こんにちは、まるこです
先日、上野の国立西洋美術館「プラド美術館展」を観に行ってきました
展覧会の混雑状況から、ベラスケスについて、感想やら見どころやらポイントやら…いろいろととにかく書きたいことを書きました。
展覧会の予習や復習に役立てていただけたら嬉しいです
(あ、でも「聖書の場面を描いた絵の解説」はしてません。聖書のどの場面を描いているとか、その場面はどんな意味なのかとかは調べれば分かるので。)
今回いつになくなかなかのボリュームになってしまったため3回に分けました
ざっと目次を書いておきます。
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第一回
*混雑状況
*ベラスケスについて
*ベラスケス7点の感想
*ベラスケス作品以外で印象に残った作品
*展覧会をもっと面白く見るための視点を提案
*宗教改革と偶像破壊運動について
*絵画から紐解くスペイン王室の歴史
*おまけ:ハプスブルク家のあご
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興味ある部分だけでもどうぞお付き合いください
(画像はお借りしました。)
プラド美術館展
豪華なラインナップ
今回、こちらの展覧会はベラスケス7点を中心に、ルーベンスやティツィアーノ、スルバラン、ムリーリョも来るぞという驚きの豪華なラインナップがとても魅力的にプロモーションされていました。
チラシにも「ベラスケス7点が一挙来日、これは事件です。」なんて言っちゃってね、ベラスケス押しの宣伝って感じです
でもねでもね、それだけじゃなくて、行ってみたらエル・グレコ、ヴァン・ダイク、ヤン・ブリューゲル(父)、クロード・ロラン…なども展示されていて、びっくりしました
ベラスケスだけじゃないのよすごいのこれは、事件です
混雑状況
私が出かけたのは3月15日(木)の朝一でした。
9時半開館で、9時10分頃美術館前に着いて並び始めたのですが、その時はまだ20人くらいでした。開館直前にはかなり列が伸びてましたね。(最後尾が見えなかったのでどれくらいかは分かりません)
そんな感じで中に入ってのですが、絵のサイズが大きいものが多かったので絵が見えにくいということはなかったです。
んー、だけど思ってたより混んでるなと思ったので、日中などはかなり混雑するのかもしれません。(参考にならずすみません)
行くことが決まっているならチケットを事前購入して手元にある状態でお出かけされた方が、チケットブースでまた並ぶというロスが無くなるので良いかと思います。
ベラスケスってどんな人?
展覧会を楽しむために、まずベラスケスについて書いていきます。
ベラスケス(1599-1660)はスペイン・ハプスブルク家の王フェリペ4世の宮廷画家として多くの肖像画を残しました。
ちょっと補足:この頃の宮廷画家とは…
王から宮廷画家に任命されれば、生活の面倒をまるごと見てもらえました。
生涯保証の給金・年金、自宅の他に王宮内の私室・アトリエの授与、完成作には個別の支払いまで。その割に縛りがきついわけでもなく、人気画家は他国の宮廷や新興ブルジョワの注文にも応じることもありました。王立アカデミーを設立し絵画を職人仕事から切り離し、芸術家の社会的地位を向上させ自らを権威づけようとしたものも存在しました。また、古典作品の買い付けもし、王立コレクションを充実させるために尽力しました。
(余談ですが、イギリス・チャールズ1世に宮廷画家として招かれたフランドル出身のヴァン・ダイクは、王のために数多くの名品選びも手伝いました。が、チャールズ1世はピューリタン革命(清教徒革命)で処刑され、そのコレクションは革命政府によって売り払われました。そのコレクションの一部はフェリペ4世が購入しているのですが、その際にはベラスケスの助言があったと言われています。)
ベラスケスの宮廷画家人生
ベラスケスは24歳頃、王の肖像を描くと、王から直ちに宮廷画家に任命されました。
生涯、フェリペ4世にこの上なく重用・厚遇され、宮廷画家人生の多くを宮廷内で過ごしました。
それまで貴族のみだった勲章を授与されたり、宮廷官吏として出世しました。(が、そちらで忙しくなり絵を描く時間が少なくなったため生涯作品数は約120点と少ない)
