9月2日、日曜日。
初めてカトリックのミサに参加しました。
ルーテルだけでなくカトリックにも行ってみることで、一般的なキリスト教に関する見聞を深める
というのが動機その1。
カトリック教会で行なわれた同僚女性の通夜に参加したときの印象が良かった
(過去記事「どちらの教えが慰めになる?」)
というのが動機その2。
カトリック教会に行くと、ものみの塔に背を向けてる感がさらに際立ちそう
というのが動機その3。
今回訪れた教会は、地元で随一の繁華街に建っています。
子どもの頃の一時期、この教会の前に建っていたビルのホールを、王国会館代わりに使っていました。
1980年代前半。
会衆は分会前で、集会には200名くらい集まっていました。
あの頃のJWの活気と伸張も、今は昔。
それで、この教会の建物にもなじみがあります。
あの頃は目立っていましたが、周囲に増殖した高いビルに埋もれて久しくなりました。
前置きだけで長くなってしまいました。
ミサの内容は、歌、聖書朗読、祈り、説教、聖体拝領(パンとぶどう酒です)などで約1時間。
こう書くとルーテルと同じように見えますけど、歌や手順は違うし、十字を切る場面も何回かあったり、「主の平和」とか言いながら隣の人とあいさつをしたりなど、ちょっと戸惑いました。
参加者は思ったより多かったですね。7~80名くらいは集まるかと思っていたら、推定130~150名。家族連れや外国の方も目立ちました。
広報紙の「転入」「転出」「帰天」「洗礼」などの欄を見ると、この教会では4~7月に10名の受洗者があったようです。
JWの大会のバプテスマより多いですね。
さて、説教の冒頭、神父さんは
「今日、○○神父はいませんが、遊びに行っているのではありません。巡礼の旅に出ているんです。でも、少しは遊んでいると思います」
などと本当だかジョークだか分からないことを述べたあと
「お説教をしたくないなぁ、と思うときがあります。いつも、したいと思っているわけではないのですが、今日はとくに、したくない、と思っています」
と切り出しました。
そして
「皆さんもご存じの、あの話題に触れざるを得ません。ここには子どもたちも来ていますから話しにくいことですが、司祭たちによる、児童に対する性的虐待が取りざたされています」
「隠蔽など決してあってはならないことです。この問題は20年ほど前にも発覚して、こういう問題を根絶しなければならない、と取り組んでいたはずでした」
「そういう訴えがなされていたのに、策を打たなかった、教皇は退任すべきだ、との声も高まっています」
「わたしたちは被害者の心に寄り添わねばなりません」
「加害者の同僚や家族は、どういう思いでいるでしょうか」
「教会にとって悲しいことですが、キリストのメッセージをひとりひとりが自分のこととして受け止めて、社会の中で生きていきたいと思います」
ここでのキリストのメッセージというのは、この日の聖書朗読の一つであるマルコ7章の
「中から、つまり人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み・・・」
を指しています。
タイムリーだったのですね。
録音はしてないので、言葉や話の順番は違うところがありますが、覚えている点を抜き出すと、このようなストレートな話でした。
「こういうことが起きると、神父も結婚したほうがいいんじゃないか、という意見も高まります。
神学生も、そう期待しているかもしれません。しかし、わたしはこう言いたいです。『結婚して、これ以上、不幸な女性を増やしてはいけない』」
これまた冗談か本気か分かりませんが、そんなことも話しました。
難しい問題だと言いたいのでしょう。
今回、ミサの内容や信徒さんたちの様子などに興味があって参加したんですが、
神父さんの話に印象が偏ってしまいました。
しかし、事実を受け止める率直な話を生で聞けたのは、貴重な経験でした。
認めたから許されるというわけではないですが
「不祥事の報道は背教者の嘘」
と切り捨てながら
「真のクリスチャン」
「唯一の神の組織」
などと自惚れている宗教団体より潔いのは確かですね。
この差は、かなり大きいと思います。