円尾敏郎 覚え書き『弾丸を噛め』メイクアップ=FRED BLAU | marusann704のブログ

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円尾敏郎 覚え書き

円尾敏郎 覚え書き
本日は、上映会付き演奏会。今、目の前で、調律師の方が、ピアノを調律している。大阪府高槻市立生涯学習センター多目的ホールにて。


円尾敏郎 覚え書き
アトピー治療薬にステロイドが含まれていると、使用法の難しさや副作用に悩まされるが、皮膚に塗るとすぐ効果が現れる。強いステロイド入りなら、数秒で痒みが消えるから嬉しいやら怖いやら。痒みから一瞬で解放されるから、ステロイド使用をやめられなくなる。しかし、良く効く薬は副作用がきつく危険と思うべき。いずれは、使用法のミスで、マイナス要素の副作用に、より悩まされることになる。このように、どんなことにも、プラス要素とマイナス要素があり、使う人、状態、状況、使用法、季節、年齢などによって、要素は、微妙に、ズレていく。同一基準は、ない。気をつけなくてはならないのは、マイナス要素は必ず、ある、ということ。
たとえば、私が、今、毎日行っているスキーに関して。スキー場は、ゴルフ場とともに、自然破壊の最たるもの。動植物を殺して、それを口から取り込んで生きているのが人間であるように、自然を破壊して、スキー場を作り上げ、健康、娯楽、スポーツ、などを享受している。だからこそ、マイナス要素である自然破壊に注意し、目を向け、スキー場を閉鎖する時には、スキー場を作る前の状態に戻さなければならない。完全に戻すことはできないけど、原状復旧の精神を忘れてはならない。忘れてしまったスキー場開発者やスキー場開発会社がいたとしたら、失格スキー場開発者ということになる。何事も、マイナス要素に、どれだけ気を使い、労力を使い、お金を使えるかで、その人を、その事業を、その行動を、その会社を判断しよう。スキー場が倒産して、広大な山々を元に戻せなくなった場合、100年スタンスで見ると、スキー場開発者として奉ることができなくなり、自然破壊者として断罪することになる。
私は、ヨーロッパのスキー場へ行ったことはないのだが、ヨーロッパでは、できるだけ、自然を破壊しないようなスキー場作りが、されている、とのこと。スキー場開発者も開発会社も、自然破壊者にならない、スキー場を閉鎖する場合も元の自然に戻しやすいやり方らしい。ぜひ、確認と楽しむために、ヨーロッパのスキー場へ行ってみたい。格安航空も拡充されてきたし、日本のスキー場の圧雪していない場所で、リラックスして滑ることができるテクニックを身につけたらヨーロッパのスキー場へ行ってみよう。



円尾敏郎 覚え書き
「百沢スキー場だけは、国有地を借りて営業しているので、廃止する場合は原状復旧して国に返還することとなる。」と、平成23年度の弘前市の会議録にも記載されている通り、スキー場は、広大な敷地を利用するから、国有地を借りている場合もある。当然、百沢スキー場だけでない。私が、今、毎日滑っている安比高原スキー場も、国有地を借りている。私有地を購入もし、私有地を借りもして、広大な安比高原スキー場を運営している。日本の土地の4分の1をも占めると言われる国有地をいくらで借りて、どういう条件を付けられているのだろうか。国民の財産を使って、金儲けしているのだから、当然、国民には教えてくれるだろう。国民が安く利用できる日もあるのだろう。かつては、映画の上映会などで、営利目的なら、国、都道府県市町村の施設は貸し出さないという時期があったが、最近は緩和されつつある。スキー場は、国民の身体の健康のため、体育の授業のため、競技会開催のため、スポーツを楽しむため、などに使われるが、やはり、運営会社にとっては、営利目的でしょ。赤字のスキー場が増えているからと言って営利目的ではないとは決して言えない。売店、レストラン、バア、食堂の値段の高さが証明している。安く利用できるものがない。スキー場の敷地の全てが国有地というスキー場へ行ったことがないので分からないが、そういうスキー場の場合、利用するいろいろなもの、つまり、宿泊費、リフト券代金、飲みもの代金、食事代金、アルコール代金などが安いのだろうか?国民の財産の上で商売しているのだから安くて当然だと思うが。



