台風16号は伊豆諸島、関東、東北地方に大雨、強風による被害をもたらしたが、被災者には申し訳ないが、そう大したことにならなかった。というのも2年前の千葉県を直撃した台風被害があまりにも大きかったので今度もかと大層心配したからだ。まだまだ台風の季節は続く、夢々油断してはならない。かつての台風銀座南九州では、この処台風の直撃がない。進入コースがここ10年来変わってきている。地球温暖化の影響だろうか。昨日のテレビでは東北地方では例年鮭漁で大忙しなのだが今年は鰤(ぶり)が一緒に大量に獲れて大変だそうだ。鰤を使った料理に縁のなかった人々が大慌てでレシピを研究しているという。

更に全国的に野菜、特に葉物が不作で値が高騰している。長雨のせいらしい。私の家では自前の野菜を食べているので家内は世間の野菜の値上がりには無頓着らしい。2~3日前、里芋とさつま芋を試し掘りしたところ、里芋は例年通り出来が良い。さつま芋はやはり長雨の所為か分からないが一株に付く個数がいつもの半分位だった。焼酎用の芋は昨年から原因不明の病気に見舞われ大減少で大変なのだが、コロナの所為で焼酎の売れ行きも相当不調なので芋の不作の影響は今のところ無いのも皮肉なことだ。

 9月29日の自民党の総裁選は以前の10日間4人の候補者が連日テレビ出演し、所信を述べ合い白熱した論戦が展開された。菅総理が出馬を断念したのはコロナ患者が日に日に減少しだした時で皮肉ではあったが、国民も少し余裕をもって経過を見守っていた。我国の抱える諸問題について4人の候補者の持論があます処無く発揮され、途中から今迄の論調を微妙に変更する候補者の正に馬脚を現す場面もあり、今迄は只メディアの情報だけに頼っていたのが、生の意見を聞く事により大分“利口”になったのは私だけではないだろう。克くしてバランス感覚に於いて一頭抜きんでていた岸田総裁が誕生した。

コロナ第5波が一段落し、国民に安心感が生まれ、国中に活気が戻って来て思う事は、菅総理の政策に大した誤謬はなかったということだ。コロナが猖獗を極め医療界が悲鳴を上げて医療体制が崩壊するかも知れない状況の下、人々の不平、不満が時の政権に集中するのは極く当たり前の事だろう。菅総理は国民の怨嗟の的になってしまい、流石の剛腕政治家も平常心を保つのが大変だったのではないだろうか。打つ手が2転3転して現状に至った事は御本人にとって悔恨の極みだったに違いない。“覆水盆に返らず”とある。今後は新生自民党に向けて卓越した手腕で支えて貰いたいと多くの心ある人々は念願している。我々は国難に際し只々煽り立てるのみで更にそれを無責任にも政局に転じ持て遊ぶ愚を犯したメディアには猛省を促したい。

今になって思うのは、リーダーの資質とは何なのだろうという事だ。一連の政策でそんなに大きな瑕疵はないにも拘わらず、メディアや野党、そしてそれに煽られた一部の人々に叩きのめされた観の菅元総理に欠けていたのは何だろう。説明責任が果たせなかったとか、打つ手が後手後手に回ったとか云われるが、今思うにそれは当て嵌まらない。世界のリーダー達を見ても似たり寄ったりだったではないか。およそ人間という生物は所詮完全ではない。情にほだされたり、雰囲気に度を失ったり、流言飛語に惑わされたり、相手の能力を推し測る力量が無く自らの浅薄な考えと同列視したり…etcという具合に極めて不完全な動物と思っている。

そこで人物を判断する時は“見た目”が大事なのだ。この一点に於いて実直で剛腕の菅元総理は誠に失礼ではあるが損をされていると思う。リーダーは明るい笑顔、自信に溢れた所作や明瞭で隅々迄よく通る声など、極めて表面的な風貌が必要なのかも知れない。

 今回、党3役をはじめ有能な閣僚で成る岸田内閣に国民は命運を預けた訳である。その実力はまだ分からないが、口汚く罵る野党のリーダーと較べると、岸田文雄総理はリーダーの条件ではその風貌に於いて遜色はない!それだけに実力が問われている。コロナ禍や経済、安全保障etc国難と言える昨今、頑張って貰いたい。

何れにしても月末には国民の信任を得られたかどうかが決まるのだ。