みなさんこんにちは⸜(๑’ᵕ’๑)⸝

昨日日本からバンコクに戻りました。

 

帰る数日前には、散々なことがあって、気持ち的にバタバタしていたのですが 笑

どんなことだったかはコチラに載せてます 興味があればぞうぞ気づき

 

 

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ところで、毎年この時期に日本に帰るのはマリアトリニティのイベントに参加するためなんですが

今年も準備からイベントに参加させていただきました♡

 

 

トリニティに出会い「無条件の愛の子宮」というものを知ったのだけれど

当時子宮にいろんなものを詰め込んで、しっかり蓋をしていたわたしは

目に見える何か楽しいことやワクワクを探していて

いつも意識が外に向いていたような。

今思えば色んなことが浅かったし

自分との繋がりもパートナーや愛を育む関係性も結構表面的だった気がします。

 

 

 

子宮に色んなものを溜め込んでだわたしは

闇とは対局の光を求めるかのように

「無条件の愛の子宮」に憧れを持ってそれを生きようってスタートしたのがトリニティを生きる始まりですが

 

 

 

無条件て光と闇とか自分と他者とかの対局を持たない領域だし

とすると子宮って誰もが女性のもの、肉体、命、を想像するだろうけど

既にそれは有限でしかないし無条件には程遠い。

 

 

 

じゃあ無限無条件てなんなのさとなるけれど

いくら説明しても論理つけても分かりっこないよね

だって人は無限を生きたことがないし

有限しか知らないから

 

 

という前置きが長くなってしまいましてが

無条件の愛の子宮の聖地である八ヶ岳に行ってきました。

 

 




 

これまで何度も書いていていますが

 

◆光と闇の二元性に縛られている有限の光

◆過去と未来の狭間に縛られている有限の命

◆自分と他者の狭間に縛られている有限の愛

 

 

を生きているから

無限の愛や永遠の命を求めたくなる

 



それは

光と闇の二元性、過去と未来の時間、自分と他者の狭間に在りて在るものなのだけど

もっと言えば

 



男性性と女性性の交わり

人と人との交わり

人と神との交わり

 



その狭間に在るもの全てが無限かつ無条件の愛そのものだから

 

 

 

有限に縛られた光、命、愛を超えて無条件そのものの存在と共に創り出し生きていけるのが共同創造のこの時代

 


 

共同創造の外在化がこの地八ヶ岳から創り出されています

 


 

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 続く