うちの職場では、4月に「クジ引き」をします。
これは「各月の幹事」を決めるためのものです。
12月の忘年会、3月の送別会、翌年4月の歓迎会まで決めます。
その3つが大きな行事なので、人数は多めです。
その他の月はとくに何もありませんが、冠婚葬祭その他、何かあったら世話役を務めるということで、いちおう割り当ててあります。
それで、ワタクシは12月を、それも責任者マークの付いたクジを引いてました。
あーあ、めんどうなもの引いちまったな、
でも、送別会とか歓迎会ほど大変じゃないし、ま、いっか
ということで、昨日、忘年会を終えました。
昨年はビンゴゲームが実施されましたが、
今年は予算の都合上、景品の購入もたいしてできないので、そのような催しは無し。
しかし、まったく何もないというのも味気ないと思っていたところ、幹事の一人が
「宝くじを一人一枚、配付しては?」
と提案。
それ、実はわたしもちょっと考えてました。
幹事団に提案したところ、それいいですね
ということになり
じゃ、購入よろしくと、係を指名。
2名のお姉さん。
60歳と40歳。
それはどうでもいいのですが、
人生初の宝くじです。
現役JWだと宝くじに手を出しにくいですが、おもな理由としては
「貪欲な者は王国を受け継がない」
ということでしたね。
たとえば、ものみの塔1989年7月15日号の「読者からの質問」では、宝くじについてつぎのように回答しています。
中には,券の値段はわずかだし,参加者は自分の意志でお金を出し,収益の一部は貧民救済などの慈善目的に用いられるのだから,宝くじに関係するのは間違ったことでも悪いことでもない,と論じた人がいます。そのような推論の仕方はどれほど妥当なものでしょうか。
宝くじの券を買うことは,単純な,あまり費用のかからない娯楽だと主張する人々もいますが,貪欲という要素があることは否めません。人々は多額のお金を得ることを期待して宝くじの券を買います。これは貪欲を非とする神の諭しに真っ向から対立します。そしてその貪欲は,人が『神の王国を受け継ぐ』ことを妨げるほどの重大な悪になり得ます。それゆえ,賭博によって飽くなき貪欲を表わすクリスチャンは,会衆から追放される可能性があります。
なるほどね。
しかし「重大な悪」とか「飽くなき貪欲」とか、ずいぶんな物言いですな。
おたくらは
「均等を図るため」などと嘘っぱちを述べて集金してるよな?
その組織には「特権」を得たい、などという浅ましい性根を持った人間も多いよね?
「救われるために、たくさん伝道の時間を入れなきゃ♪」などと、他人の都合を顧みず布教に励む、ご執心な方も多数だね?
そういうのこそ貪欲と言うんだろうが。
抽選は大晦日ですね。
当たるとは思ってないけど、でも、
ものみの塔に寄付してきた分の一部でも、補填できるといいなぁ、
なんて、つい考えてしまいます。
勉強代だと思って割り切ってるつもりなんですけどね。
でも、やっぱり悔しいじゃないですか、
あんな組織に寄付したと思うと。
ただ、宝くじは忘年会で配付した一枚きりしかないです。
追加購入しようか、でも当たらんよね、と思っているうちに販売期限が来ました。
確率のことを考えると、どうしても関心が高まりませんでした。
ま、ちょっとだけ楽しみにしときます。