能登半島ツーリング、後編です^
前作は"号外"、金環日食を挟んだので、前編から1作飛びになりましたが、能登ツーリングの続きをご覧頂きます。早速後編、スタートです^
↑北陸道・金沢東ICから、2日目の能登半島へ
側道から料金所へ入る形のICです。北陸3県中心の金沢にしては地味な感じですが、金沢市交通の要衝です
今作では金沢起点に、穴水→輪島→、そして能登半島の先端・禄剛崎まで走って、そのあと珠洲→氷見へ抜ける“半島一周”に挑戦します^
金沢東ICで北陸道から分岐し、能登半島を縦断する能登有料道路へ入ります
通行料金は全線を3区間に分けて徴収していますが、白尾料金所でまとめて支払うと↑の通行券が交付され、これを途中の料金所で渡していく事もできます。特にバイクの場合、料金所ごとにいちいち小銭出さなくていいので便利
(※2022追記:能登有料道路は2013年に無料化され、『のと里山海道』と改名しました)
半島南端の白尾ICから入ってしばらくの間は、日本海が見える能登西岸を走ります
地方の有料道路は対面通行のところも多いですが、能登有料は全体の約半分で4車線あり、NEXCOの高速とほとんど同様の、快適な走りが楽しめます
途中にあったSAは、一般道路と同じ"道の駅"という位置づけになっていました
能登有料は終点の穴水までに途中、3ヶ所の本線料金所があります。先程の"前払チケット"を1枚づつちぎって渡していきます
前述の通り、来年から無料になる能登有料、まぁこの体験も貴重なものとなるのかもですw
能登有料、南半分は海沿いを走りますが、半島の奥へすすむにつれ山の中へ入ってゆきます
金沢近郊の白尾ICから入って約80km(※都道府県の道路公社営の有料道路では当時日本最長)、奥能登へのゲートタウン・穴水町が終点です。
ここからさらに、輪島まで約30分です
電柱が無く、美しい街並みです。
近年整備されたとみられ、観光の街として気合が入っています^
そして、そんな輪島の街中の中心部、「道の駅輪島」へまずは寄ります
Woツーリング恒例の"道の駅立ち寄り"ですが、この輪島の道の駅は、特記すべき経過でつくられました
この道の駅の立地です。
それは・
道の駅輪島は、2001年に廃止となった旧のと鉄道輪島線・輪島駅の跡を利用して開設されました。
大きな駅前ロータリー、そしてタクシーベイやバスのりばは、鉄道駅時代のまま機能しています
"鉄道駅と道の駅の関係"といえば、昨年8月upの北海道ツーリング(vol.96)で寄った『道の駅美瑛丘のくら』、鉄道駅に併設された道の駅でしたが、ここ輪島の場合、廃止になった鉄道駅の敷地を道の駅の転用という例です。
廃線跡の駅を道の駅へ転用しているのは全国で見受けられ、文字通り、"駅"の持っていた機能を未来へ引き継いでいく、という面で有意義だと思います
道の駅輪島、中へおじゃまします
建物は建替えられたものですが、鉄道時代の↑輪島駅のプレートを埋め込んであります
内部にはお土産店もありましたが、一般的な道の駅よりやや控えめでw、観光案内所にかなりのスペースを割いていました
バス乗車券の券売機もあります。
車だけでなく、公共交通の"駅"としての役割を今も持っています
建物の裏手には、かつての国鉄輪島駅をプチ再現したコーナーがあります。
短いながら本物の線路、そして踏切警報機
そしてプラットホーム(※当時のものではなく復元のようですが)と、線路の端には、↑のと鉄道のディーゼルカーが走ってくる写真もあり、鉄道時代を偲ぶ一角となっています
そして、ホーム上には↑駅名標もあります(※復元)
写真ご覧下さい、隣駅が"シベリア"となっていますがw、国鉄輪島駅の頃、実際にこう書かれていたのを再現したものです。
理由は↓です。
終端駅だった輪島駅、当然ながら、隣駅の片方は空白でした。
しかし国鉄の頃から、来駅した旅行者の学生等が勝手に、空白の隣駅枠に、日本海対岸の"ロシア"とか"ウラジオストク"とか、落書きしていたらしいんです
そこで、落書きに悩まされた当時の駅長が、「それならもう、はじめからペンキで書いてしまおう」と発案しw、"次はシベリア!"という、国鉄史上例のない駅名標が誕生したという事です^
そしてこの道の駅、都内でもおなじみの↑ゴーゴーカレーの店も入っています(※石川県が発祥)
次は、輪島といえばここ!という事で、朝市へ行きます
朝から沢山の人です(※朝市なので当然ですが^)
道路脇に座る、露店のおばちゃんです^
沢山おられ、元気に商売なさってました^
露店のおばちゃんの店でたいてい置いてるのが・
↑"とうがらし"&"手作りのわらぞうり"、この2つがマストアイテムです