ベラスケス29歳のとき、ルーベンスが外交官としてマドリードを訪問した時には接待役として付き添いました。その時、ルーベンスから「君は才能があるから、イタリアに行き世界から刺激を受けるべきだ。」と言われ、翌年、ルーベンスの進言もあり、国王からイタリア行きの許可がおりました。イタリアでは王家コレクションの買い付けをしながら多くの宗教画・神話画を見て模写しました。この時は1年程で帰ったのですが、17年後2度目にイタリアに行った時には王の再三の帰国要請があったのにもかかわらず3年近く滞在しました。(この話好きなの王をシカトし続けて渋々帰ったっていう…遅く来た反抗期か)
このイタリア旅行の際にベラスケスの唯一のヌード作品《鏡を見るヴィーナス》を描いています。
帰国した数年後(1652年)には「王室配置長」にまで役職が上がりました。
1660年、フェリペ4世の娘マリア・テレサとフランス国王ルイ14世との婚礼の装飾担当責任者に命じられ、準備のためにフランスに赴き、指揮を無事に終えマドリードに帰着後病に倒れ、61歳で亡くなりました。過労死と言われています。
…
まるこが思うに、いろいろなエピソードからベラスケスは王が惚れた男といっても過言ではなさそうです。あまりの重用ぶりに宮廷内でひがまれたり嫌がらせを受けたりもあったようですが、相手にしなかったようです。そういう話を聞くと、私はベラスケスが人として出来ている人だったのだと勝手に思っています。だから好きなのです
ベラスケス7点についての感想など
ベラスケスの絵画の特徴としては「品位・高潔・矜持」の言葉がふさわしく、どんな身分の者でも魂に潜む美を掘り出したと評価されています。この展覧会の目玉は”ベラスケスが7点も一挙来日”ですので、それについて一つづつ感想など書いていきたいと思います
(絵の題名は《○○》で表し、no.〇の数字は展覧会の通し番号です)
①no.1《ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像》
この絵は”王フェリペ4世の頭部を作る宮廷彫刻家(モンタニェースさん)”を宮廷画家ベラスケスが描いたという絵です。右下に見切れている作りかけの粘土(?)の王の頭部が絵としても未完成に見えてなんかちょっと変わった面白い絵でした。
とはいえ、彫刻家のモンタニェースさんの自信ある風格ある威厳ある表情などはかっこいいですね
一つ疑問に思ったのは、フェリペ4世は”未完成の王(自分)を絵として残される”ことはどう思っていたのかなということです。プライド高い王だったら粘土とはいえ未完成の姿が残るの嫌じゃないって思ったので。考えすぎかな
②no.9《メニッポス》
メニッポスさんは古代ギリシャの犬儒学派の哲学者で、現世の価値や富に懐疑的な立場をとったと伝えられている人物です。
この絵はイソップ童話を書いたイソップさんと対で製作されました。
同じ建物のためにルーベンスが描いた《笑う哲学者デモクリトス》、no.10《泣く哲学者ヘラクレイトス》との対比を意識して描かれているようです。
ところで、”犬儒学派(キュニコス派)”という名称は”犬のような乞食生活をした”ことが由来で、彼らは「禁欲を重視し、実践を重んじ、現実社会へは諦めた態度をとった」のだそうです。
ちなみに「嘲笑する、皮肉屋な、人を信じない」という意味の「シニカル」という語はキュニコス派を指す英語のcynicを形容詞にしたcynicalに由来するそうです。へ~
それを知った上でもう一度ベラスケスの《メニッポス》を見てみます
私にはこの哲学者は一般市民の人の好い老人のように見えます。
ポケットからお小遣いでも出してくれそうな優しげな微笑み。
猫背や首の傾きから”シニカルさ”を受け取れなくもないけど…”現実を諦めた皮肉屋”な印象を受けましたかどうでしょうか
③no.14《マルス》
マルスが頭に兜だけ被って裸でベッド(?)に腰かけて何やら思案しているような一息ついているような絵です。マルスとはローマ神話の闘いの神(軍神)です。
王の屋敷を飾るために描かれた”休んでいる軍神”が何を意味するかと言うと、”争いのない平和な世界”を表し、暗に”王の政治手腕を賞賛”しているのだろうと思われます。
このマルスは兜の影になって顔がよく見えません。近づいても顔は精密に描いてなくてピントが合っていないように見えました。対照的に、体は照明が当たっているように明るく明確でした。体を見て欲しい(もしくは体を描きたい)絵なんだろうと感じました。
このマルスは”ピッチピチの若い男性の締まった体”ではないんですよね。40~50代の肉体労働者のような、普段から体を動かす大人の男性の魅力を感じます。ちょっとくたびれている感じがたまりません
…それがまるこの趣味かどうかはご想像にお任せします