円尾敏郎 覚え書き
今年のスキー板試乗会まで、新しいスキー道具を使ったことがなかった。10万円以上もするスキー板を買えるわけがないので、今までは、90歳くらいのおじいさんからお古のスキー板をいただいたり、オークションで中古板(4千円前後)を買ったり、リサイクルショップで見付けて(5千円前後)購入したり、前のオーナーが捨てていった20数年前の板を使っていた。スキー靴も直しながら、ごまかしながら、ストックも曲がってしまったのを反対方向に曲げ戻して使っている。とにかく、スキーを1シーズン50日以上やろうとすると、並の手段だと、とてつもなく費用がかかる。おそらく、日本では、私が最安値で行っているだろう。1冊の本に書けるくらいの工夫と発想が必要。恥ずかしがらないことが最重要。やればやるだけ、滑れば滑るだけ、上達するのだから、楽しいこと、この上なし。全く同じ、雪質、天候は一日たりともないのだから、どんな状態にも対応できるようになりたい、という気持ちを持続させることができれば、怖いものなし。身体を使う行為に全て共通するのでは。


円尾敏郎 覚え書き
私は車を所有していない。できれば、レンタカーも借りたくない。公共交通機関以外と縁を切れば、貧乏でも生きていける。歩く、走る、自転車、バス、列車、船、格安航空を利用すれば良い。
昨日、コミュニティーバス(回数券で90円ほど)を利用して、JRの駅近くで降りて、全速力で走る。駅員さんから、この駅から乗ったという証明の紙切れを受け取り、ホームへ走り込んだ瞬間、列車が入ってきた。列車内で、汗だくのまま乗車券を買う。東京在住の人々には、ピンと来ないと思うが、この列車に乗り遅れると、次の列車が到着するのは2時間後。降りるJRの駅は無人駅で、スキー場まで真っ暗闇の場所もあり。スキー場のナイターの明かりが見えてくれば、少し安心する。1便で全く違う状況。時刻表を考える人の重要性が分かる。日頃から、コミュニティーバスのいろんなルートを使っている私には、時刻表作成者よ、自分の足で、時刻表を作ってください、と言いたい。私だから間に合ったけど、70歳以上の方、スーパーマーケットで買ったものを持っている方は間に合いません。えっ、もう、地元の方々は、諦めきっているって。誰がコミュニティーバスの時刻表を組むのか?公務員でしょ。


円尾敏郎 覚え書き
日本に、もう、映画祭なんて、必要ないのに、やりたい自称映画ファンやイベント好きが出てくる。ゲストのために映画祭が必要なのだろうか?映画学校が、生徒のためでなく、先生のために必要なように。いや、誰のためにも、なっていません。その上、補助金とか言って税金を使いたい人々まで集まってくる始末。映画を上映するのに、税金なんて出すな。もっと、別の、必要な方々へ出すべき。
事業の証拠作り、つまり、こういう活動を継続してますよ、という証拠作りなんて、自分の金でやれ。全ての補助金を一旦ストップさせて、生きるために必要なものに出すようになることを望む。


円尾敏郎 覚え書き
腰痛に悩まされている私が出会った名著=高野秀行さん著「腰痛探検家」。明治生まれの小説家が、さらりと私小説を書いた、そんな感じの本。79ページに、「心理的蜃気楼とでもいおうか。人間は見たいものを見てしまう特性があるのだ。」と。映画を鑑賞する人にも、こういう特性がある。他人の創作物である映画の中に、観客の人生や思想などは描かれていないのに、観客が気に入った作品には、観客が見たい登場人物、見たい展開、見たい心理、見たい思想、などが存在するらしい。そんなこと、映画には、関係ない、こと。他人の創作物を見て、自分自身が好きだ、と言っているのと同じ、だと気付くべきだ。このように書いた私の行為も、他人の創作物の中に自分自身を見ている。誰でも陥る可能性あり。誰でも自分自身を好きということか。



