先週の日曜、久々に教会に行ってきました。
いつもと違って花がたくさん飾ってあり、
その日がペンテコステにあたるそうだから、それで、と思ったらそうではなく、
高齢の牧師さんの告別式が前日にあったとのことでした。
その牧師さんは若くして視力を無くされたそうですが
毎日、教会の階段を掃除し、教会に訪れるかもしれない人を待ち、家族に録音してもらった聖書朗読を繰り返し聞きながら説教の準備をし・・・といった信仰の生活。
せっかちで、家族が振り回されることも多かった、というきわめて人間的な面。
遠方から来られた娘さんが、そんな想い出話をされて、務めを全うされた牧師さんの姿勢が、よく伝わってきました。
JWの長老とか巡回の連中はねぇ。
慰める術もなく、特権意識ばかりが露骨に(以下略)。
本題。
その日の聖書朗読の日課のひとつに、エゼキエル37章がありました。
枯れた骨がいっぱいあって、そこにエゼキエルが主の命じるとおり預言すると、
骨と骨が近づいて、それに肉が着いて、霊が入って生き返って、大きな集団になった・・・
ということを述べている部分ですね。
読みながら、思い当たることがありました。
ものみの塔研究用2016年3月号で、
「神の民が大いなるバビロンに捕らわれていた期間はいつですか」
という「読者からの質問」に対して
「西暦2世紀から1919年までです。このように理解が調整されたのはなぜですか」
と述べていますが、このエゼキエルの聖句を根拠のひとつとしていましたね。
要点を抜き出すと
骨が「乾いてしまい」とか「すっかり乾いていた」とあるから、非常に長い期間がたっていたことが分かる。
「まず、かたかたと音がして、骨が骨へと近寄り、そして・・・」とあることから、この回復は徐々に進むものとして描かれている。
古代イスラエルの捕囚は長期間つづいたあと、清い崇拝が再び確立した。こうした聖書の記述からすると、神の民が大いなるバビロンに捕らわれていたのは、1918年から1919年までよりも、ずっと長かったに違いない。
1800年代後半に、ラッセルとその仲間たちが、聖書の真理を回復させるため熱心に働いたのは、あたかも霊的な骨格に肉や皮膚が生じ始めたかのようだった。
そして、1919年に神の民は霊的な意味で命を与えられ、やがて油注がれた残りの者たちに地的な希望を持つ人々が加わり、「甚だ大いなる軍勢」になった。
以上の点を考えると、背教が盛んになった西暦2世紀に、神の民は大いなるバビロンに捕らわれたと言える。
とはいかないですよね。
「非常に長い時間」とか「徐々に」
という、あいまいな尺度を都合よく解釈し、当てはめています。
わたしはこの聖句について
「1世紀にキリスト教が起こったことが、成就ではないかな?」
と考えたのですが
牧師さんは
「骨のようにカチカチに乾いた心でも、主の言葉によって命を得たかのようになるのです」
という意味のほうを強調していました。
牧師さんがそう言うなら、そうなのでしょう。
わたしの解釈も、まるっきり間違いではないと思いましたが、やっぱり違ったかな。
それはともかく、ものみの塔がこの記事を掲載した意図は
エホバの証人は1世紀の使徒たちの型に倣ったものであり、新興宗教ではない
という従来の主張を補強するためなのでしょうかね。
でも、伝統的なキリスト教は、自分たちこそ真の宗教などという主張をいちいちしませんから。
ものみの塔が必死こいて自己主張を重ねるたび、新興宗教であるという事実だけが増強されていきます。
んもぅ、見苦しいなぁ。