本当の解放の話になると、誰も耳を傾けぬ。
”この世の者”ゆえ。。それが「根本の現実」。

ラーが言う通り、収穫される者は砂場の米粒。
「意識である」とは人間から離れ、自分が人間であることを知り、この世にいる間はその自分を生きること。
別にその自分を生きねばならぬということもない。

そんな話も無意味。
自分のモノサシ~自分都合の思考しかないゆえ。
何を話そうとも焦点は合っておらずドモならぬ。

悟者の一瞥。”沈黙の微笑”。
何を言ってるのか判るわけもない。

”仕方がないね・・まあ、頑張りなさい。。ゆっくり考えて・・”と言ってるのや。他に言いようがないゆえ。

「人間は死ぬために生きてる」。
人間世界の卒業。それが魂の進化。

その都度の自分を「生きて死ぬ」。それは「根底の死~卒業」ではない。”この世のもの”。

同化から同化へ。人はさ迷い虚ろう。自己欲の権化。
「因」を創り「果」を受ける。何処にも脱却の出口はない。
それで短い人生は終わる。死ねば幽界へ行き、またこの世に生まれ出る順番を待つ。

その幽界も消えつつある。
それがどういう意味か判るまい・・。
消え行く者~淘汰される意識。

自分である純粋意識が同化した対象から離れぬ限り、その出口なきドラマは永遠に続く。

少しはホッとしたかな。。”また人間がやれる”と。

だから全ては無駄なのだ・・。