それと、能登の山で自生しているというマタタビの木も、多くのお店で売ってました。猫大喜びの朝市ですw
あと、当地ならではの品目として、能登で昔から使われているという調味料・魚醤の『いしる』をあちこちで売ってました
半島北岸、奥能登を循環する国道249号を走っていきます
そして、奥能登最初に立寄り先は~
切り立った海岸線にくっつくような集落。
そして斜面には、水が張られた棚田
国道から展望できる↑の場所は現在、道の駅にもなっていて、小さな売店もあります
僕はウン十年前にバスで一度来た事があるんですが、その時には道の駅どころか駐車場もなく、車窓から見るだけの場所だった記憶があります。時代はどんどん便利になっています。
それにしても、↑この、小さな棚田が無数に並ぶ稀有なこの光景、ホント圧巻です。猫の額ほどの水田一つ一つに、水が張られているんです
そしてこの千枚田ですが、実際に計1004枚の棚田を数えるそうです。
一番小さい田んぼでわずか0.2㎡との事
ご覧のように斜面に張り付いている小さな棚田たち、トラクター等の農業機械は入れず、昔ながらの手作業で全て作付けされているんだそうです・
昔ながらの日本農業の姿を伝える貴重な千枚田、前述の国名勝のほか、世界農業遺産にも指定されています。
機械が入れないため、維持管理には大変な手間がかかります。今では地元の人の理解のもと、ボランティアの人々も耕作を手伝い、貴重な農業遺産を守っているそうです
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千枚田を出て、引続き能登半島最先端を目指し、Wo号は走ります
能登の外周道路・国道249号、適度な起伏があり、奇岩も姿を見せる美しい海岸線、まさに"絶景海道"です^
途中にあったトンネルの手前、↑こんな表示が・
"パワースポット"?
寄り道してみます^
↑のトンネル、その名も『八世乃洞門新トンネル』
真新しい感じでしたが、旧トンネルが2007年の能登半島地震で損傷したため、新トンネルを造り、切り替えたものだという事です。
・で、その"パワースポット"とは、旧トンネルのほうだそうです。
旧トンネルも地震後、取り急ぎ仮復旧し、新トンネル開通までしばらく仮に使ったそうです。
その旧道が今遊歩道となっていて、恋愛のパワーを与えてくれるパワースポットとなった(?)そうです^
前編の気多大社といい、能登半島は恋愛によく効くようですw
旧トンネルは、↑写真の石像の後ろにあります。
↑写真、風雪に洗われてきたであろう石の和尚さんが写っていますが、麒山(きざん)和尚といいます。
かつて奥能登北岸は、"能登親不知"と呼ばれるほど通行の難所で、断崖絶壁で道は無く、どうしてもここを越えたい人は、岩をつかみながらロッククライミングのように通っていたとの事。まさに命がけだったそうです
麒山はこの様子をみて、「ここに道を通そう!」と思い立ち、自ら托鉢して資金を集め、1792年に人道を開通させたそうです。
現在ここが"パワースポット"になっているのは、麒山の熱い想いが込められた場所だからかもしれません
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トンネルを抜けると、今度は~
R249を横切る川に一面、こいのぼりの群れが泳いでいました
こういう光景、こどもの日が近づくと全国各地で行われているのをニュース等で見ますが、実際"生"で見ると迫力あります^
この国道249号、走っているだけで次々といろんなスポットが現れる楽しい道ですが、今度は"塩田"の看板が
この塩田、当地で16世紀から戦前まで行われていた揚浜式塩田を今に伝えています(※国指定民俗重文)
能登半島は山がちなため(※先程の千枚田はその象徴)、米作りに適した平地が少なく、代りの生業として、江戸時代は塩をつくっていたようです
R249沿いには、観光向けに塩作り体験が出来る施設もありますが、当時から残る本物の塩田は↑が唯一だそうです。
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半島の先端が近づくにつれ、↑起伏はますます大きくなってきて、ワイルドな走りとなります
↑"奥能登絶景海道"と名付けられていました
実際まさにその通り、絶景のシーサイドロードでした^
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輪島を出て、寄り道しながら約2時間強・
能登半島最先端の集落、狼煙(のろし)に着きました
朝から長時間走り続けたので、そろそろ休憩
『道の駅 狼煙』へ寄ります。
