つぶやき被災地目撃編 | 丸山ゴンザレス オフィシャルブログ「ゴンザレスレポート」Powered by Ameba

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歌舞伎町からアフリカまでカバーする考古学者崩れの犯罪ジャーナリストの丸山ゴンザレス(=丸山佑介)のブログ

俺が被災地で思ったつぶやきを時系列でまとめてみました。
今回は被災地で見た現実に圧倒されて感覚が麻痺していく様子、東京に戻ってきて少し頭を整理している様子がわかるつぶやきです。
(誤字脱字もそのまま掲載。相当混乱してましたね、俺)


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2011年03月19日(土)
被災地で警察官に路駐してすいませんといったら「こんな状況なんで」と言われた。職業じゃなくみんな東北人んsんだよね!

国分町のキャバクラや風俗店は今日から営業。不謹慎だとおもわなかった。生きてるんだよね!案内所の人が事情を教えてくれコーヒーを配ってた。ありがとうおじちゃん。

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みんなが一個ずつ頑張てるんだ。

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石ノ森漫画館、かなりひどいことになってます。現地では瓦礫の中で漫画用の原稿用紙もみました。でも無力じゃない。漫画の力を信じてる。唯一のヒーローじゃない、みんながヒーローになれる。

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強風で飛ばされるトタンなどの瓦礫が凶器となる。これからも危険はあるのだ。

プロな人に質問です。被災地ではプロパンガス缶って使えるか迷っている人が多いです。水に浸かったガス缶ってつかえるもんですかね?

2011年03月21日(月)

被災地で下痢する人が多いが、便秘になる人はもっと多い。どっちも体に悪い。だが、今日になって食中毒で下痢になったと知人から連絡があった。心配だ。

避難所で暮らしてると胃が小さくなるそうだ。俺が持って行ったオニギリも半分で「もう食えない」という。それでも携帯コンロなどで調理した暖かいものを差し出すと「あー湯気が出てるよ」と感動して数口食べた。それ以上は明日からの暮らしを考えると食えないそうだ。俺、涙をこらえるのに必死だった。

ある被災者が「野球なんかで元気でたり勇気もらったりするかよ」とのこと。本音だと思う。避難所でマイクやカメラを向ける人からは「言ってほしそうなコメントが臭ってくる」そうだ。地震がなければ、普通に暮らしていた。その人が被災しただけで特殊な人になったわけじゃないんだ!と思う。

震災で親類を失った。俺だけじゃない。誰かしら失った人がいるはず。でも、家族や親類は失うだけじゃなく生み出してつくっていくこともできるんだと信じている。

標準語圏で育った人にはわからないだろうが東北地方の老人の言葉は訛りがきつく孫世代の俺でも理解できないので推測して聞いている。スラスラと聞き取って標準語に変換してメモしたりツイートしている人の能力はすごいね。俺には難しい。東北出身者だけど。

沿岸部の被災現場の装備では長靴が最強だった。海底から巻き上げられた泥は靴にまとわりつくし冠水している場所が多い。でも海外メディアの人たちはのきなみワークブーツだった。

被災地にも桜が咲く。宮城は五月ごろだろうか。それまでに何が変わっていくのだろう。被災地である人が「春が来ることが救いだ」といった。確実にめぐってくる季節だけがあの人たちを救える手段であるはずがない。

石ノ森漫画館のそばに映画館があった。そこには別の場所から流れてきた家が引っかかっている。説明できるのに理解できない。それが被災地の現場なのだ。

「被災地」では「自分はましなほう」と口にする人が多い。謙遜や遠慮ではない。本当にそう思っている人が多いのだ。本当にそう思っているからこそ、胸が締め付けられた。

震災から約10日でひと段落と伝えるメディアに世間の空気がひっぱられるのはよくない。被災地では自分には家があるからと、避難所にもいかずに自力で食糧を調達してギリギリで生活してる人がいる。避難所に行けない理由だってある。隅々まで支援の手が行き届いて初めて救われる人たちがいるのだ。

被災地で知り合った人からのメール「復興したら、きっとそっちに遊びに行きますね! 」俺は「必ず来てください」と返事をした。

言葉にできない気持ちと言葉では足りない現実を目の前にして、作家としてのレベルの低さを痛感した。だが筆は折れない。俺には書けることよりも、もっと書くべきことがあると思ったからだ。

