「誰も嘘をつかない社会がある」と仮定・仮設したならば、そこはとてもギスギスした社会になるのではないだろうか。美しく描かれた山の稜線であっても、そこには、実はゴツゴツした岩がたくさん転がっているかもしれない。それをなだらかな線にディフォルメすることは、たとえ嘘であっても美しい。

他方、「一般人の許容範囲を逸脱した嘘」もあり得る。この許されない嘘の典型例は、加害者のついた「嘘」によって被害者に「勘違い」させて、被害者が「自らの意思」で金品等を加害者に渡すという犯罪で、この「嘘と取得との間に因果関係のある場合」に(因果関係のない場合は未遂罪)詐欺(刑法246条)の既遂罪が成立する。このような場合、すなわち、自分の利益のために人をだますのは論外であろうが、たとえ「実害のない場合」であっても、「のべつ幕なしに嘘ばかり」という場合はどうだろうか?

このような場合、カントの「嘘をついてはならないという規範」は、嘘が信用を壊す、ひいては社会秩序を危うくするから完全義務であるという考えが参考になる。私は、「嘘をついてはならないという規範」は、たとえば「誰かを守るための嘘であれば、例外的に許容される」と考えているが、のべつ幕なしの嘘は、信用を壊すという意味で、社会秩序維持の観点から許されない嘘であろう。

したがって、①実害がなく、②目を覆うような真実をディフォルメするような美しく、③誰かを守るための「嘘」であれば、それは許容されるべき嘘である、と私は思う。