隣の工事の音が強烈で午睡も出来ぬ。
PCの画面は輝度を落として目が疲れぬよう色調整してある。赤は絞って青系。

人のエゴには悉く失望して来た。
人を当て込むべからず。「見るべき意識」がなかったらどんな人物であっても普通のこの世人である。

人のエゴに合わせるべからず。人の「意識からの言葉」に応答するのみ。

意識が同化しているスクリーンに食われてエゴが増長するのはワンマンや教祖に多い。チカラに委ね自我の鍛錬がないからそうなる。

能力が高い人ほど意識は低いこともある。能力に自分を委ねているゆえ。自我の鍛錬不足同じ。意識が未熟であるということ。

キリストは「貧しき者こそ幸いである」と言った。何の能力もなく人生を開拓出来るだけのチカラや環境がなかったなら、身近な周囲だけで人生をやるのみ。必然波のない目立たぬ人生になる。その方が意識バランスは育成される。 

「持てる者」はその上に胡坐を掻き、自分を観ることなく傲慢スクリーンに食われ、その周波数海流の一部になる必然ゆえキリストはそう言ったのである。

現代の状況はキリストが言った「幸いなるカタチの貧しさ」ではなく、意識~心~感性が極端に貧しい。自我を鍛えぬからそうなった。自分が貧しい人間であることも当然判ってない。最悪である。救われようもない。

ジブンジブン自己中。自我を甘やかせラクなスクリーンばかり求めて平然。何も見えず何も聴こえぬ。知ることもなければ知ろうとすることもない。完全に「終わってる」。
未来はおろか行き先などない。地球より意識レベルの低い監獄惑星か最悪は「存在の解体」あるのみ。

欧米は「自立する」ことを子供の頃から求められる。「自我の確立」。
日本のような無明ゾンビ「我儘」とは天地の差。

「自分自身の総決算」。
そのためにみんな今生生まれて来ている。自発的に。自分を「決算」するために。
「自己責任」の結果結末。