毎年恒例の春の全国交通安全運動の期間ですね。

 

毎年、春と秋の二回10日間行われていて強化期間中は検問があったり、交通違反の取締をやっていて少しいつもより少し混雑する期間だったりすると思います。

 

この全国交通安全運動は、内閣府によると『広く国民に交通安全の思想の普及・浸透を図り交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣つけるとともに、国民自身による道路交通環境の改善に向けた取り組みを推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的とする』とあります。

なので、車だけに限ったことではなく歩行者や自転車も含まれるということです。

 

 

私はトラック運転手をしていましたが、その仕組みは、おかしくないかい?と思うことがありました。それは、乗用車にぶつかられたときの事故割合です。乗用車同士なら、走行中でも相手がセンターラインを越えてぶつかってきたとなると10対0になりますが、大型トラック対乗用車となると最低でも1対9となります。大型トラックの割合が0となるのは停車中のみとなります。なぜ、こんな割合なのかというと、運転のプロということで、乗用車の面倒をみてあげなさいとの理由だそうです。

これは、私が運転手を始めたときの指導員から聞いた時には、そんな理由!なんて驚いたものです。しかし、考えてみれば人生において、普通免許は必要だけど大型免許はなくても困ることはないと思うとなんだか納得する理由でもあると思っています。

 

 

また、近年ではスマホの普及により、運転中でも使っていて事故になるというケースも増えています。これは、自動車だけではなく自転車もです。自動車ならまだ自分の身は守られますが、自転車では身を守られることはありません。

自転車は免許もなく乗れる一番身近な乗り物です。なので、危ないという感覚は非常に低いように思います。

私は高校時代は自転車通学をしていましたが、当時は危ない乗り物と認識することはありませんでした。路肩部分が狭く走りにくいところなどは渋滞中の車道のセンターラインなんかも走ったりしていたりと今、思えばヒドイ運転をしていたものです。

 

 

車なら止まれの標識があるところで、いつも来ないからと止まらずに出たら、出会い頭の事故になりそうだった、歩行者ならスマホに夢中になって車にぶつかりそうだったけど運転手が気づき止まってくれたなど危ない目にあったことはあると思います。これは、私が運転中にぶつかられそうになった経験、歩行者に気づき止まったために事故になることはなかった経験です。

この、私と反対の経験をされた人もいると思います。危ない目にあったことがない人は私も含めいないと思います。

 

そう思ったら、どんな立場であっても交通ルールを守ることは自分を守ることですし、それだけではなく他の人の安全にもつながると思います。

 

皆さんの安全を願っています・・・。

 

 

 

 

 

先日、アメブロを開いたら「今日の格言」とあったのでやってみました。

そうしたら、この格言がでてきました。

 

なんだか、今の私に必要なことだと思いました。

 

私は、パートでフルタイム勤務、以前の勤務先は車で30分程度でした。しかし、その勤務先も業務提携をしていた先の方針転換により業務継続が不可能となり

会社都により退社か転勤となり、私は職探しをせずに転勤を選びました。

 

以前の職場なら、通勤途中に用事も済ませられることもあり、休みの日にやることを少なくすることができました。しかし、転勤先は私の使っている銀行やスーパーなどと逆方向にあり、通勤の途中に用事を済ませることができなくなりました。また、転勤先は、同じ会社でも業務が違い仕事のボリュームもあり、残業もほぼ毎日で睡眠時間が削られていて、以前のような生活ができていない状態です。

その結果、休みの日には、毎週とまでではないですが予定がパンパンになります。

夫も「用事を詰め込み過ぎ」と言うほどです。

頭の中では、一瞬「お前に付き合わなければ詰め込まねえよ!」と言ってしまえと悪魔が囁きます。しかし、私の天使が「あなた、言いたいのもわかるけどそれは禁句よ!」と私の中でバトルが始まります(笑)。で、どちらが勝つのかというと天使です。天使が勝つ理由は、また改めて書きたいと思っています。

 

