はじめに
こんにちは今回は愛新覚羅溥儀について書きたいと思っています。
めっちゃ長いので、目次を先に書いておきます。よかったら興味のあるとこだけでもどうぞ
自伝と映画を比較して難しく考察したりはしません。(ていうかそんな難易度の高いこと出来ません)ただただ書きたいことを書いています。本当にただ書きたいことを書いています
そして途中箸休めに”オトナ”の話題を挟みますのでご了承ください
目次
・映画『ラストエンペラー』の概要と、それを観たかった理由
・李香蘭について
・満州について
・愛新覚羅溥儀という男の一生
・映画『ラストエンペラー』を観て
・映画『ラストエンペラー』のエロく美しいシーン4選
・NHKBSプレミアム「映像の世紀」で見た溥儀
・余談
映画『ラストエンペラー』
映画『ラストエンペラー』は、1987年に公開されたイタリア・中国・イギリス合作の映画ですが、清王朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)の人生を描いた作品です。
ずっと観よう観ようと思っていて、たまたまテレビで放送してたので録画しておいて、やっと観ました
なぜ見たかったか
数年前、DVDで劇団四季の『ミュージカル李香蘭』を見た時に、第二次世界大戦のこと、日中戦争のこと、満州国のことをあまりにも知らないことに愕然としまして、ちょっと満州のことを勉強したんです。そこで溥儀のことを知って、また、溥儀の映画があると知って、見たいと思っていました。満州への入口は李香蘭の自伝から入りました。
李香蘭とは
本名・山口淑子。満州に生まれ、日本人であることを公表せずに李香蘭を名乗り満州映画協会の専属女優として人気を博した女優。
(※満州映画協会:通称・満映/ただの映画会社でなく、日本の国策として映画を作成。五族共和(日本人・漢人・蒙古人・朝鮮人・満州人がみな仲良く力を合わせる)というスローガンのもとプロパガンダ映画を制作。(…実際は日本人が優位に立つような思想が根本にある))
彼女は、終戦時に「中国人の戦意を著しく喪失させる映画に出ていた」として中国で祖国反逆罪に問われたが、辛くも日本人であることを証明することが出来、銃殺刑を免れ、国外追放となりました。
満州…
李香蘭の自伝を読んでも、歴史背景がいまいち理解できない箇所が多くて、その後は満州の歴史を調べました。教科書には出てこなかった関東軍(※満州にいた日本軍のこと:満州一帯の中国東北部は関東地方と呼ばれていたので)の悪行の数々(平頂山事件とか)、謀略に次ぐ謀略に辟易としましたが、そうした事実を義務教育で教わらずにこの歳まで生きてきたことに恥ずかしさすら覚えました。
やっと中国人・韓国人が日本人を毛嫌いするのが分かるような気がしました。
また、満州は理想の土地だと吹き込まれて(騙されるようにして)満蒙開拓団として満州へ渡った日本人たちのやりきれない話(※全くの余談ですが、映画『相棒Ⅳ(2017.2公開)』のベースには満蒙開拓団があると思っています。名称は変えてるけど、鹿賀さんが演じた役の過去が満蒙開拓団に似てるなって思いました。とてもやりきれない気持ちになりました。)、政府や本土の軍のトップの命令などお構いなしに卑怯な手を使い続けた関東軍の参謀(板垣征四郎・石原莞爾ら)の謀略、捕虜を実験台として非人道的な人体実験・生体実験を続けた731部隊…等、ショックを受けた事実がたくさんありました。特に731部隊については別の機会に記事を書ければ書きたいと思っています。
さて、本題に戻りますが、読んだ本の中に溥儀の自伝もありました。
『わが半生』です。(※1964年版)
この本自体は溥儀が中国共産党支配下の政治犯収容所にて思想教育を受けた後(か、受けている途中)で書かれたものです。