津波によってかきまぜられた被災現場では、衛生状態が深刻な危機を迎えている。しかしガレキで埋め尽くされている場所を歩くたびに足や手に傷を負ってしまう。俺も足にケガをしてしまったが幸い消毒したので大きな問題にはならなかった。消毒する。この簡単なはずのこともできない現場があるのだ。

仙台を後ろ髪ひかれる思いであとにした。東京での生活。このことを考えるほうがリアルな感じがしない。それほどの衝撃を受けた。これから無理言って飛び出したことで迷惑をかけたみなさんにも謝罪の連絡をしなければ。許してくれるかな。無理だろうな。

石巻で80歳の老婆と孫が10日ぶりに救出された場所って地元の人が市内を見るために集まっている展望台のすぐ下なんです。俺が行った時も多くの人がいました。発見場所のすぐ横を俺も歩いています。それまでに誰も気づけなかった。遠く離れた場所でもないのに。

石巻で80歳の老婆と孫が10日ぶりに救出される数日前。救出場となったガレキのまわりには多くのカラスが集まっていた。カラスが集まる意味、それを考えてゾッとしたのを覚えている。何もできなかった。だけど命が救われたことを素直に喜びたい。

「家、見ていってよ。すごいことになっているから」そういわれて津波のダメージが残る家に踏み込んだ。室内には3月11日のカレンダーがあった。あの日で時が止まったわけではない。あの日からまた始めなければならないのだ。

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河北新報は宮城県人のほとんどが購読する地元紙。地震翌日には配達されたそうだ。すごいな。実家で震災から1週間分の河北新報をもらった。東京に戻ったら全部目を通す。

ルージュの伝言、なかなかオシャレだ。絶対に夜が明けないことなんてないんだよ!そう強く思って俺の帰郷と取材は終わった。しかし復興に向けた俺の行動はこれから始まる。

使い古された言い方かもしれない。だけどこの言葉は被災した人たちはもちろん、多くの日本人へのメッセージとなるだろう

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海沿いのエリアではガレキに混じって、魚が落っこちている。嘘じゃないです本当です。しかも淡水魚と海水魚が混じってます。かなり内陸でも発見しました。本当なんですって。

増水したことで陸地を泳いだ魚が鉄道のフェンスに刺さっているなどの珍事も報告されている。というかあった。

仙台の人たちは優しかった。国分町を歩いていると風俗案内所がコーヒー無料で振舞っていた。古着屋は休憩所として開放していた。寿司屋が屋台で格安弁当を売っていた。あの町も東北も絶対に復興する!

宮城から戻り仕事を片付け始めていたら、ついさっき遺跡調査会社時代の上司が心臓発作で亡くなったと連絡が入った。被災地だけで人が死ぬわけじゃないんだと当たり前のことを考える。死とは日常にあるもの。しかし異常な現実を目の当たりにした衝撃から思考が安定していない。

先日、仙台の国分町で風俗店が再開しているというツイートをしたのだが、行方不明の風俗嬢もいるそうで、その子たちが連絡してくれればとの思いが込められた再開だとか。店長たちの思いやりってことなんだね。深い意味があるとは思ってなかった。

被災地から戻って日常を送ろうとする。しかし脳裏にこびりつくのは、現地で出会った人々の行き場のない感情を表現した「笑い顔」だ。受け止めきれない現実を「笑うしかない」と言った人々。彼らを取材するには細心の注意が必要だと思った。

被災地報道の姿勢がまるで発展途上国の難民を取材しているような描き方をする人がいる。悲惨さをクローズアップすることもひとつの手法だろう。ただ、東北は俺の故郷で津波がなければ今でものどかな町々だった。日本人だから特別扱いをしてほしいわけではない。ただ、どうしようもなく悲しくなるのだ。


(つぶやきここまで)
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解説編
俺にとって震災はこれで終わりじゃない。
震災は復興とセットであるべきだ。
俺にはたったひとつの故郷であり、大切な場所。
そこを切り捨てていくことはできない。
俺ができることをやっていこうと思う。