このような状態の生活に余白をつくるのは、正直なところ家事を放棄することが関の山です。しかも、そんなパンパンであれば、何も入る隙がないと思っています。

それは、休みの日にあちこち買い物をして、もう荷物が持てない、だけどまだ買うものはあるから行かなくちゃ!なんてたくさんの荷物を持ったまま、次の店に向かう、そんな状況と似ていると思います。

また、ほかの方がブログで『運が来ていても満席状態なら、運もスゴスゴと帰るしかない』というのを書かれていました。確かに両手いっぱいに抱えていたらチャンスを掴むことはできないですし、チャンスの神様は前髪ほどしかない、というのも聞いたことがあります。そう考えるとチャンスの神様をつかまえるためにも、アイディアを生むためにも余白は人生に必要なことだと思います。

そして、なにより自分の心が穏やかであるためにも余白をつくることをしたい、そう思います。

 

皆さんも、素敵な余白時間ができますように・・・。

 

 

今日も、デザイン幅表示で書いていますが、段落がおかしく読みにくくなっています。直し方が分からずそのままの投稿になります。申し訳ありません。

 

 

 

 

 

 

 

もう3月も終わりとなりますね。

4月から新年度スタートで何かと変化が多い時期となります。そう書きながらも、私は何も大きな変化はなく過ごします。

なぜなら、パートで働いていますが倉庫で働いていますので人は万年募集中、子供もいませんので進学など一切関わることがないからです。

高校を卒業し、2~3年は新しいことのワクワク感がなく寂しいと思ったものです。

 

さて、タイトルを『自分を褒める』に決めたかというと、新年に立てた目標の1つに週1回ブログを書くというということを決めました。そのブログを何とか3か月継続できました!イエーイ!

オイオイ!週1のブログで喜ぶんじゃないよ!と聞こえてきそうですが、それでも私は自分を褒めることをします。新年の目標を少しでも継続しているからです。

 

こうして、何とか継続できることができたのは、ハードルを下げたことです。今だからハードルをさげてできたことを小さく喜ぶことにしていますが、子供の頃は目標なんて意味がないと思っていましたし大人になってもしばらくそう思っていました。それは、一度も達成したことがなかったからです。

 

学校の先生は夏休み前になると「夏休みの目標を立てましょう」なんて言います。子供なので素直に立てるものの毎年達成することなく夏休みも終わる、自分は何も達成することができないんだと思っていました。しかし、今、思えば目標の達成の仕方がわからなかったし教わることもなかったように思います。それでは、目標達成しなくて当然だと思いますし、目標なんて意味がないと思うのも仕方なかったと思っています。

目標は大きく!なんて先生も軽々しく言ったものだと思います。いや、時代がそうだったのかもしれません。なんせ、詰め込み教育の世代ですので自分で考えることなんてありませんでした。学級会で何かを決めるときには、少しヤンチャな子や人気のある子が意見を出したら何も考えずに「いいでーす」となり俗に言う普通の子の意見は無視とまではいかないけども、一応、形的に受付ましたのような感じです。

また、なにが一番怖いかというと、目標達成できなかったことにより、自分で『自分はダメだ』と呪いをかけ続けていたことです。子供の心は素直なので、そのことが大人になっても続いてしまうことが問題なのだと気づきました。

 

その、時代のせいばかりにして文句を言っても仕方がありませんので、自分にかけた呪いを解くことは、自分にしかできないと思っています。そのためにも、小さくてもできていることに目を向けて自分で自分を褒めることだと思っています。そして、幼い頃の私を責めることなく、あの時のあなたがいたから今の私がいる、目標達成の仕方も学んだよと伝えてあげたい。

 

私、がんばってる!エライぞ!この調子でがんばっていこう!

 

皆さんも、自分を褒めてくださいね!