後述しますが、ちょっと普通じゃない状況で書かれているので…保身のためにしらを切ったり、ちょっと盛ったりしてる部分があります。さらに、後半での”中国共産党のプロパガンダ”臭がきつくなってきて、それはそれで面白いのですが、史実とずれる箇所もありそうです。
(追記※『わが半生』は2007年に加筆され完全版として出版されているようなのですが、そちらには64年版で削除されていた部分が盛り込まれているそうです。削除された部分には東京裁判での偽証を謝罪したり、関東軍将校の吉岡に罪を着せたことを反省したことなどが入っているそうです。読みたい)
ちなみに映画の原作(というかベース)は溥儀の英語教師でスコットランド人のジョンストンが帰国後に書いた『紫禁城の黄昏』です。…なので、内部にいた第三者から見た紫禁城という視線ですね。私はまだ読んでないの。読みたい
愛新覚羅溥儀という男
それではここで、ざっと溥儀の一生を追ってみます。
彼は2歳10か月で清王朝の第12代皇帝となりました。強い権力を持っていた西太后の思惑によって、西太后が後々幅を利かせやすい人物として白羽の矢が立ちました。(…と言っても、11代・光緒帝が37歳で不審の死を遂げた翌日に西太后は亡くなりますが…)
結局溥儀が6歳の時に、孫文による辛亥革命が起きて270年以上続いた清王朝は滅び、中国は中華民国となります。
その後、袁世凱が権力を握りますが溥儀の紫禁城での暮らしは認められていました。が、後に軍閥による勢力争いの末に権力を握った馮玉祥らによって溥儀は紫禁城から追い出されました(1924年・溥儀18歳)。
溥儀らは住む場所に困っていましたが、最終的に英語の家庭教師ジョンストンの協力もあり、日本公使館での生活が許され、その後は天津の日本租界に移りました。
そしてある日、満州国設立を目論む関東軍幹部が満州国の国家元首として即位してほしいと溥儀の元を訪れます(1931年・溥儀25歳)。
(※1931年9月18日の柳条湖での満鉄線路爆破事件(自作自演)に端を発する満州事変勃発後すぐの9月30日に溥儀に対して最初の関東軍からの呼び出しがありました。その時は返答を曖昧にしましたが、11月2日関東軍トップ土肥原賢二が訪れ、溥儀に皇帝の地位を確約し、溥儀は承諾しました。)
溥儀は「皇帝」でなければ受けないと強気の姿勢でしたが、清朝の復辟を条件に受け入れました。溥儀の中にも、「今は言うことを聞いておいて、いずれは皇帝に返り咲くんだ。」という野望があったのです。(1932年3月1日満州国建国・溥儀(26歳)執政に就く、1934年3月1日溥儀(28歳)皇帝に就く)
満州国の執政(のちに皇帝)だった頃の溥儀は、日本軍の言いなりで、一つの発言どころか微笑み一つ返すことすら軍人の顔色を窺っていたというようなことを自伝に書いていたかと思います。(まぁ、この辺は保身のため話を盛ってるのかは微妙な気もしますが…)
第二次世界大戦での日本の負けが決定的になると、溥儀は中国で祖国反逆罪として裁かれ処刑されることを畏れ、自分も日本へ渡りたいと空港へ駆け込みますが、空港は既にソ連軍の手に堕ちていて、溥儀はそのままソ連の捕虜となります(1945年・溥儀39歳)。ソ連の収容所ではそれほど不自由な暮らしではなかったようです。
その後、1949年、中国は蒋介石率いる国民党の中華民国から、毛沢東率いる共産党の中華人民共和国に変わります。社会主義国家のソ連と中国が近づいたため、1950年に溥儀の身柄も中国へと返還されます(溥儀43歳)。
中国に還った溥儀ですが、政治犯として収容所に入れられます。
(おかしな話なのですが、1945年当時には存在していなかった国家(中華人民共和国)の戦犯として裁判なしに収監されているのです)
