こんにちは、まるこです
先週上野へ美術館・博物館巡りの日帰り一人旅してきました
今回巡った美術館・博物館一覧
(リンクで展覧会公式ホームページが開きます)
東京都美術館「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」(~2018.1.8)
国立西洋美術館・常設展内・版画素描展示室「《地獄の門》への旅 ロダン素描集「アルバム・フナイユ」」(~2018.1.28)
国立科学博物館「アンデス文明展」(~2018.2.18)
国立科学博物館・常設展内・企画展示室「南方熊楠 100年早かった智の人」(~2018.3.4)
今回の記事では南方熊楠とその企画展示について感想やら調べた事やらを書きたいままに書いていきたいと思います興味ある方どうぞお付き合いくださいませ
南方熊楠とは
南方熊楠(みなかた くまぐす) 1867年(慶応3年)~1941年(昭和16年)
博物学者、生物学者、民俗学者。粘菌の研究で知られている。
私が熊楠を知ったきっかけ
今年のはじめ頃に私の好きなテレビ番組「英雄たちの選択(NHK-BSプレミアム)」で南方熊楠を取り上げた回があって、その時初めて知ったのですが、とても興味深い人物だと印象に残っていて気になっていました。
そして今回科博で企画展があることを知り楽しみにしていたのです
熊楠の人生の主な出来事
20歳:アメリカへ留学。
25歳:ロンドンへ留学。ロンドンでは亡命中の孫文とも交流があった。大英博物館に出入りを許され、書物を読みあさり膨大な知識を収集する。「ネイチャー」に寄稿。
33歳:父が亡くなり、仕送りが止まり生活苦となり帰国を余儀なくされる。
33歳~59歳:那智・田辺で活動。神社合祀反対運動。
62歳:昭和天皇に変形菌標本110点進献。
74歳:永眠
熊楠の逸話
熊楠にはトリッキーな数々の逸話が伝えられています。
・子供時代に百科事典(『和漢三才図会』など)を暗記し書写した。
・口から胃の内容物を自在に吐き出せる体質だったので小学生時代にはケンカするとパッと吐いた。そのためケンカに負けたことがなかった。
・語学に極めて堪能で英語・イタリア語・ドイツ語・フランス語・ラテン語・スペイン語・ギリシャ語・ロシア語などを理解し、外国語の専門書を多く読みあさった。
・大英博物館の図書館で人種差別発言を受け、相手に頭突きを食らわせて入館禁止となる。3か月後また同じ相手を殴打したため博物館から追放されたが学才を惜しむ有力英人たちから嘆願書が出され復職した。
・ある講習会場にて酩酊状態で侵入し家宅侵入で逮捕されるが監獄にて新種の粘菌を発見した。
…他にもウィキペディアにいろいろ書いてありました。なかなかぶっ飛んだ人で面白いエピソードが結構ありました
(”胃の内容物を自在に吐き出せる体質”って何よアルパカか何かかな
)
100年早かった智の人の展示を見て
今回の企画展示を見て一番意外だなと思ったのは、彼自身がひどい癇癪持ちだということを自覚した上での発言で「狂気に陥らずに済んだのは図譜の作成が精神を安定に保つ手段だった」と振り返っていたことです。
子供時代からの驚異的な記憶力、常軌を逸した読書家としての集中力、奇行が多く異常な癇癪持ちといった特徴から、もしかしたら今なら何か診断名がつく感じだったのかなと思いました
サヴァン症候群とか、アスペルガー症候群とか、ギフテッドとかね…知らんけど
彼自身、普通の人とはちょっと違うところがあると認識し生きにくさを感じた部分はあったのかもしれません。それでも興味あることに全身全霊で打ち込むことによって身を保ち、進み続けることが出来たことを自覚してそうした言葉で表現できるのはすごいなって思いました。
キャラメル箱
2番目に意外だなと思ったのはキャラメル箱についてです。
熊楠が昭和天皇に標本を進献した際、”キャラメル箱に入れて”という話は聞いたことがあったのですが、私はずっとマッチ箱くらいの小さなキャラメル箱に一つづつ入れたものを献上したのだと思っていました。
でも展示を見てそのイメージが間違っていたことが分かりました。
思っていたよりずっとキャラメル箱大きかったです
少年ジャンプが2冊重ねてすっぽり入るくらいのサイズ感で、駄菓子屋さんが仕入れるサイズの大人買いサイズの”キャラメル箱”でした
(…どうでもいいとか言わないで)
