ずっと前なのでうろ覚えですが
愛されて育ってない子どもは
大人になった時
子供を愛せない場合がある
‥‥というようなことを
授業で習いました


例えば
愛情をチョコに置き換えます

誰かにチョコが
ほしいと言われた時
自分が持っていれば
人にあげることが出来るけど
持っていないとあげようがないでしょ?

小さい頃にチョコを
たくさんもらった子は
もう、たくさん持ってるから
人にも自然と分け与えることができる
でもそもそももらてえてなくて
持っていない子は‥‥?
あげたくても持っていないんだもん
どうしたってあげられない

愛情はチョコみたいに
目に見えるようなものではないから
難しいけれど
そうゆうことなんだよ

というような内容でした
(ほんとうろ覚えですみません)


つまり
小さい頃に
愛情を与えてもらえなかった子供は
大人になった時
そもそも愛情って言うものが
何かもわからないし
あげかたもわからない
だから負の連鎖が起きてしまう
ということ


その授業を聞いた時
“きっとわたしは子どもを愛せない”
そう思いました

愛されていた実感なんてなかったから‥‥






時が経って
そんな授業のことすっかり忘れて
まるを出産しました



そこで感じたのは
“私はまるに愛されている”
ということ


今思い返すと
あんな親でも子どもの頃の私は
大好きだったし
必要としていたし
味方でありたいと思っていました

きっと子どもはみんな
同じことを思って生きている


まるもそう
わたしがいないと生きていけない
今は無条件に私のことが
大好きなはず



それはすごく伝わってくるし
実際まるからの愛情で
満たされているわたしがいる


だから
わたしはまるに愛情をもらって
そのもらった愛情を
まるに返しているんだと
思っています

子どもの頃もらえなかったチョコは
なんと自分が親になった時
自分の子どもからもらえるんです
だからそのチョコをまた子どもにあげる
そのチョコはまた子どもからもらえる 
もらったからまたあげられる

まさかこんな事が
あるとは思っていませんでした
でもその時“チョコ”という
存在を知っていないと
子どもからもらっていても気付けず
負の連鎖を起こしてしまう
のかなとも思いました




愛情は親が子どもに与えるだけじゃない
親も子どもから与えられてるんだ
それに気付いた人は
ちゃんと子どもに愛情を注げるし
虐待なんてしないはず

まだ1年しか子育てしてないけど
そんなふうに思いました



まだ1歳
自我も出てきて
イタズラばかり
目も話せないし
手がかかって大変です

でも、それ(お世話の大変さ)
と愛情は別の話

大変なことばかりだと
自分の事でいっぱいいっぱいに
なってしまう時もあるかもしれない
(モラハラを受けている時の私はそうでした)

心に余裕のある今は
私はまるを愛しているし
まるも私を愛してくれている
それは毎日強く感じています
こんな幸せなことはないです