当時の中国共産党は「生まれながらにして悪人などいない」という考えの下、「どんな悪人でも教育によって人は生まれ変わることが出来る」と教育の力を信じ、思想改造教育に力を入れていたので、溥儀もそうした教育を受けました。
収監中の溥儀は模範囚と言われるような礼儀正しい言動をしていたようです。
1959年に国家主席・劉少奇の特赦令によって溥儀に特赦が与えられます(溥儀52歳)。また、翌年には周恩来首相が溥儀に北京植物園での庭師としての仕事まで世話をしてくれます。周恩来はかねてより溥儀の生立ちや時代に飲まれた半生を哀れに思い同情の念と、人としての尊敬の念(子供のころから高等教育は受けていたので)をもって溥儀に接していたようです。
さらにその後は、全国政治協商会議文史研究委員会専門委員として文史資料研究活動を行い、また、中国人民政治協商会議全国委員に選出され尽力しました。
その後、腎臓がんを患い入院します。
入院中、文化大革命の煽りを受け、病院側が溥儀の治療を放棄しました。
(※文化大革命:1965年~約10年間、毛沢東主導下で展開された政治・権力闘争。青年学生運動の紅衛兵が結成され、四旧(旧思想,旧文化,旧風俗,旧習慣)打破を叫んで街頭に進出し,文化財や書物を破壊したり暴力をふるったりして文革を推進した。また、死者は数百万~1000万人以上とも言われる。
溥儀は清朝皇帝という「反革命的」な出自のため、溥儀の入院している病院を突き止めた紅衛兵らが病院に押しかけ騒いだため、医師らは溥儀の治療をせず放置した。)
それを知った周恩来は激怒し、治療を再開させますが…どちらにしても末期で手遅れだったようです。1967年に61歳で亡くなりました。
(ウィキペディア情報では、溥儀は死の間際に晩年の好物だったチキンラーメンを欲しがったそうですよ。もうそれ聞いてから私チキンラーメン食べる度に溥儀のこと思い出しちゃう)
溥儀への想い
私が溥儀に対して感じた想いは「時代に流されたかわいそうな人」でした。
彼の人生にはどれだけ”自身の意思”が反映されてたんだろうって。
子供のころはクソみたいな子供でしたが(口悪い…)それはきちんと教育しなかった周りの大人が全面的に悪い。
クソみたいな子供エピソード
映画では溥儀(10歳)が本当のことを知っている弟に「お前は皇帝じゃない!」とか言われて腹を立て、自分は皇帝であり、誰でも自分の言うことを聞くというのを見せつけるためにお付きの老人に「墨汁を飲め!」と命令し、飲ませました。(※実際既に清は滅び、紫禁城の外では中華民国の大総統が国の最高権力者でした。溥儀本人は知らされてなく、それを弟は言ったのです。)
自伝では宦官に道端の犬の糞を食べさせていたような気がします。(←あ、でもちょっと自信ない)…それを誰も咎めないなんてどうかしてるぜ。そのまま大人になって立派な君主になれるはずがないわよね。
映画を観て
前述の溥儀の人生を知ったうえで映画を観て、感じた事や突っ込まざるを得ない点を好き勝手挙げます
全編英語の違和感
舞台が中国で、中国も合作チームに入っているのに全編英語って結構違和感ありました。
イケメン過ぎる溥儀
溥儀役がイケメン過ぎるのよね
イギリス領香港出身の俳優さん(尊龍/ジョン・ローン)なんですが、溥儀と違いすぎるぜ…
本物
映画の溥儀
本物の溥儀は”水木しげるの描く日本兵”みたいな顔じゃん
満州人同士の赤ちゃんがどう見ても西洋人
正妻・婉容と満州人との子供(生まれたばかりの赤ちゃん)がどう見ても西洋人の赤ちゃんだったのがびっくりしたよ。アジア人が見たらどう見てもあれは西洋人だけど、西洋人から見たらいつも見てる赤ちゃんの顔だから違和感ないんかな、とか思っちゃったよ
(これは本当にどうでもいいと自分でも思う…けど、言いたかった)
坂本龍一さんの不気味な存在感
坂本龍一さんが映画の音楽を担当し、アカデミー賞作曲賞を受賞されていますが、甘粕正彦役として出演もしています。
