親は子に弱い。当たり前やわな。ジムの知人たちは当然みんな親であるが近頃、”子供に何もしてやれなくて・・”の声が多い。この不景気ゆえ。
反対に”1億あるで!”という「おしか爺さん」もいて、”カネ持ったままあの世には行けぬのや。せいぜいボランティアして徳でも積まぬと閻魔の門は通れぬぞ”と脅かしてやる。いくら筋トレしようと先に待ってるのは死のみ。

毎日人は死んでいるのに、人間は自分が死ぬということを考えない。
判らないことは怖いことゆえ触れたくない。そうしてエゴが認識出来ることだけに己都合の判断を下して生きている。”夢遊病者”。

夢遊病者の集い。これが人間世界である。

意識の道をやっても1文の得にもならぬ。どころか人は離れる。それでいいのや。ハッキリする。
意識の焦点が違うということ。そんなカタチだけの人間関係はヤメたがよい。無意義。どころか自分に甘さ弱さがあると自分の荷物になるだけや。

エゴは何処までもエゴ。自分中心。
人を見る時は意識を観る。それが人に対する正しい見方。

見るような意識がないならばその人はまだ魂が若いということ。これから先も苦労して学んでゆく。何度も何度も人間をやってな。。次は別の地球。厳しい環境の中でやればよい。

無理にこの道は行けぬ。意識が相当熟さぬと焦点出来ることはない。
意識の道にまだ入れぬ人は、世にいくらでもいる教祖様の優しい有難いお言葉を感じていたらいい。何もせぬよりはマシや。周波数は上がるゆえ。そのスクリーン世界に浸るというだけのことだが。

意識の道は「自立の道」。浸ってる余裕などない。浸るべきものなどない。
生に一瞬の止まりもない。次々に行く。それだけである。