼かったので自分がなんとかしなきゃという思いが強く、いつも両親の顔色ばかり伺って心のそこでびくびくしていました。

 

 

あの卒業式の日。自分の病気を初めて呪った日。摂食障害になった理由を考えたらどうしてもこのことが頭から離れなくなりました。拒食の時も何でそんなのしか食べれないのと泣いて聞いて私を困らせた日々が頭から離れなくなりました。

 

もちろん私のことを一番心配してくれているのは両親だと頭では理解しています。でも、私のわがままの部分がどうしても両親を許せなくなったんです。私の中で。何で、幼いころからそんなに厳しかったのか。何でそんなにわかりやすく喧嘩してたのか。私たちの気持ちを考えたことはあるのか。心配だといえど病気の私をさらに困らすようなことをしたのか。

 

けして表にしてはいけない感情だと思います、だって愛はあるはずだから。すべて愛の裏返しの出来事だから。でも私のこの静かな怒りは今でも収まっていません。理性を上回る怒りが私の中にあることに自分でも少し驚きますがその思いを理性で抑えなきゃという思いもありません。

 

両親はリストカットのことを最初に担任に相談したことにショックを受けており18で家を出たいという私に許可は出しています。なので後2年の辛抱だと思い両親との生活を我慢していますが,,,,,,,

 

さてここでリスカだけで済めばよかったのですがそうはいかず、、、

 

ではまた次の記事で👋