(※甘粕正彦:東京で憲兵隊長をしていた1923年、関東大震災の混乱に乗じて無政府主義者・大杉栄らを殺害したいわゆる甘粕事件を起こしたことで知られる。軍法会議で懲役10年の判決を受けるが、恩赦により3年で出所。1929年、中国東北部に渡り関東軍の謀略に協力し満州国建設に関与する。1939年~満映理事長に就任。)
坂本さんの甘粕さんはじーーっと相手を見つめ、何考えてるか分からないような、不気味な感じでした。ほとんど喋らないの。たまに喋ると怖いし。すごい存在感でした
映画中に流される記録映画
思想教育を受けている収容所内で溥儀らが戦争記録映画を観させられているシーンがあるのですが、その記録映画自体は(役者の溥儀が映っている部分以外)本物の映像を使っているように見えました。
戦争を知らない私たちが、戦争を知るために意味のある・価値のある部分だと感じました。
史実とフィクション
それではここで、”史実とは違う脚色されたであろう部分”を挙げてみます。
伝記物の創作物を見ると、全てが本当のように思ってしまうのが私の悪い癖
史実ではなく脚色だろうと思った部分を挙げてフィクションとノンフィクションの混同を防ぎます。
甘粕と溥儀の距離感
甘粕さんがあまりにも溥儀の近くにいるなーとは思いました。あと、川島芳子と正妻・婉容の距離が近いなって思いました。その辺の人間関係は史実と違うんかな。
(※川島芳子:「東洋のマタハリ(女スパイ)」「男装の麗人」などの異名を持つ。溥儀と同じ愛新覚羅の出自だが、日本人・川島浪速の養女として育ち、のちに日本軍のスパイとして活動。終戦時に中国で祖国反逆罪として銃殺刑に処される。)
(劇団四季『ミュージカル李香蘭』ではストーリーテラー的に登場する重要人物です。)
あと、甘粕さんと芳子が意味ありげにこっそり手をつなぐシーンがあったのですが、それも史実じゃないと思う。史実では芳子は田中隆吉(日本陸軍少佐)と近い関係にはあって、共に諜報活動をしてたけど、甘粕さんと近かったというのは私が読んだ本にはなかったよ。ちょっとその辺は分からないです
(伝記物創作物にありがちな”物語をスッキリさせるため登場人物を最小限に絞る過程において複数人の人物を一人に統合した”のが甘粕さんなのかなとも思いました。いや、でもわからん。)
甘粕の死
甘粕さんは映画では拳銃自殺してましたが、史実では青酸カリによる服毒自殺とされてます。
TIME紙の表紙
映画中で溥儀が単独で表紙になっているTIME紙が映ったのですが、実際は”昭和天皇・溥儀・スターリン・蒋介石”の4人で表紙を飾っています。
細かいね、すまそん
それではお待たせしました()続きまして箸休めのお時間です
それはエロい…と思った箇所4点
映画の中で、「それはエロい…」と思った美しいシーンをご紹介します
①大きくなっても乳母のおっぱいを吸う溥儀
設定8歳かな?もう大きいのに乳母に片乳出させて吸いつくシーンがあるんですけど…なんかね、エロいの。
溥儀は幾重もの着物を着ている乳母のもとへ近づいて、乳母の着物の合わせ部分をゆっくり優しく引っ張ります。そうすると乳母が片おっぱいを出して、溥儀がゆっくりと口を近づけて吸いつきます。
もうね、子役だって10歳くらいなのに、そんな子供にあんな演出をつけるなんて…映画倫理的にOKなのかあとで学校でいじめられないか
とプチパニックになったよ。
その子役の時間の使い方がエロく感じてそわそわしてしまった(そうさせたのは演出つけた監督なんだろうけど)
②結婚初夜のキスの嵐
溥儀と正妻の設定が17歳。初めて二人で過ごすシーンだと思うんですが、そのシーンにエロを感じました。
