”自分の人間都合に気付くこと~最深部の意識の焦点を「聖~愛」に置くこと”。

呪いのマントラのようにそれを言い続けるのみ。

それがない限り、人間であることの全てが”この世の者”。どんなに光武装しても。

”この世の者”とはサタンのもの。
間違っても神のものではない。

神がよしよしするのは、”早くその暗黒世界から出ておいで”ということや。
自己正当化~理屈~~意味付け~自己都合。
もちろんサタンのもの。

その理屈~意味付けでこの物質主義世界を創り上げたのや。大したもんや。
はるかに優れた精神文明~地球の守護者たちである数千万人のインディオを殺してな・・。

何に対しての理屈~正当化か?。
もちろん宇宙(神)に対してである。

”神など要らぬ。自分が神だ”と云うわけや。”屑”。

その屑世界が西洋主義文明。それでこうなった。
何故か?。精神も心もないからや。

人間に密やかなる楽しみや喜びのみ与え続けるマトリックスの呪われた世界。
無明の人間たちは何も考えることなく、その世界で夢中に生きる。

それでもその世界の中で生きてる限り、そこからは出られぬ。だからそれを生きたらいい。「判った上で」。

大事なものは胸に仕舞って今を生きる。
意味などもちろんない。
直線時間世界において自分がやりたいことの成果を期するのみ。他に何も出来ぬゆえ。

そう言えるのは「判っている者」のみ。他の者は口が裂けても言えぬ。

”自分はこのサタン世界が好きなのです”と言う以外何もないのや。

で、神とサタンとどちらに軍配が上がるか。
云うまでもないわな。。

それが自分にとってどういうことなのか、
考えたことあるのか?。

他人事~他の世界のことだと思ってることそのものがサタンゆかりの者。
自己保全しかないのだからな。

”屑”。

これだけ完璧に隅々まで西洋文明化されても、「本来のもの」は探せばいつも傍にあるのに、それを求めようとはせぬその意識~心。
サタンゆかりの者である以外の一体何や?。
言い訳も出来ぬやろ・・。

その思考~その観念~その屁理屈の全てが「屑」なのや。”この世の者”。

高い振動世界というのは感性の世界。
シンプル単純にして深遠。

疑問~整理~意味付けしたがるのは”この世の者”。
その対比を知るのがトリップ体験なのや。

”この世の者”は”私はサタンの子です”と背中に貼って歩いたらどうや?。

”私は神など求めぬし、自分が全てであって、人のことも関係ありません。私は私であって他の人とは違います。私はこの世で生きたいし生きます。死は疎まれるべきもので生の敵です。

いつまでも若くありたいし健康でありたい。自分の好きなことが出来るから。
私は死にたくないけれど、いつか死ぬのかも知れません。周りを見てるとそうですから。
私はあの世のことに関心などありません。たぶん死んだら無になるのでしょうから。”。

反吐が出る”臭さ”やの・・。

地獄の釜に落ちろ。
グツグツ煮て妖怪共の餌にしてやるわい・・。

やはりサタンゆかりの”この世の者”は一旦滅ぶしかない。出直しの恩寵でイチからやり直し。
今度はしっかり、原始社会と云う幼稚園で学べ。