日経は9300~9280膠着。あと5時間もある。

”人生はすでに終わっている”。ついに開かした棟梁。

これを”感じれば”誰でもラクになれる。

「生きる」ということは、すでに終わっているものの上を歩く旅であると気付けば、ラクになれる。

これを聞いてラクにならぬとすれば、それはこの世執着であることがハッキリする。
その終わっているものの上を歩いておりたいということや。
科学で明かされるものはこの世次元。
ところが我々人間は初めからこの世のものではないのや。
この世以外の次元のそれぞれの領域に焦点を結び、その「統合者」として存在しているのがこの世自分なのや。
「容れ物」と言ってよい。

その容れ物をちゃんと「整理統合」出来ているかどうか。そういうことや。
何処かの次元で結んだ焦点の意識によって、整理棚が引っくり返されていないかどうか。
容れ物自体の色がすっかり黒ずんでいないかどうか。
そうなるともう手遅れだが。

それをするのは「統合者」である自分の意識。

高尚な思念にせよ低い欲求にせよ、全ては焦点。
何処かの次元の意識が統合者の脇をスルリと抜けて顕在意識を占領することなどしゅっ中あることや。
それを憑依と言ってる。

人間存在の本質とは、その容器の中であらゆるものを混ぜこぜ掻き回し練り、「統合」することにあるわけや。

統合から生まれた「創造」は新しい存在次元を構成し、ひとつの世界となってゆく。
そのように世界の本質とは、それぞれの次元/領域にあるわけで、この世にあるのではないのや。

それに気付かせぬために、あらゆる喧伝/教育によって「この世人生」という架空のものを創り上げ人々の意識をそれに従わせる。
そうしておけばいつまでもこの世が存続出来るゆえ。おまけに絶対服従せねばならぬ肉体があるしな。

人はすでに「終わっている」ものの上を歩くしかない。

それが”世界との切り離し”。

しかしそれもタイムアウトになろうとしている。
棟梁まるやのような形而上世界の怪物が出て来ただけでも、宇宙の計らいの方向が判るわな。。

人間の意識は解放される。元の世界に還る。
それを「アセンション~新しい自分/世界」と言ってるのや。
”人生”という名の得体の知れぬ魔物に振り回されて来た人類。
それもついに終わる時が来たわい。。終わらせたる。。

”エホバは「地球は滅びない」と言ってる”と言う「エホバの証人」。”滅びる恐怖”ゆえそうなる。その実体が何であるかは言うまでもないな・・。