正妻・婉容(えんよう)が無抵抗の溥儀の顔面にキスの嵐をお見舞いするんですけどね、どんだけ口紅塗ったくってんのってくらい溥儀の顔面が口紅べったりキスマークだらけにされちゃうんです。で、初めのうちは溥儀は受け身だったんだけど、だんだんその表情も恍惚としてきて、しまいには婉容に自分からキスをお返しします。お返ししまくるの。溥儀の顔も真っ赤なキスマークだらけだけど、婉容の両頬も口紅で赤く染まっちゃってね、もう大変
中高校生くらいの子役のその恍惚とした演技に私はエロを感じました。
初めは慣れない感じでされるがままだったのが、次第に陶酔して恍惚とした表情となり、自らも衝動に突き動かされていく感じがたまりませんでした。そしてそれを少年が演じてるっていうところに萌えました。
③二人の妻(正妻・側室)とのシーツの中のお戯れ
ある晩、溥儀が横になっていると正妻・婉容が「怖いから一緒にベッドに入ってもいいかしら」と溥儀のベッドに入ります。で、チュッチュッしてると今度は側室・文繍も「私も一緒に入ってもいいかしら」とやってきます。
溥儀は二人を自分のベッドに入れて、かつて子供のころお付きの者たちとした遊びのことを二人に話します。その遊びとはシーツ越しの人物を誰だと当てるゲームです。
で、その遊びを3人でしようということになり、薄いシルクのシーツ一枚をかぶってキャッキャ遊び始めます。初めは子供のように戯れていたのが、すぐにあやしげな息遣いに変わります…
カメラはベッドを真上から撮っていてシーツだけが映っています。そのシーツがとにかく激しくモゾモゾしてるんですね。下の3人がどんな格好なのか分かりそうで分からない。3人の吐息だけは聞こえてくる。もうね、何か始まっちゃってるんだよね
④婉容の足を舐める川島芳子
これはレズ風味のエロス。
芳子が婉容と二人きりで部屋にいて、アヘンを与えてやるのですが、けだるそうに横たわる婉容のタイツを芳子が脱がせて足にキスをし、足の指を舐めるんです。
それがすごくゆっくりと流れる時間の中でアジアンビューティーな二人の妖艶な視線にエロチシズムを感じました。直接的なエロじゃなくて想像がふくらんじゃう系のエロね。
お目汚し失礼しました
今月(2017.8月)のNHKBSプレミアム映像の世紀
※真面目バージョンに戻ります
今月のNHKBSプレミアム「映像の世紀」で、東京裁判にて証人としてロシアから召喚され証言する溥儀の映像と、恩赦を受けて収容所から外に出る時に顔をゆがめて涙を流す溥儀の映像が流されました。
ちょうどラストエンペラーを見ていたタイミングだったので、とても興味深かったです。
すごく変な感想だけど…本当に実在したんだなって思いました。
余談の余談
どうでもいい話挟みます
私の祖母は今年91歳になったのですが、まだ元気なので事あるごとに戦争の話をします。結構最近までは「あ、また始まった…」と右から左に受け流してばかりでしたが(極悪
)最近は戦争の話はちゃんと聞くようにしています。いつ聞けなくなるか分からないからね。
で、時々興味深い話をしてくれます。
祖母の友人のお姉さんが、満州国時代に溥儀の屋敷にご奉公に行っていたらしいのです。(※奉公:住み込みの使用人的なやつだと思う)
祖母も友人のお姉さんだからそれほど詳しく聞いてないみたいなので、私が質問しても大した情報は出てこないのですが…
なんかね、私と歴史が繋がっているのを感じたよ
まとめ
なんだかまたしても脈絡のない話をだらだらとしてしまった
ここまで読んでくださった方いるのかしら…いるとは思えないわ
書いている本人すらそう思っているのに、ここまで読んでくださった方本当にありがとうございます
今回満州のことは結構調べたんですが、その続きで太平洋戦争のことも調べよう調べようって思ってて半年以上放置してます少なくともばあちゃんが元気なうちに一度じっくり勉強しますとここに宣言します
最後までお読みくださりありがとうございました