円尾敏郎 知り合いへ送ったメール

私は、中学生の頃から、ほとんど一人で映画館へ通っています。今まで会った自称映画ファンの方で、映画を鑑賞するだけの方から、魅惑的な話を聞いた記憶がありません。
俳優のファン数人へのインタビュー(私のインタビュー)で、一冊作ったことがあります。それに、懲りて、もう一切、そういう本を作らないと決めました。
ある俳優のファンという方々を、私は映画ファンと認識していません。その俳優が出演していれば、映画であろうが、舞台であろうが、テレビであろうが、バラエティであろうが、良いのでしょう。もっと言えば、直接、会って会話できれば、最高の幸せなんでしょう。
ほんの一部の俳優の出演作品だけに限って見るという発想というか行動パターンというのは、私には全く理解できません。死ぬまでにあと数日しか時間がない、という場合のみです。
意表をつかれたり、まさかと驚かされるのは、映像作品そのものからです。スタッフ本人からの、そのカットを創りあげる時の方法などをうかがった時にも、そこまでやったの?もしくは、そんなに簡単に?ということもあります。その次がキャスト本人、スタッフの家族、キャストの家族、映画以外の別の分野の創作者から発言です。
映画ファンというか映像ファンとは、私にとっては、誰が出演しておろうが、時代劇であろうが、現代劇であろうが、日本映画であろうが、外国映画であろうが、デジタルであろうが、面白いものに出会いたいというシンプルな気持ちの持ち主です。だからこそ、映画とは、なんぞや。映像とは、なんぞや。撮影とは、演技とは、というように、日頃から、自分自身で考えなければならない。
私は、舞台上での俳優の芝居を、何度見ても好きになれないのです。天才、才人がいなくなった時代から舞台へ行ったからかもしれません。映画だったら、いつの時代の作品にも出会える。今後は、演技に関しては、最低を更新していくしかないでしょう。つまり、今が最低。来年になったら、来年が最低でしょう。だから、文士劇にも全く興味ありません。

上映会で補助金をもらうという事に、私は賛成できないのです。夕張市では、財政立て直しのため、一旦、全ての補助金を廃止しているらしい。職員も半分以下へ。給料も大幅削減しているらしい。単年度、赤字にしないという事が、公務員の最低限の仕事というか、それだけはクリアーしてくれよと思っている私は、それさえ、成し遂げられないで何やってんだ、と。公務員の採用試験の在り方が間違っているのでは。高学歴で、高収入で、この体たらくだと、ほぼ犯罪者です。どうすれば、赤字にならないかを計算さえしていないのでは。何パターンかの赤字にしない方法さえリストアップしていないのでは。

つまり、黒字の地方自治体へ対してのみに許される行為だと思います。映画上映や、映画イベントで、補助金をもらうということは。



円尾敏郎 行動規範(2017年3月)

■毎日、スキーを行い、身体能力を向上させる。

■毎日、ゆらゆら体操をして、脊椎管狭窄症の発症を遅らせる。

■毎日、雪道を2キロ以上ウォーキングして、基礎体力増強。



円尾敏郎 関連 上映会など(2017年)

■2017年3月26日  日曜日 午後2時から。大阪府高槻市立生涯学習センター多目的ホールにて。
「そよかぜ」(昭和20年封切作品 佐々木康監督)参考フィルム上映。メインの催しものは、佐々木真(フルート)さん、新垣隆(ピアノ・作曲)さんの演奏会。佐々木真さんは、佐々木康監督長男。新垣隆さんは、東京京橋フィルムセンターでのサイレント映画上映会でのピアノ演奏でも有名。
■2017年5月19日  金曜日 午前11時頃から。香川県丸亀市でフィルム上映会。

