今日は防災の日。
昨日の夕方に地震がありましたが、帰宅早々お風呂に入っていたので、
このままドエライことになったらどうしよう…裸やし… (((( ;°Д°))))
と、“一瞬”うろたえました。
そして、ふと、11年前の1月17日の朝を思い出しました。
京都の病院の、看護師さんのための保育室に勤務していて、その日はちょうど夜勤。
こどもを寝かしつけた後、誕生会の装飾品などを作って、しばしの仮眠をとっていた時でした。
何かの気配で目が覚めたんです…何もない…静か…
その瞬間、思いっきり“南北に”揺れました! 未だかつて経験したことがない揺れ!
床と布団が互い違いに揺れとるんです! 水に浮かんだ筏が強風であおられてるみたい!
振り落とされない様に(落ちても何ともないのですが…)、必死で布団に摑まってました (@Д@;
すごく長い時間に感じた揺れがおさまると、こども達のところに飛んで行ったら、
寝とるやん!…ツワモノどもです (´Д`;)
保育室は病院の近くのマンションの1Fで、揺れがマシだったのかな、
目に見える被害は、襖がひとつはずれて、南北向きの引き出しが開いたくらい。
でも、病院は大変だったみたいで、こども達の親から安否を確認する電話が、すぐにかかって来ました。
その電話のベルで起き出して来たこども達と一緒に、テレビを見たんですけど、
まだ暗いうちは、神戸がドエライことになってるって、判ってなかったんですね。
「京都市内の自動車展示場のショーウインドウが割れた」とか、
そんな程度の報道しかやってませんでした。
数回の余震にも、どっちかってーと「キャッキャ」楽しみながら(不謹慎で申し訳ないm(_ _ )m)朝ごはん。
そして、順次登園してくるこどもを受け取りつつの保護者との話も、
「Yちゃん、泣きませんでしたか?」 - 「かーかー寝てました~(^o^;)」
「通り道の水道管が破裂して、噴水みたいでしたわ~ヽ(゚◇゚ )ノ」
と、平和なもん。いつもと変わらない、普通の朝の風景だったんです。
夜勤明けの帰り道、
マンションの階段にヒビが入ったりしてるの見付けたけど…電車が各駅停車しか走ってなかったけど…
事の重大さに全然気付いてなかったんで、
駅前の公衆電話から芝居のチケットを申し込んでたなぁ (;´▽`A``
でも、一応、心配して、保育室を出る前に、家に電話をしてみたんですよ。
当時、大阪に住んでいた姉からは、地震の直後に電話があったらしいけど、
滋賀に住んでいた妹には、何度かけても不通で、
「電話回線が混濁してつながらへんのや~」と、父親はそればかり繰り返してました。
何でそんなに大袈裟なのか不思議でしたが、
帰宅してテレビ見て吃驚! ヽ((◎д◎ ))ゝ
神戸の惨状を知ってたら、そら、心配するわな。
その後、妹とも連絡がつき、両親はホッと胸を撫で下ろしてました。
その時は何とも思わなかったんだけど…
約1ヶ月後に急に“ある疑問”がわいて来て、両親に聞いてみました。
「地震の日、(姉や妹と同じく)maruseも家にいなかったんだけど、
maruseのことは心配やなかったん? 電話してみよって思わんかったん?」
「そんなん、思いもせんかったわ!」
と、あっさり言われてしまいました! maruseって… (ノ◇≦。)