昨日の記事の「過去を変える」。
どういうことか判らぬわな。。

書きながら”これは難しいな・・”と思ったことが大体その夜のトリップに出る。

電話が掛かって来た。受話器に出るまるや。
”社長、怒ってるのと違う~?”。”いいや・・”。そのあとしばしまるや沈黙。双方の”感触”を感じている。他にも会話はあったが省略。

起きた時は夢の内容がさっぱり判らなかったが、あとでジムトレーニング後一服中気付いた。

”そうか・・過去を変えたのやな。。”。昨日書いた記事を思い出した。

過去は過ぎ去ったものと誰でも思っているが、意識においては時間はないゆえ、全ての過去が今にある。

過去を変えるというのは、「違ったアングルの現実」を創造することに他ならぬ。

その時点でそれまでの過去は変容する。

それをやるにはトリップしないといけないということはない。「本質」が出来ていれば同じこと。

相手に対する自分の思いに謝まりの気持ちや許す心があるかどうか。それが観点。

その自分の思いを素直に空間へ放出する。
それだけである。
自分の意識の中だけよりも「外へ放出する」ことがよい。

夢やトリップはその通りの現実ゆえ、この世と同じように「放出」になってるわけや。


今日はいろいろ難解なことを考えていた。

やはりどんな世界であろうと、その世界の「存在のために」人間は生きている~生かされている。

人間存在の目的は”宇宙の畑”と何度か書いたが、
やはりそうである。

宇宙とは世界。光から闇まで全てが「存在世界」。
愛で存在する世界もあれば、憎しみで存在する世界もある。

存在として平等。

まるやのように怒りでエネルギーが充填される人間もいれば、仄かな愛でエネルギーが漲る人もいる。
これも平等。

観点は、怒りや愛や個性気質に関わらず「根本の焦点」が何処にあるかである。

何度も言ってる当たり前のことだが、まさにそう。
当たり前と思っていることを”再認識する”。重要。

貴方には貴方の個性気質がある。
「最もエネルギーが入りやすいカタチ」がある。

それは、まるやのように怒りであるか知れぬ。
優しい愛かも知れぬ。静かに黙っていることかも知れぬ。微笑んでいることかも知れない。

それに素直に従うこと。

それをどんどん放出して「使う」こと。
それが自分を「生きている」こと。

自分の「行動原理」。
それを意識してやっているとますます「真実」が見えて来る。
それが”知ること”。