「ひとりになることを恐れていたら何もできひんから」長女にそう言われて始まった、アメリカのカレッジ探し。

 

ただ、これがベスト!と言えるほどのカレッジは…見つからなかったというのは前回のブログ。

 

コミュニティカレッジからの四年制大学への編入。

いまアメリカ留学のトレンドと言ってもいいほど、よく聞くようになりました。

 

ちなみに、アメリカに住む現地の高校生も、同じルートで大学編入をする人は少なくありません。

コミュニティカレッジで2年分の単位を取ってから、四年生大学に編入することで、学費を抑えられるから。

 

1本の電話に活路が

ただ留学生料金となると、コミュカレでも学費だけで、日本の大学(理系私立)くらいになってしまいます(地元の学生は3分の1くらいの学費、条件さえ満たしていればタダです)。

 

学費や生活費のコストが安いコミュカレは、編入率や卒業率も低かったりして、安かろう悪かろうでは留学する意味がない。

 

なかなかココ!という留学先が見つけられない中、長男、次女の帰国後の学校探しも難航して、精神的にすっかり疲れてしまっていました。

 

長女が私たちのもとを離れてもアメリカに残りたい!という決心を聞かされたときもショックだったけれど。

長女の希望を叶えてやれないかもしれない、ということのほうが、もっとショックだった…。

 

そんなある日、1本の電話がかかってきました。

 

それは、このブログにも何回か登場してくださっているノースカロライナの卑弥呼様 からの電話。

はじめてお目にかかったとき、2016年!
 
オーダーくださっていたブレスレットの話が一段落したときに、急に聞かれたのです。
「聖子さん、大丈夫?何かあったんじゃない??」と。
 
いつもと変わらず明るく楽しくお話ししていたのに…急にそう尋ねられて、絶句しました。
 
でも、その声がただ心配そうで、気遣ってくださっているのが伝わってきて、思わず急な帰任の話から、長女のアメリカに残りたい希望まで、すっかり打ち明けてしまったのでした。
 
すると卑弥呼様が、きっぱりおっしゃったのです。
「もし、長女ちゃんさえ良かったら、うちにホームステイをして、カレッジに通ったらどうでしょう?私は主人に聞いてみますから、聖子さんは長女ちゃんに聞いてみて」
 
続いて提示してくださったホームステイの費用は、到底、寮費にも満たない金額でした。
 
実はアメリカに来て半年がすぎた10月にも、ノースカロライナからカリフォルニアまで遊びにきてくださっていて。
うちの子ども達ともナパバレーまで一緒に日帰り旅行をして、面識はありました。
 
それにしたって、長女をホームステイさせてくださるって、そんな…。
 
「誰にだってこんなふうに言うわけじゃないのよ。あの時に会って、本当にいい子たちだなって思ったから。これも何かのご縁でしょう」
ありがたすぎて、泣きました。
 

まさかの東海岸留学!?

しばらくして、ご主人様もご了承くださったと、電話がありました。

〇車を運転できるようになってくること。

〇学校の手続きは自分ですること。

条件はそれだけ。

 

ノースカロライナのカレッジは卑弥呼様のお嬢さまも通われたという、離れた場所にいくつもキャンパスがある大規模校。

ホームページで見たところ、レンガ造りの建物が美しい、アカデミックな雰囲気のカレッジです。

 

長女もすっかり乗り気になって、5月早々にノースカロライナまで2泊3日の弾丸母娘見学旅に行くことになりました。

 

サンフランシスコからノースカロライナ、飛行機で5時間半。

日本からの直行便はもちろんありません。

 

東海岸、西海岸とは違って、遠い、めっちゃ遠い…。

実はご提案いただいてからずっと、私はメソメソしていて(長女はケロッとしていて)、こんな遠くに長女を留学させるって、既にさみしくって、正気じゃなくなりそうって思ってた、のでした。

 

飛行機の中ではYoutubeでダウンロードした、子離れという課題について論じた動画(精神科医からお坊さんまで)を何本も見ては、また泣き(長女はスヤスヤ寝ていた)…。

 

やばいでしょう、やばいですよ、子離れ、人生の大課題ですよ!

 

それでも空港までお迎えに来てくださっていたご夫妻の優しさに元気をもらい。

ノースカロライナの街並みの、西海岸とはまた違った雰囲気に魅了されて。

何よりも、隣で終始ワクワクしている長女の様子に、圧倒され。
 

こんな遠い知らない街で、留学して生活していこうと(優しいご夫妻のサポートはあれど)、それが楽しみでニコニコしているんですから。

 

なんというか、長女と私の感じ方のギャップ、もはやマリワナ海溝なみなんだって腑に落ちたら、気持ちも落ち着いてきました。

 

長女は自分の決めた道で生きていくんだ。

それがこの場所なんだ。

 

そんなふうにやっと納得できて、涙も引っ込んだ最終日の夜、夫から電話がかかってきたのです。

「もしかしたら、アメリカ駐在、延長かも」

再び揺れた気持ちで眺めたサンフランシスコの夜景

 

帰国なのか?アメリカ残留なのか??
長女はノースカロライナに来るのか?それとも一緒に住んでカレッジに行けるのか??

 

またまた(精神的に)翻弄される日々が始まったのでした…。