 

 

 

 

 

今回は、この記事の続きの内容です。

この記事の下の方に『思考と行動を止める三大言葉』と書きました。

私は『普通、皆が言っている、昔から』のこの言葉は思考と行動を止めるのではないかと思っています。

貼り付けた記事に普通については書きましたので『皆が言っている、昔からそうだから』についてです。

 

『皆が言っているよ』と言われた経験は、誰しもあると思います。特に子供の頃は使っていたと思います。また、学校も、皆同じようにとされてきたのでそれが当たり前のこととして教育しているので疑問をもたずに過ごしてきたと思います。もちろん、私もそうでした。大人になり色々と経験し自分がやろうとしていることや、やっていることに、ケチをつける人は必ずというほどいるということも知りました。

私は以前、皆が言っているよと言う人に、一度だけ「誰が言っているの?」と聞いたことがあります。聞かれた人は、3人程度の名前をあげ「他にも言っている」と言うのです。私はすかさず「他は誰?」と聞きました。すると、名前を言うどころか一瞬黙ってしまい、話題を変えてきました。

その時に『皆って、言うけど多くても3人程度で皆になるんだ』と思いました。

 

そして、『昔からそうだから』も同じように経験していることだと思います。特に仕事の時に「昔からそうなんだよね」なんて言われてしまうと「あ、そうですか」と言ってしまったことがあると思います。これまた、私も経験があります。社会に出てすぐの頃は、何もわからないので「昔からなら仕方ない」なんて思っていました。

しかし、社会に出て30年以上、人間関係もそれなりに経験すると「いつの時代ですか?」とツッコミどころ満載だったりします。

また「昔から」の言葉の裏には『前例がないからダメだ』という意味が隠されているように思います。前例がないから、本当にダメなのか?というとNOです。

 

私は、タンクローリーに乗っていましたが「女はダメだ」と言われていました。なぜダメかと言われていたかというと、意外と大変な仕事で男の人でもへこたれてしまったりするのです。そんな中、私は約13年続けました。また今も女性の採用は続いているそうです。

こうした、前例を作った経験から「昔から」も怪しいし、なければ作ればいいと思うようになりました。もちろん、皆が皆、会社に影響を与えるような前例を作れることはないと思います。ただ、小さくても何かできると思います。

 

このように『普通、皆が言っている、昔から』の言葉を言われてしまうと「普通にしないと」「皆がOKしないと」「昔からなら変えられないか」と以前の私はこのように考えて、自分で考えることもなく行動もしないことが多かったです。そして今は、この経験から『思考や行動を止める三大言葉』だと思うようになりました。また、普通じゃなくていい、皆が言っても私の人生、昔からっていつから?と思い若い頃より行動ができるようになりました。

 

皆さんも、皆が言っている、昔からだから、など言われることがあったら「それ本当?」と自分に聞いてみてください。正解はありません。それは、顔が違うように考えが違います。自分で考え出ることが大切です。

 

皆違ってOKです!

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、今、チャレンジしていることがあります。

それは、ファイナンシャルプランナーの資格取得に向けて勉強をしています。

なぜ、ファイナンシャルプランナー(FP)なのかというと、在宅ワークで独立しやすいと思っているからです。

世間的には、誰でも簡単に取れる、独学で三ヶ月もあれば取れる!なんて言われていますが、かなりのボリュームでフルタイム勤務の私は、かなり時間がかかっています。自分でも、今年の試験最終月の5月に間に合うのか!?と思いますが、ここで宣言したので間に合わせます!

 

本当は、昨年のうちにFPの資格を取る予定でしたが、このFPの資格は1年通してやっているのですが切り替わりが、1月から12月の1年や4月から3月の年度ではなく、6月から5月となんとも半端なのです。なんでこんなに半端なのかと思い読み進めると法律の関係上この期間での試験ということでした。

私は、それを知らずに参考書を買い、読み始めたらどうやっても間に合わないと思い、最新版を購入し今にずれ込んでいる次第です。

 

資格は要るのか、要らないのかという内容を書きましたが、私は自分が在宅ワークのために必要な資格だと思いチャレンジしています。今は、資格がなくてもネットが普及したおかげで色々なことが可能となったと思っています。特にコンサルタントは個人的には多くあるように思います。特に資格も不要で『私、コンサルタントやっています』と宣言してしまえばコンサルタントとして成立します。誰かの困りごとに寄り添い、一緒になって考え解決することは素晴らしいと思っています。ただ、その解決策が、自分の経験だけを元にしてだけのコンサルタントだと、行き詰ってしまうのではないかと思っています。自分が経験していないことには薄っぺらい解決策になり相談相手また同じ問題に当たってしまうのではないかと思っています。