④no.21《狩猟服姿のフェリペ4世》
この絵の面白い部分は”修正した部分が透けて見えてきちゃってる”ということです。ベラスケスは完璧に描いているはずですが、経年変化で修正跡が出てきちゃってるみたい…
修正前はもっと脚曲げてたとか、もっと銃口が長かったとかが見えてるのを見て「何を思ってこっちに修正したのかな~」という視点で見るのも楽しいですね
…それで言うと、さっきの《マルス》の左ももの部分も違和感ありました。青い布がもっと素肌を隠していたのを修正したような変な筆の後で描かれているように見えます。やっぱりたくさん素肌を描きたかったのかな
⑤no.26《バリェーカスの少年》
この少年は宮廷にいた慰み者と呼ばれる奴隷の一人です。
まず、この作品に触れる前に「宮廷にいた慰み者」について解説を…
ちょこっと解説:宮廷の慰み者
当時の宮廷には”慰み者”と呼ばれる矮人(小人症)、巨人症、超肥満体、異形の者、道化、黒人、阿呆、知的障碍者、混血児、おどけ…などが数百人も”愛玩物/ペット”のように”飼われて”いました。時に市場で買ったりしたみたい。(人権はなかったとはいえ、食べ物や部屋など生活は保障されています。)
で、彼らの役割はというと、王の子供たち(王子、王女たち)の遊び相手や勉強相手です。勉強相手と言っても家庭教師の役割ではなく、王子・王女が先生などの言うことを聞かなかったり間違えたりしたときに代わりに体罰を受けたり、”他の人々に優越感を与えるため”に存在していました。
そんな「宮廷に飼われる慰み者」をベラスケスはどう描いたのか見てみます。
《バリェーカスの少年》の隣に展示してある他の画家が描いた矮人の絵no.25《矮人の肖像》と比べてもベラスケスの”慰み者”の表現は特別に見えます。
《バリェーカスの少年》が手にしているトランプは”虚しさ・愚かさ”を象徴するアイテムとして描きこまれているようですが、彼の身体の障害は誇張されず、心身の痛みに苦しむそのままの姿を同じ視線で現実感をもって表現し、彼の魂に触れているようです。慰み者に向けられそうな「嘲笑」や「同情」といった感情は感じられませんでした。
⑥no.34《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》
この絵はチラシにも使われている今回の目玉とも言える一枚です。
まだ子供の王太子が立派な馬に乗っている絵なのですが…これは子供の体と馬の体の比がおかしいように見えますね。それもそのはず、高い位置に飾ることを計算して、下から見上げる時にちょうどよく見えるように描かれているのだそうです。
…と、いうことなのでしゃがんで見てみました
なるほど確かにしゃがんで下から見上げると、王太子の体が縮んで馬の体の迫力が増して迫ってくるようで、立派な馬を見事に乗りこなして指揮棒を勇ましく振っているように見えました。
(ほんとは最初にしゃがんだ瞬間、照明の光が絵全体を反射しちゃって真っ白く飛んで全く見えなかったのでも、角度やしゃがみ方を変えて何とか見上げて見ることが出来ました)
さらに、王太子にフォーカスするため、敢えて背景の景色はぼかして描かれていました。
完全に精緻に写実的にしようと思えばできるけど、敢えて「こんなふうに見せたい」という思いのもと工夫されているのが興味深かったです。
⑦no.51《東方三博士の礼拝》
この絵はどの美術館も一枚は持ってるだろうってくらいありふれた聖書の一場面(東方三博士の礼拝)を描いているのですが、ベラスケス作品の特に注目したい点はそのモデルです。
これは彼が20歳の頃描かれましたが、伝承によると手前の一人(三博士の中の青年)はベラスケス自身、聖母は奥さん、イエスは生まれたばかりの娘、ヨセフは義父(であり師匠)をモデルにしたようです。
聖家族の神々しさや近寄り難さは控えめに、穏やかで幸せな雰囲気が漂いめっちゃ素敵な家族のコスプレ集合記念写真っぽい~ってちょっとほっこりしました
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第一回は以上です。
第一回、最後までお読みいただきありがとうございました
ここまで頑張って読んだよ~って方、いいね!してね
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続きはこちら第二回(①ベラスケス作品以外で印象に残った作品②展覧会をもっと面白く見るための視点を提案)
資料の出典は第三回の最後にまとめて書きます。