■2017年5月20日  土曜日 午後1時30分から香川県宇多津町保健センターで「狐の呉れた赤ん坊」(昭和20年封切作品)フィルム上映会。阪東妻三郎さん主演、丸根賛太郎さん脚本・監督作品。

■2017年5月23日  火曜日 午後1時頃から。香川県丸亀市広島で「そよかぜ」(昭和20年封切作品 佐々木康監督)フィルム上映会。




円尾敏郎 覚え書き

■好きでスキーをやっている人々が30年間楽しみ続ければ、おそらく、全ての人々が上達するのに、好きで映画を見ている人々が30年間見続けても、ストーリー解説しかできない人ばかりというのは、どうしてだろうか。→スマホで、でも、自分の作品を1本作ってみれば、あっという間に解決。創り続ければ、創り手としても、鑑賞者としても、成長するはず。あとは、楽しみながら、どれだけ続けられるか、だけ。見続けても、作り続けても、変化の兆しさえ、おとずれない人は、知識と情報だけを操っているから。知識と情報は、映画の中からのみ吸収するようにすれば、解決します。雪山へ歩め、大海原へ向かえ、天空へ飛び出せ。



円尾敏郎 覚え書き

■空間造形、音表現、時間処理は、映画創作に欠かせないものだと思う。その、どれをも軽んじているとしか思えない今、そういう状況で、どうするかの選択肢として、「ザ・キリング 26日間」のシーズン1、シーズン2が浮上してくるだろう
音表現を軽んじるとは、音楽垂れ流しの鈍感な映画を作る、ということ。シンクロ音、効果音、音の距離感を、どれだけ重んじているかが重要という当たり前のことを、今更、議論するまでもないだろう。音楽のテンポで、映画のリズムが変わると思っている創作者が、いるとは思えないのだが、観客には、いるらしい。錯覚に過ぎない。映像を見ていないから、音楽で、映画のリズムが変わると感じるのだろう。サイレント映画に伴奏を付けてくれないと寝てしまう、と言う人もいる。こういう人も、映像を見ていないのだろう。映画館へ行って、映像を見てないって、どういうことと思うかもしれないが、人間の目は、見たいように見ることができるのだろう。観客の思いで、キャメラマンが撮影したサイズではなく、観客が自分の好みのサイズで見ているようだ。好きな俳優のアップへと観客が寄って行っているとしか思えない。
サイレント映画に伴奏を付ける場合は、細心の注意が必要。伴奏者が創り手の同意なしの音楽を付け加えたり、完成している映画を改変する行為は、最大の侮辱かつ著作権法違反行為だから。
音に関しては、階段の上り下りの靴音だけでも、その時の登場人物のキャラクターを表現できるということだけでも記憶に留めておいてほしい。
時間処理ができないとは、省略できなくなった、ということ。上映時間が長くなった。段取りを説明するカットを省略できなくなった、ということ。うっかりすると、全編、説明カットの連続ということもありえる。なんのために映像化したの?と感じる作品が多くなった。昔の映画評論家には、シナリオを読むだけで、粗筋に目を通すだけで、映画批評を書いた方もいたらしい。日本映画だけでも、映画会社6社が、毎週2作の封切作品を映画館へ送り込んでいた時期もあったのだから、そういうことも、せざるを得なかったのだろう。映画を見ずに書いた映画批評と、映画を見て書いた今の映画批評が、似通って来ているのではと想像する。なぜなら、ストーリー展開と心理と思想の解説に終始しているからだ。そんなこと、完成作品を見ずにシナリオを読んだだけで書けるからだ。
サイレント時代からの監督なら、75分から100分で完成させられるのに、なんで120分を超える作品になってしまうのか?椅子に座って会話ばかりして、人物の出入りも動きも、あまりなく、何故2時間超えるの?リメイク版ほど、完成分数が長くなるのでは?その上、ハッタリだけの序曲やクレジットを長長と流す始末。クレジットが終わるまで席を立つな、と言うほうがおかしいと思える状況になってきた。
空間造形を考えたこともない映像作品ばかり見ていると、それが当たり前になってしまうのかもしれない。人物のアップカットやバストカットのみで、切り返し、台詞に感情を込めすぎて、大袈裟な解りやすすぎる演技を披露する。もしくは、キャメラは一方引きで、役が大きい人物がキャメラに顔を向け台詞を言う。相手役は、頃合いになったら、顔が見えるように動き、キャメラに顔を見せて台詞を言う。手抜きの動き、早く作業を終えるためだけの動きばかり見せられると、空間のことなんて考えたこともない、としか思えない。