もし、私が何かを相談したいと思うなら、経験したことにを話してくれるのも大切だとは思いますがやはりプロに聞きたいと思います。それは、経験とはその人の経験であって似たことはあっても自分に同じことが起こることは限らないですし、その人はたまたまその方法でうまくいったかもしれません。そして、よく聞くと思いますが「餅は餅屋」です。困った時には専門家に聞くことによりヒントをもらいベストの解決策を考えられると思うからです。実際、私もあることを専門家に聞き少しずつ改善している途中です。

そう考えたら、自分に役立つこと、人にも役立つことが在宅ワークのポイントになるのではないかと思いFPの資格のチャレンジにいたりました。

ここで良い報告ができるようにがんばります!

 

皆さんもやりたいことにチャレンジできますように・・・。

 

 

 

 

 

 

先月に選挙が行われ自民党の驚くほどの圧勝でしたね。比例代表の人数が足りなく

結局12議席を他の党に譲るなんて事態も起こりました。

投票に行かれたでしょうか?私は選挙権を得てから、毎回投票に行っています。ただ、投票は、日曜日なので毎回期日前投票をしています。

今回は自民党というよりも高市首相の人気で自民党から立候補した人は当選されたのだと思っています。SNSでは、さな活が盛んで『地元の自民党の候補者は嫌いですが、さなのために自民党の候補者の名前を書いて高市早苗と読んで投票してください!』というような内容を見ました。思わず、吹き出しましたが感心しました。投票にいくことを勧めている投稿でしたので、どんな形であれ投票に行きましょう!と呼びかけということで感心しました。

 

さて、投票に行くことは大切なことではありますが、投票後の議員の行動を見ることも実は大切なことです。多くの人が、高市首相が日本を変えてくれる!と希望をもっていると思います。私も小さいながらも良くなっていくことを期待はしています。しかし、そうでないこともあるということを頭の片隅にいれておかなくてはなりません。それが『緊急事態条項』に関することです。いまや名称変更をして『国会維持機能』などになっています。戦前には緊急事態条項に似たものはあったようです。また日弁連なども声明を発表しています。こうした動きにより名称変更したのではないかと思います。少し調べるだけでもたくさん出てきます。しかし、少しわかりにくいところもあったり、私もうまく文章にできないところもありますのでワタナベ薫さんのブログをリブログしましたので、お読みください。

 

こうして、政治の話しとなると難しいし、投票に行ったからいいじゃん!と思ってしまいますよね。若い頃の私もそうでした。しかし50目前になり今の安心、安全は戦争で犠牲になった方々の上にあると思うと無関心ではいられないと私は思っています。私には子供はいません。しかし勤務先には、私が子供を産んでいたらいるだろうという年齢の人達がいて『この子達が、私の年齢になったらどうなってしまうのか』と考えます。そうすると、やはり今よりも日本がより良くなってほしいと願うばかりです。

 

政治に関しては難しいと思う方も多いと思います。私もそこまで詳しいワケではありませんが、気になることは今の時代は調べることが簡単になりましたので調べます。ただフェイクニュースなどもありますので何が本当かわからないこともあると思います。それでも、調べることで本当のことも見えてくるかもしれません。また、調べることで難しいと思う気持ちや無関心からの卒業だと思います。小さいことですが、まずは知ることをお勧めします。

 

少しでも政治に興味がでますように・・・。

 

 

 

つい先日、仕事の休憩時間にふと思ったのが『もう反面教師よりロールモデルを参考にして生きてもいいのではないか?』と思いました。

 

