億女大学❤️の
母親の呪縛と
父親への復讐のつづき♡デス
そもそも
生きてきた中で
父親に反抗してきたことが
なかったことに気づいて
アラフォーになってから
小さな反抗期❤️を
迎えたことを
書いてみたいと思います💕
私は福岡生まれの福岡育ち。
思い返すと
食事のときは
必ずお父さんの帰りを待ってから
核家族5人みんなが揃って
食事をしていましたが
いつも食べる前になると
お父さんが私のことを
ディスってきて
マウントしていたのです
私はそのたびに
食卓の場に居られなくなり
自分の部屋に駆け込んで
よく泣いていたのを覚えています
サザエさんや
ちびまる子ちゃんみたいな
家族団らんは無縁だったのです。
このころから
居場所がなくて
ココにはいられないと
思っていたんだなぁと
切なくなりますね
この時代の
強く怒るエネルギーが大嫌いで
よく感情的に怒られるたびに
『なんとか言いなさい』って言われても
何も言い返せずに
ことばがどもって
『イヤだっ』っていう言葉さえも
口をつぐんで出てこなかったのです。
どちらかというと自閉症ぎみで
お母さんも心配していました。
それと
お兄ちゃんからも
謎にドSのように
フルボッコされていて
発達障害なのは
そのせいにしとこ
ちなみに
お姉ちゃんは
正義感や責任感が強くて
そんな両親を人前でも
よく怒れるタイプのひとだったので
ずっと、
スゲーなってみていましたw
高校生になると
家族の仕事や夜勤で
コミュニケーションがとれなくなって
なんなら
家族機能不全なときもありました。
話は変わりますが
アラフォーになってから
元旦那さんが
MLM
というものにハマり
一緒にかじってはみたものの
なんせ
男性社会のわちゃわちゃに
ついていけず
元旦那からも
ずいぶん助けてきたつもりなのに
蹴落とし
マウントを受け
武将♡ごっこにも
ついていけず
落ち武者になっていました
このときから
やっぱり私は
社会不適合者だったんだなぁと
つくづく自覚するのです。
そんなとき
なんで愛されないんだろう
なんで大事にされないんだろうと
そのことがきっかけで
自分と向き合うことになりました。
男のひとが
本音を言ってくれないから
自分で情報を取りにいって
出逢ったのが
ぢんさん❤️だったのです
私の中では
自分のことを知ることは
ぢんさん❤️が登竜門でした
自分のゲスさに気づくたびに
パッカン❤️パッカンして
迷惑をかけてはいけない
失敗してはいけないと
動けないでいたけれど
どうせ嫌われているんだから
言ったことないことを言ってみたり
やったことないことをやってみたりと
チャレンジをしていくたびに
コワいと思っていたことが
意外と大丈夫なんだということに気づき
だいぶ時間はかかりましたが
少しずつ免疫がついてきて
どんなクズな自分でも
堂々とココにいてもいいって思える
自分でいられるようになってきました。
ぢんさん❤️で証拠集めして
ぐるぐるしちゃうときは
ナリ心理学の
ナリくんでパッカンすることも
ありました
そんなある日
実家へ帰ると
お父さんが
グチグチ言っていたので
『またなんか言いよる(;¬_¬)』って
思っていましたが
ふと
ちょっと待てよ
『アレっ、これずっと
小さいころから言われてきたヤツじゃね?』
と気づいてハッ
遡ると
ずっと我慢して
苦笑いして
傷つかないようにして
無視して逃げて
ごまかしてきていたら
不感症になっていたことに
たどり着いたのですイタイ
しかも本音でも
切れ味悪いから胸クソ悪いの。
そして
「これが言い返さないから
つけ込まれていたヤツだ」と見抜き
面と向かっては
言えなかったけど
玄関越しに
【うるせーなハゲっ】って
言ってみたのです
そしたら
そんなこと言っている自分が
おかしくっておかしくって( *´艸`)笑
その日は
ピンポンダッシュみたいに
言い放って
逃げるように帰りました
数日後にも
実家に帰ったときに
またゴチャゴチャ言ってきたので
【オメーもなっ】って言ったら
おとんが笑っていました(≧∀≦)w
なんかしらんけど
そうやって言い返したら
何も言われなくなったのですキョトン
まだまだ
タイマンをやってこなかったから
ひとの縄張りや境界線がわからず
引き際もわかりませんが
よく【フザける】が
できるようになってきました
なんなら
その年の
私の誕生日に
娘から
父からの温かい
お祝いメッセージの
動画が送られてきて
私の反抗期は
おわったのです
次は
小さな仕返し❤️を
書いてみたいと思います💕