1月17日 阪神淡路大震災

 

1995年に起きた大震災から、早いもので29年が経ちました。

リブログされている方もいました。

 

当時のニュースの映像で、駅が潰れ、高速道路が横倒しになっている所を見たことが

ある方もいるのではないでしょうか。

 

〔当時の記憶〕

当時、私は幼稚園児であまり記憶が定かではない所が多々ありますが、

覚えていることを記します。

 

当時は、兵庫県伊丹市に住んでいました。

「ドーン!」と床から突き上げるように激しく揺れました。

 

食器棚の扉は振動で開き、

食器は次々と「ガシャーン!」と床に落ちて割れていきました。

私は、布団の中に潜り込み、揺れが収まるのを待っていました。

 

揺れが収まって部屋中が散乱し、変わり果てた状況になっていました。

ライフラインは、すべて止まっていたと思います。

近くの自衛隊で水の供給があったので、もらいに行ったことを今でも覚えています。

 

家の片づけをしながら、10日後くらいに幼稚園に行っていたと思います。

そのころには、ライフラインは復旧していたような気がします。

 

その後、兵庫県神戸市に住む祖父母の家に行く道中、

倒壊した建物が点在していました。幸い、祖父母にケガはなく、家も無事でした。

 

震災当時の兵庫県神戸市長田区で火災が発生していたと

大人になってから知りました。

 

 

 

〔復興のシンボル〕

①ルミナリエ

❝阪神・淡路大震災の記憶を後世に語り継ぐとともに、
神戸の希望を象徴する行事❞
です。
2010年に撮影しました。
グーグルフォトに残っていました。

 

 

②しあわせ運べるように

❝阪神淡路大震災直後に作られ、兵庫県神戸市立吾妻小学校で発表会が始まり。

神戸の「復興の歌」として、鎮魂と希望を込めた「心の歌」です。

 

作詞・作曲は、当時、神戸市立吾妻小学校で音楽を教えていた臼井真先生

 

神戸で生まれ育った臼井先生はすっかり変わり果てた街を目の当たりにし、
数々の思い出が失われ、絶望感で胸がいっぱいになりました。
そのとき、こんな思いが頭をよぎったのです。

「子どもたちの歌声で、壊れた神戸の街を包みたい」

「生まれ育った神戸の復興のために
自分ができることは、音楽で表現することしかない」

臼井先生はそばにあったB4の紙を急いで取りました。
鉛筆で歌詞を走り書きし、メロディーを加え、

この曲はわずか10分で生まれたのです。❞

 

引用

 

 

「しあわせ運べるように」公式YouTubeチャンネルより

復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』

~神戸から東日本、日本各地、世界へ~

 

 

 

本日のニュースで、石川県輪島市の中学生250人が、バスで100キロ離れた白山市に

集団避難を開始したそうです。

今こそ、「しあわせ運べるように」を聞いて、少しでも光がさしてくれたらいいな。