私は、今年の誕生日を迎えると50歳になります。今や人生100年と言われる時代の折り返しとなります。本当に100歳まで生きる保証は、何一つないですが・・・。

日々、勉強とは思っていますので反面教師も大切なことの一つであるとは思いますし実際、20代、30代の頃は人生の先輩方を見て、こんな大人にはなりたくない!と思うこともありました。しかしあと50年も反面教師と向き合っていて楽しい人生か?と自分に質問をしてみたら楽しくないのではないか?と思いました。

 

ロールモデルとは、私の幼い頃には聞いたことがなかった言葉でしたので、調べてみたら意外と古くからある言葉でした。『1940年代にアメリカの社会学者のロバート・K・マートンさんという方が提唱した「特定の役割における模範となる人物」という概念で1970年代の女性の社会進出に伴い注目され始めた』とのことでした。なので、元々は仕事における自分のキャリア形成の指標としての定義だったのですね。それが、いまや仕事だけではなく人生にも必要との考えに良い方向性でも広がっている、そう思いました。

 

そんな私のロールモデルは、メンタルコーチのワタナベ薫さんです。私が、ワタナベ薫さんを知ったのは2013年に発売された『一週間で美人に魅せる女(わたし)の磨き方』という本です。私は、本が好きで本屋をフラフラしていたところ平積みされていて、ドドーンと置いてありタイトルと表紙の写真に惹かれて買いました。読んでみたらとても読みやすくあっという間に読めてしまい最後のページにブログもやっていることが書いてあり読みに行ったら、あら!こちらも読みやすい!とすっかりファンになりました。

正直なところブログやSNSなどでしかワタナベ薫さんのことは知りません。イベントで数回でお会いしたことがある程度です。本当に短い時間ではありましたがお人柄に触れ感動しました。またその数回お会いし印象に残っているのが、ワタナベ薫さんと握手したときにの手に驚きました。当時、筋トレを始めたとブログで書いていて、まさに筋トレの証のマメがあったのです。ただ情報発信しているだけではなく、行動されているんだと思ったらますますファンになり私は、ワタナベ薫さんをロールモデルにしようと思いました。

ここで、ワタナベ薫さんのブログのリンクを貼ることが、できればいいのですが、まだそこまで至らないのでお手間ですが検索するとでてきますので、検索してください。

 

苦しいことや辛いこともありますが、それなりに楽しく過ごしていますが、人生の後半戦は今まで以上に人生楽しく軽やかに、そして、しなやかにと思っていますし、そのうち苦しいことや、辛いことも笑い話になるそう思っています。

 

皆さんも素敵な人生となりますように☆彡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は『普通は○○ですよね?』と自分の考えなどを言われるとはい?普通って?と思ってしまいます。

 

普通とは、広辞苑によると『ひろく一般的であること、多くに当てはまること、どこにでも見受けられ、他と特に変わらないこと』と定義されています。

この定義には納得できます。

例えば、車を運転するのには免許が必要で免許がない人は運転をしてはいけない、これは広辞苑の定義に当てはまります。

しかし、個人の常識や考えの多くは、この定義に当てはまらないと私は思っています。それを表しているのが

 

『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである』

 

と、アインシュタインの言葉です。

私は、この言葉を知ったのは30代前半だったと思います。衝撃を受けましたが非常に納得しました。例えるなら、食べる物が一番わかりやすいと思います。ある家庭では、目玉焼きにしょうゆをかけて食べるのが常識で、しょうゆ以外はありえない!なんて思っています。しかし、ある家庭では目玉焼きには塩コショウで食べることが常識、塩コショウ以外ありえない!なんて常識の違う人が出会ったらお互いに非常識!なんて思うことでしょう。しかし、これ以外にも味付けの方法はたくさんありますので正解なんてあるわけもなく人の数ほどあります。結局は好みの問題ですので常識も非常識もないわけです。

それを踏まえた上で考えると上記に書いた定義に当てはまりません。

 

実際に私は最近会社の人とのやり取りの中でありました。『普通は○○でしょ?』と言われたので『あなたの普通は私にとって普通ではないので押し付けないでください』と冷静に返したら激怒しその後は、私をガン無視するようになりました。私はラッキーと思いました。その人は、人をコントロールしようとしているのがチラチラと見えていたのです。私は、そういう人とは関わりたくないのでそう思いました。

