先日、リチャード・ドーキンスさんという方のトークをポッドキャストで聞きました。

リチャード・ドーキンスさんは、世界的に有名なイギリスの進化生物学者、動物行動学者で、「利己的な遺伝子」という本が有名です。

「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」
という彼の言葉は、当然のことながら宗教家たちの激しい反発に合い、多くの人に衝撃を与えました。

「Outgrowing God」という新刊を出したドーキンスさん。
今回のトークでは、無神論者として、世界の様々な宗教についての見方を話していて、興味深いものでした。

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外国の人と話をしていると、「Are you religious?(信心深いですか?宗教心はありますか?)」
と聞かれることがよくあります。

日本では宗教のことが話題になることは少ないですが、私は実際日本人の友人と宗教の話になって、その後友情が終わったこともあります。

「神様を信じているか?」と聞かれて、
「特に信じていない」と答えたのが友人の気に障ったみたいです。


私自身は、生物進化論を信じているので、どちらかというと無神論者だと思います。

正確に言うと、特定の宗教や神は信じていないけれど、基本的にこの世界は何でもあり、と考えています。
私自身には認識はできていないけれど、人間を超える何か大きなものが存在しうると思っています。

英語には便利が言葉があって、そういう人のことを「agnostic(不可知論者)」と言います。





他人を変えることはできない、と基本的に考えています。

だから、人と意見が違っても、個人的には議論はしないことにしています。

たとえ、正論や証拠をズラリと並べ、その場では言い負かしたとしても、相手が意見を変えるとは思わないからです。

何かを信じるというのは、どちらかというと感情的な要素が大きい。


人はそれぞれ、自分が信じたいものを信じるし、好きな意見を持つことができる。

どれが正しいとかどれが間違っているというのは、時代や場所や所属するコミュニティーが変わるだけで、ひっくり返る場合がよくある。


相手が自分と意見が違うということは、そのまま受け入れます。

そうか、わたしとは違うこういう意見を持っているんだな、と思って、以上おわり。


進化論を信じる無神論者的回答が、友人の気に障って、たとえその後縁が切れたとしても、それはそれで仕方ない。

正直な自分を出して、受け入れられる場合もあれば、反発を買う場合もある。

考えてみれば、どちらも、とても人間らしいというか、感情的な人間味のある行為ですよね^^

私たち人間の歴史から見て、みんなが1つの世界観を共有し同意することなんて、あったことがないのだから。
 

 

進化生物学者、動物行動学者リチャード・ドーキンスさんとのトーク
Joe Rogan Experienceより