今週もお疲れ様でした。


この頃病弱だった父の事をよく考えます。


病弱だった為に命拾いした事もあります。


戦地で敵陣に奇襲作戦を遂行するべく小さな沼に夜中まで潜んで父は風邪を引いて高熱が出て戦地の病院に入院。


父が入院している間にその部隊は全員戦死したそうです。


そんな父ですから結婚して間もなく当時不治の病の結核に罹患。


その時は母が治す為に奔走したのでしょう。


母が父を毎日のようにお灸をして結核菌を暴れないように固めたそうです。


家の中は当時お灸の匂いでプンプンしてました。


寂しがり屋の父の発案で、病気をすると茶の間にでんと布団をしいて皆で顔を覗きこんで励ますのです。


父と私がよく励まされたものです。


ある時父が風邪をひいて咳のたびに鼻血が

小さな容器に貯まるぐらい出るのです。

そんな日が何日も続いて私は心配で堪らない気持ちで学校から家に帰る道が遠くに感じたものです。


その時も母が奔走してドイツ帰りの名医を探し出してきて鼻血がピタリと治って家族皆んなでホッと胸をなでおろしたものです。


父が60過ぎから持病の喘息が悪化した時は母と姉達と交代で蒸しタオルを喉にあてたものです。


母が父に尽くす姿を見て育った私達には極々自然にそうするものだと思っていました。


父も入院をとても嫌がっていましたから。


自宅療養が出来なくなったのは父がB型肝炎になり、黄疸が出て父は観念して入院しました。


12年入院しました。


母は簡易ベットで寝泊まりして、病院では名物夫婦だったみたいです。


夫が初めて病室の父を見た時放った言葉が

「随分我儘なお父さんだね!」でした。

私はその言葉を聞いて思いもよらない言葉だったので「えー?」と思ってしまいました。


小さい頃から父より一回り若い母が父に尽くす姿をごくごく日常にみていましたから

それが当たり前と思っていたのです。


母に尽くされ幸せな父は入院中に末期の肺がんで余命半年と言われてましたが

11年生きてくれて最後は老衰で亡くなりました。


余談ですが、母があまりに父が身体が弱いので父が40代の頃によく当たると言われる占い師さんにみてもらったところ、「この人は弱いけど長生きするよ」って言われたそうですキラキラ



(画像はお借りしました)