奈良県大和郡山市ある『松尾寺』の参拝記録です。
真言宗醍醐派、別格本山、松尾山(又は補陀落山) 松尾寺
御本尊 千手観音
松尾寺は、天武天皇の皇子・舎人親王によって開基されました。
養老2年(718)、舎人親王は『日本書紀』編纂の勅命を受けた時
42歳の厄年であったのと、『日本書紀』の無事完成と厄除の大願成就を願い
建立された、日本最古の厄除霊場とのこと!
今年は日本書紀編纂 1300年の記念の年” になるそうで、(松尾寺は創建1303年目)
舎人親王像が御開帳されていました
北惣門をくぐると、108段の石段です。
まっすぐに続く石段、稟✨ とした美しさを写真に収めようとしたら
どんどんと行ってしまう旦那さん・・・・
階段の途中には、松尾寺霊泉が
1300年の昔から、ご本尊厄除観音様にお供えする閼伽水で自然湧水
大和の名水100選にも選ばれているそうです。
<本堂>
御本尊の 千手千眼観世音菩薩様(厄除観音)は秘仏で
年に1度11月3日に開帳されるそうです。
本堂にお参りをして、舎人親王様を拝見出来るのは何処かしら と
奥へ進みます。
「行者堂」「阿弥陀堂」「七福神堂」とお堂が並んでいます(雨が強く各お堂は撮っていません)
ご朱印の授与所で、拝観の受付をすると、まず「七福神堂」に案内されました。
七幅神堂の 御本尊は「大黒様」
大黒様というと、打ち出の小槌と袋を担いで、ふくよかで ニッコリ笑って、
のイメージですが・・・・・・
こちらの大黒様は眉間にしわを寄せた、凛々しい表情でした
一般的な大黒様のイメージは江戸時代に形造られたもので、それ以前に造られた
大黒様にはそのような特徴は見られないのだとか
こちらの大黒様は日本最古クラスの大黒様とのことでした。
(画像はHPよりお借りしました)
七幅神堂なので、御本尊の大黒様をセンターに七幅神が勢揃いしているわけですが、
大国天様の両脇には、金剛界・胎蔵界の大日如来様がまるで脇侍のように
いらっしゃるのです
密教では、大黒天は大日如来の化身とも説かれるのだとか
主人と案内して下さった方の会話がはずみ、
七幅神堂には1時間近くいたような・・・
旦那さん曰く、案内して下さった方の説明で、
疑問に思っていた事が繋がった。。。らしいです
で、やっと 舎人親王像とのご対面です
舎人親王像は本堂に安置されているとのことで、本堂に移動です。
本堂の裏側に、安置されていました
日本唯一の舎人親王像です。
(HPよりお借りしました)
日本書紀は720年(奈良時代)に成立した 六国史(りっこくし)の
第一にあたる歴史書で、本文全30巻と系図1巻からなり
神代から持統天皇の時代までが記されています。
日本書紀の編纂は、682年に天武天皇が、川嶋皇子・忍壁皇子ら12人に
「皇室の記録」や「古い諸記録 」の史実を確定して記録するように
命じたことに始まります。
天武天皇の死により、一時中断しましたが、舎人親王らが受け継ぎ
720年に完成されました。
「古事記と日本書紀」どちらも同じような本だと思っていました
でも、読み比べると、お話が違ったり、お話そのものがなかったり
どっちがホント とも思ったりしました
どちらも 天武天皇の命で編纂された訳ですが、
古事記は、「帝紀」や「伝承」をもとに、天皇家の歴史を記し
皇室の正当性を国内にアピール
日本書紀は、他国が認める国になるには史書が必要!と、中国や朝鮮半島の
文献からも引用し、国家の正当な歴史を国外にアピール
と編纂された目的が違うようですね!
最近の私の愛読書の疑問に納得しました
<三重塔>
江戸時代、後水尾天皇の持仏であった「如意輪観世音菩薩」が寄進され
祀られているそうです。
手前の岩場は「神霊石の大岩」で、昔の人々が神仏の化身とも神の座とも思って
天を拝したという遺跡です。 大岩の手前には、大きな護摩壇!
松尾寺は室町時代以降は修験道当山派の拠点としても栄えたそうで、
修験道の山の面影がみられます。
大岩を巡って、西国三十三所松尾山石仏観音(ミニ霊場)を順拝できるようです。
雨で、行きませんでしたが、さらに登った先には松尾山神社がご鎮座されています。
<十三重塔>
舎人親王の毛骨を納祀したものと伝わります。
<厄除の鐘>
自由に付かせていただけます。厄除の願いを込めて、ひとつき
松尾寺は、今の季節はバラ🌹さらにカサブランカとお花も楽しめる
お寺さんのようです。
頂いたご朱印です。
御朱印は他にも3種類ありあましたが、私は基本御本尊様だけです。
訪問いただきまして、ありがとうございました