今日本人が思い出すこととして

Airiさんのブログでもアップされていますが

 

 

 

3.11から12年経ったこの日、皆で集い祈りを捧げました。

被災の多い日本ですが、そこには単に犠牲的な意味があるのではなく

日本人一人一人が向き合うメッセージが込められてある事を振り返っています

 

 

 

2011.3.11のこの日の冥王星のシナリオというのは

『神を思い出す』というシナリオ

 

 

 

それを象徴するように、東日本大清震災では

この世界を表す二元性の原子力と地震が同時に起きたのも偶然ではなかったのだと思います。

 

 

 

日本の被災者たちは、はそういった苦境の中においても争うこともなくお互いを思いやる姿があり、

日本人が持っている人を思いやる気持ち、優しさ、調和そういった姿を世界中へ届けることなりました。

その姿に世界中の人は神の国を見たと言います。

 

 

 

そして世界中の人が日本へ祈る姿がありました。

それはまさに宗教宗派を超えた純粋な祈り

そのものであったのではないでしょうか

 

 

 

あれから12年、0スタートなるところから

犠牲的な役割を担ってきた歴史と、日本が持つ傷を超えて

進べき道は

人と神とが生きる新しい世界を創り出すこと

 

 

それは日本人がなんとなく大切にしてるもの

全てのものに宿る命を見れる感性や

初詣も七五三もクリスマスも宗教の隔たりなく

あらゆるものを受け入れ楽しむ心

偏った宗教の教えに染まらない自由な心と純粋性

特定の宗教宗派に縛られていない日本人は

神を無条件に信じることには一番近く

目覚めやすい民族であると伝えられています。

 

 

人が神と生きること、そして向かう先には

神がこの世界と人間を創り出した理由であり目的である

無限・無条件の愛(光命愛)を創り出すポテンシャルがあります。

 

 

日本という特有の国に生まれたことは偶然ではなく

そういった役割が一人一人にあるのです。

 

 

震災から12年の0スタートから今度は

日本人が新しい時代の先駆者として再スタートしなければいけないことを

伝えられているようであります。

 

 

父と子と精霊の無条件の愛のMaria Trinity