 

そして、このアインシュタインの言葉を知り色々と経験をし行きついたのが人の思考と行動を止める三大言葉の1つであると思いました。まだもう少し書きたい思いとあとの2つの言葉も書きたいところではありますが、長くなりますのでまたの機会にします。

 

考えに普通はなく人それぞれですので、惑わされることなく皆さんが心地よく過ごせますように・・・。

 

 

 

 

 

2020年に公開された映画、すばらしき世界を先日アマプラで見ました。

私は、ほとんど映画を見ません。映画館で見たことは、片手で収まるほどです。

夫は映画が好きなので、よく見ています。なので、お付き合い程度の片手間で隣に座り見ることが多いです。

 

すばらしき世界は、面白いというより、主人公の役所広司さんの演技に吸い込まれていき片手間では見られない作品でした。私は、映画と同様にドラマもほとんど見ることもありませんので、俳優さんの演技力というのは正直なところ、よくわかりません。だけど、この主役は役所広司さんでなければできなかったように思います。

 

この映画を見て、私が知らない世界は、まだまだたくさんあると思いましたし、とても考えさせられました。

実際の裁判は見たことがありませんが、正当防衛が過剰防衛となり売り言葉に買い言葉ではないけども誘導的な質問のようになり答え、罪になってしまうこともあるのかもしれない。そして、出てきたのは良いが仕事もないし住む所もない、生活に関することも変わっている浦島太郎のようなそんな状況下で人生を再スタートとは想像してもしきれない世界だと思いました。

また、この映画は実際にあった話しを元に作られたとのことで、主人公は素直過ぎていわゆる普通の世界の生きづらさと元の世界に戻るのか、人の優しさに触れ葛藤しているのもなんだか切なささえ感じました。

映画の終わり方も、一瞬モヤっとしましたが、その後のようなことを描かれても何か違うと思ったらモヤっとがなくなるほどの納得の終わり方でした。

 

また見たいか?と聞かれると、見たいけどすぐには見られない作品だと答えます。

 

皆さんに響く作品が見つかりますように・・・。

 

 

 

 

時間がない!と思うことは誰しもが思うことだと思います。

 

私も20代の頃は多用していました。それは『時間がない=カッコイイ』と思っていたから「○○をやりたいけど時間がないんだよね~」なんて自慢げに言っていたものです。今の私から見たら、ダサイぞとツッコミを入れたい感じです。

 

結論から申し上げますと、時間がないと言っているときほど時間はあり、時間がないときはその言葉すら出ないが真実だということです。

 

 

実際、私は経験しました。

 

私の母は、もう20年前に旅立ちました。乳がんが見つかり手術をしたり術後の体調不良や治療で入退院を繰り返していました。当時の私は実家にいて全ての家事は母任せ、やるとしたら洗濯物を取り込むだけで投げっぱなしと、まあひどいものでした。しかし、母が入院をするたびに、母が家に戻るまでと思いなんとかやっていました。そんな母が最期の入院、帰らぬ人となってすべての家事が私に任されました。当時は、運転手をしていましたので、父と弟との生活には時差がありました。そんな中で、不慣れな家事と仕事の両立をしざるをえませんでした。また、私の中で母と同じようにしなければならないとの思いがありました。そんな必死な毎日を過ごし2,3年経ったときに「お母さんと同じようにできないな~」と思った瞬間、私は「時間がない」という言葉を発していないことに気がつきました。

あんなにカッコイイ!と思っていた言葉を使っていない自分に驚きました。

 

そんな経験から、結論がでました。

今は、時間がない=やりたくない、なのではないかと思っています。ただ、たまに、やりたいことに時間が足りないと思う私も未だに顔を出してきます。しかし、そんな私が出てきたら、どうしたらできるか?と質問をします。そうすると案外色々とでてきます。もちろん、出てこないこともありますが・・・。

 

もし、時間がない!と思ったら、一度立ち止まり自分に聞いてみることをお勧めします。

皆さんが、やりたいことができる時間が増えることを願っています。