空間造形とは、基本的には、どういう場所で、どういう光の状態で、人物を、どう動かし、それを、どう切り取るか?つまり、どう撮影するか?だ。人物が動くことにより新たなる空間が見えて来たり広がったり、見えなくなったり狭くなったりするのを、時代、環境、時間帯、精神状態、キャラクター、構成、展開に対応させて、自由自在に操ることを空間造形演出と言うのでは?光がなければ、空間を浮かび上がらせることすらできないのは当然。だから、どういう光の状態、どこから差し込んで来る光、そういうことを計算し、同じ光の状態が一瞬たりともないロケーション撮影ではハプニングをも、うまく取り入れることが必要になってくる。
撮影場所には、美術デザイナーのセットデザインも重要な要素だ。ロケセットでは、どう飾り変えできるかを、貸主に、納得してもらわなくてはならない。納得してもらえないと、貸主のキャラクターが反映した家や部屋に、映画のキャラクターが住むことになる。それでは、創り手には納得できないだろう。映像作品を見た人から、納得できない、との発言というか感想を聞くことがある。「ザ・キリング 26日間」を見た後だと、主人公のキャラクターを真似ての発言とも思えるが、本気で言っているとしたら、10回くらい見直した後に言ってんのか?と、「ザ・キリング26日間」主人公の真似をして、言い返したくなる。そもそも、映像作品に関しての発言で、観客に、納得なんて言葉が、必要なのだろうか?他人の創作物を見て真に納得できるものなのか?心から納得という感情は、自分の身体を使って表現した場合に、初めて得られるものでは?映像の場合なら、自分で演出などして、1カット1カットにOK、NGを出し続けて、完成させた時に得られるものだろう。他人の創作物に、納得を求めることを、不思議に思う。
観客は、今、映像作品で、何を楽しんでいるのか?お気に入りの人物が、魅力あふれる表情、仕草、立ち居振る舞いを披露するのを、うっとり、ハラハラしながら見ているのだろうか?感動した原作や漫画を、どう実写化したかを、確認するため、けなすため、味わうため、見るのだろうか?
オリジナル脚本であれば、意表をつく展開を期待してしまうものだが、100年以上、脚本が書かれているのだから、全く新しい展開、ストーリーというのは、ほぼ存在しない。だから、模倣している、真似ている、パクっている、参考にしている、ということくらいで、むやみに、けなしてはならない。パクってませんという人は、今の世の中ではゼロに近いのだから。知らずに似てしまいました、という言い訳は幻想。設定が、都会や砂漠や荒野から、宇宙へと変わっても、構成や展開は、似たり寄ったり。

批評には、アダム・スミス、ヘーゲル、マルクス、フロイトとユングの心理学が、よく登場する。その後の研究は、どうなっているのだろうか?と思う方も多いだろう。身体表現と縁遠い方々の発言などを重視せず、自分の身体を動かしながら、自分の身体から得られる、なにかしらに敏感になろう。
それなら、具体的に、どうすべきか?
いろいろなやり方があるはず。
まず、企画者が脚本を書いてみよう。
まず、プロデューサーが脚本を書いてみよう。
まず、やりたい役をやるため、俳優がプロデューサーになってみよう。
まず、脚本家が監督してみよう。橋本忍さんは、しくじっているが、諦めずに。
まず、キャメラマンが監督してみよう。木村大作さんは、しくじっているが、諦めずに。
まず、プロデューサーが監督してみよう。
まず、企画者が監督してみよう。角川春樹さんは、しくじっているが、諦めずに。
まず、キャスティングは、全て、有名か無名かという知名度や人気ではなく、オーディションをして決めよう。キャストに適した髪型、衣裳、立ち居振る舞い、喋り方、持ち道具などを、探り当てることが重要というのは、当たり前で基本事項。
展開は、キャラクターが行動する、キャラクターで動くようにする。「メンタリスト」シーズン1、「ボストン・リーガル」シーズン1のように。
それに大義名分を追加すると「ボディ・オブ・プルーフ」シーズン1になる。