"道の駅"、昨年の北海道ツーリングあたりから特に強く意識して立寄るようになりましたが、近年、全国どこの道の駅も、急速に整備・リニューアルされているのには驚きます。
高速SAにしてもそうですが、僕が子供の頃は"最低限の用足し"でしか使えなかったこういう場所が、急ピッチで観光名所になろうとしています
そのおかげで、日本でのドライブ/ツーリングはここ最近、ホント飛躍的に快適になったと思いますし、これからもますます魅力を増していくと期待しています
道の駅狼煙からは、能登半島最果ての岬、禄剛埼灯台へ向かう小径がのびています
Wo号を停め、歩いて岬へ行きます
のどかな坂道を少し登ると・
↑広場に突き当たります。
そして、そこに見える白亜の建物は~
能登半島先端、禄剛埼灯台です
金沢市から約100km、ここが能登半島の先端です
1883(明治16)年初点
建設時そのままの姿をとどめる、貴重な灯台です。
初点以来1世紀半、この能登最果ての地で、怒涛渦巻く日本海で立ち続けてきた灯台
灯台フェチのWoにはたまらない光景です^
そして、この灯台には"全国でここだけ"という特徴があります。
それは・
全国でここだけとの事なんですが、↑灯台建屋に"菊の御紋"が彫られた銘板があります。
御紋の下には、初点された日時、明治16年7月10日と書かれています。日本海へ突き出た能登半島、国防上重要な地点であった名残をとどめています。
孤高の灯台から眺める日本海、地球の丸さがよくわかります
戻りは、半島の南側・富山湾側を廻っていきます
半島南側、珠洲市へ入ります。
しばらくすると、↑当別荘的に注目したい建物が残っていました。
これは・
↑旧国鉄(※後に、のと鉄道へ転換)の蛸島駅跡です。
駅舎が現存しています(※2013年当時)
旧国鉄が廃止路線として手放した輪島線と能登線を『地元で守ろう!』と第3セクター化して発足したのと鉄道でしたが、輪島線は2001年に、ここ蛸島まで来ていた能登線は2005年に、力及ばず廃止されてしまいました
のと鉄道は2013現在、JR七尾線と接続する七尾~穴水間のみ存続しています。その穴水駅から2方向に分岐して延びていたのが、廃止された輪島線と能登線でした。
能登線終着駅だった↑蛸島駅、現在は地元NPOが管理しているという事で、ホームに廻ってみると線路もまだ敷いてありました
ちなみにこの蛸島駅(※能登線)、僕は国鉄の頃に乗ってここまで来た事があります。ここもウン十年ぶり(古)
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蛸島を出て、次は千枚田とともに、能登を代表する名所へ
見附島です。
ご存じ、"軍艦島"の通称で知られます
今作でご覧頂いてきた能登半島、北岸は切り立った断崖が多いですが、反対側の富山湾側は比較的穏やかな感じです。
しかしなぜ軍艦島は、↑平坦な浜辺にポツンとそそり立っているのか?不思議な感じもします
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朝、能登有料からスタートした能登半島ツーリング、日没近くになりました
先程の軍艦島までで、今作の見学箇所は終了です
戻りは、珠洲市~穴水町を結ぶ高規格の一般道、↑珠洲道路を走っていきます
珠洲道路、穴水で能登有料に接続していますが、僕は穴水からR160で半島東岸を走り、七尾市/氷見市を抜けて、この日の宿泊地・富山市へ向かいます
能登半島の付け根、JR七尾駅まで来ました。
(※↑の1つ先の和倉温泉から先が、のと鉄道です)
これで、能登半島一周を完了しました^
久々の能登でしたが、前回バスで廻った時と違い、バイクで走ると全く違う視野から眺めることが出来ました。又、ツーリングしているライダーも多く出会い、昨年の北海道ツーリングも思い出すような快適な旅でした^
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富山市で一泊、翌朝~
翌日、ちょうど礪波市で開催されていた↑"となみチューリップ祭り"を観てから帰京しました
チューリップの名所として知られる礪波市、これまでチューリップといえば"学校で実習で植えたり、公園でちょこっと咲いてる植物"という程度の認識だったんですが、この認識はこの日180°覆り、まさに"芸術的植物"だと認識しました
能登ツーリング計2作、これでおわります、ご覧頂き有難うございました。前作でのなぎさドライブウェイ、そして今作での輪島朝市、千枚田、禄剛崎等、石川・能登の絶景を堪能し、充実したツーリングでした。大満足で帰京しました^
(※2022.1 2024.1 文一部修正)