あと、なんで”キャラメル箱に入れて”っていうのがいつも取り上げられるのかなって思っていたのですが、通常天皇への献上品は「桐の箱」とか最上級の入れ物を使うことになっていたようなので(まぁ、そりゃそうだ)、それを無視した(あまりにも気にしなかった)ことが普通じゃなかったのでいちいち言われていたのですね
ちなみに昭和天皇は生物学者としての活動でも有名だったようなのですが、若かったころ(当時29歳)憧れていた熊楠(当時62歳)に会いたくてこのご進講の機会を得られたのだそうです。
(余談ですが昭和天皇が皇居の敷地内で採集された標本の胞子から培養した粘菌は新種であることが分かり、後に大英自然史博物館に寄贈されています。そして今年(2017)の春に国立科学博物館の特別展「大英自然史博物館展」にて里帰りしました。)
神社合祀反対運動と自然保護の関係
ところで、熊楠は神社合祀反対運動を自然保護の観点から推し進めたという文脈の中で、なぜその2つが関係あるのかと疑問に思っていたのですが、展示を見て解決しました
神社合祀とは
そもそも神社合祀とは、明治政府が「神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させるため」に行われた政策で、財政が負担できるまでに神社の数を減らそうとしたものでした。
反対運動と自然保護
神社が失われるということはそれに付随する鎮守の森(神社に付随して参道や拝所を囲むように設定・維持されている森林)が失われることを意味します。
明治政府は”神々の純化”という表向きの目的とは別に、取り潰した森林資源を売却し、日露戦争の借金を返したいという目的がありました。
熊楠はこれに対して「森林伐採は生物の絶滅を招くだけでなく、日本の文化や精神世界にも影響を与える」として民俗学的見地からも神社合祀を反対しました。
もちろん熊楠が愛した熊野の森が破壊され失われることは避けたかったという点は分かりますが、ただ環境破壊という一視点ではなくて、もっと多角的な視点からの反対運動だったということは私には衝撃でした。
具体的には、熊楠は神社合祀に対して以下の8つの項目を理由に反対しました。
①敬神の念を減殺する
②民の和融を妨ぐ
③地方を衰微させる
④国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する
⑤愛国心を損なわせる
⑥土地の治安と利益に大きな害がある
⑦史蹟と古伝を滅却させる
⑧天然風景と天然記念物を亡滅させる
柳田國男との関わり
この神社合祀反対に関する記述は帝大の松村教授宛てに書かれた書簡だったのですが、柳田國男(民俗学者)によって『南方二書』として50部印刷され有識者たちに配布されたそうです。
私が初めて熊楠を知ったときに”理系版柳田國男みたい”だと思ってときめきましたが、まさか二人に接点があったなんて知らなかったので胸熱でした
平和な時代だったら二人がどんな雑談に花を咲かせていたか覗き見たい思いです
熊楠の情報整理
今回の展示の最後には、彼の膨大な情報収集の上に編み出した情報をまとめるためのメモ書きが展示され(「十二支考・虎」)、そこから彼の思考に迫るという試みがされていたのですが…とにかく凄かったです(説明放棄
)
他人の頭の中の暗号だらけの単語・短文の走り書きを文脈が通るように文章に組み立てようとするなんて大変なことだと思います。
感想
展示室自体はそれほど大きくはないのですが、どれも興味深く楽しめました
フィールドワークに使った道具とか、英語で書かれたノートとか、柳田との書簡とか、十二支考とかね。
あ、そうそう。デスマスクなんかもあってね、ちょっとびっくりしたよ
展示を見終わって、熊楠が現代に生まれていたらどんな活躍をしただろうかと想像してみました。…もしかしたら時代や所属するコミュニティが違えば黙殺され嘲笑されていたのかもしれません。そう思ってしまうくらい激しく極端でとても興味深い人です。
もっと知りたいなって思いました。
どうでもいいけど
チラシの熊楠の写真は本木雅弘(もっくん)さんみたいでイケメンなのに、年とった写真は三又又三にしか見えないという悲劇は言及しないではいられないよ…
before
after
終わりに
南方熊楠の企画展示は始まったばかりです。3月4日までやっています
別の展示室では「地衣類-藻類と共生した菌類たち-」もやっていて合わせて理解を深めることが出来そうです
(今回私は時間がなくて地衣類の部屋には行けませんでした)
最後までお読みいただきありがとうございました