身体を動かし、キャラクターを動かすのに、空間、音、時間で考えよう、と言っているだけだ。

空間、音、時間に関しては、知識も情報も必要ないから、映画を創作するにも、鑑賞するにも、当然、学歴も、理論武装も必要ない。身体を解放して、空気と光と傾斜を感じ取り、方向感覚を研ぎ澄ませれば良い。



車を所有せず、幸福感に浸るための方法論

■1、全都道府県を走り、歩き、宿泊し、見た私が選んだ場所が岩手県八幡平市。東京から海を渡らずに行ける驚きの土地で、空気が澄んでいて、ウォーキング、自転車、山登り、スキー、ゴルフ、テニス、温泉、ドライブ、バイク、酪農、馬、農作業、果物栽培、蕎麦打ち、漆塗り、味噌、酒造など、ほぼ、なんにでも対応できる。お金持ちはお金持ちなりに、私のような貧乏人には貧乏人なりに楽しめる。東京に戻ると、吸う空気の臭さに堪えられない。

■2、住居対策。私みたいな貧乏人でも購入できる部屋がある。安比高原で、ワンルームマンションを購入する場合、部屋のタイプ(広さなど)、北向き、南向き、築年数、場所などによって、購入代金は変わるが、ほぼ40万円から100万円プラス税金プラス手数料くらいで、1部屋を購入できる。国民年金を40年間納めれば、65歳から、年金だけでも、工夫しだいで生活できる。
「居住福祉」(早川和男・著)のはしがきは、[北欧では「福祉は住居にはじまり住居におわる」といわれる。]と、始まる。

■3、国民年金だけで生活するには、自炊を基本とする。気分転換、料理方法や味付け習得のため、たまには外食する。八幡平市平館駅ちかくの食堂まるやす、雫石の農村レストランらら、三沢市の赤のれん、安比高原ホテルのアルベルグがお勧め。

■4、運動のあとには風呂。温泉であれば、ベスト。おらほの湯がお勧め。県北バスとコミュニティーバスが、頻繁に、おらほの湯の真ん前のバス停から発車していて、車を所有していない者、免許証を返納した者には最適温泉。岩手県八幡平市の温泉としては、藤七温泉と松川温泉が横綱クラスの温泉で、文句なしの極楽湯。だが、車を持っていない者、免許証を返納した者には、1年に数回は行けるが、毎週1回以上のペースで気楽には行けない。だから、私には、おらほの湯だ。施設は老朽化しているが、施設を支えている人々の心持ちが良い。何度も通っていたら見えてくるはず。肝心要の湯も、ヌルヌルの源泉かけ流し。源泉かけ流しのはずなのに消毒液を入れている温泉も多い中、おらほの湯は、加温なし、加水なし、消毒液なし。休憩室も無料。冬はコタツもあり、入浴→おしゃべり→食事→コタツで昼寝→入浴→おしゃべり、という入り方をしている方々も多い。なんという幸せな時間だろう。私の場合、間に、キンドルで読書が入る。

■5、福祉バンク、ドンドンで、身の回りの物を購入。格安。掘り出し物に出会う確率は高い。20キロ圏内で手に入らないものは、アマゾンか楽天で購入。

■6、食材は、産直で購入。真冬は、スーパーマーケットも利用しないと揃わない。