受苦日礼拝とは聞きなれない用語ですが
キリストの死に思いを向ける特別な日ということで、
ルーテル教会での礼拝に行ってみました。
今年は3月30日 金曜日。
プログラムは以下のとおり。
1 前奏
2 はじめの歌 讃美歌332番
3 聖書朗読
イザヤ52:13-53:12
ヘブライ4:14-5:10
ヨハネ19:17-30
4 説教 「イエスの死」
5 祈り
6 主の祈り
7 祝福
8 おわりの歌 讃美歌515番
9 後奏
こう書くとめんどくさそうですが、1時間足らずでした。
説教の要旨は聖書の朗読箇所から
「成し遂げられた!」という言葉は、イエスの完全な勝利の言葉である。
イエスの死により、わたしたちの罪は贖われた。
という点を強調するのみ。
ふだんの礼拝で行なっている聖餐式と献金は、この日はありませんでした。
感想ですが、何だかあっさりしすぎてて、ちょっともの足りないな、と思いました。
それに、出席者が少なかった。
金曜の夜で皆さん忙しかったのかもしれませんが、ちょっと寂しいですね。
そのいっぽう、イエスの死の意義に思いを馳せる、という点では、
ほかでは経験できなさそうな、静謐のひと時でした。
JWの場合、いちおうキリスト教を名乗っているから主の記念式
という名称を冠しているだけで
講話は、天的希望とか地的希望とか、だれが表彰物にあずかる資格があるか、とか、
記念式だけではダメだ集会に来い、とかいう余分な内容が主体で
あれでどうすれば感動や感謝ができるのか、見当すらつかん。
それに、式の前後がうるさすぎる。
姉妹たちが非信者のダンナさんを引き連れてきたり
長く不活発の人がなぜか記念式には来たりするので
きゃ~ 久しぶり~
来てくれたのねぇ~
あらぁご主人ようこそいらっしゃいました~ 記念式いかがでしたかぁ?
そして繰り広げられる撮影会。
アホみたいに浮かれる光景は下品で、昔から嫌いでした。
それと比較すると、教会の礼拝が物足りない、と感じましたけど、それは
礼拝の純度の高さゆえ
というふうにも言えそうですね。
これなら、都合がつけば毎年でも行っていい。
ということで、なかなか貴重な経験でした。
JWの記念式には、長老夫妻から招待状が届いたり
ある兄弟からメールが来たりしましたが
行ってません。
その時間は居酒屋で呑んでました。
記念式くらいは行くかなぁ、と
JW活動を止めてすぐの頃は思ってましたが
もう行くことはないでしょうね。
それより
教会に出入りし、JW組織に露骨に背を向ける行為
これは快感ですよ。