ちょっバタバタしておりましたアセアセ

3日続けて残業 ゲッソリ 

こんな時期でも、仕事がある事に感謝!!

今日から3連休なので、ゆっくりしてます爆  笑

では、続きを・・・・・

 

大神神社のお参りを終えて、「山辺の道」ゴールの桜井駅までは

2km程のこっていましたが、時刻は夕方5時、今回は大神神社で終了としました。

春の穏やかな天候の中、念願の山辺の道を歩けた事、三輪山に登拝出来た事

本当に幸せな時間でした。付き合ってくれた旦那さんに感謝ですニコニコ

 

ちなみに この日歩いた距離は24.2km、歩数は39,974歩、

上昇した高度を階段に例えると、120階です。がんばりました爆  笑

 

 

奈良3日目、天気予報どおり雨でした☔️

やんぱり昨日、三輪山に登っておいて良かったね!と話しながら向かったのは

 

古くから神や仙人が棲む” とあがめられる生駒山です。

 

 

 

 

真言律宗 大本山 生駒山 寳山寺

 

ここまで、参道の長ーい 階段が続いていたようですが

駐車場まで、ビューン車と来てしまいました

 

 

 

境内のジオラマがありました! 境内、広いです。

 

 

 

 

 

 

御本尊は 不動明王

 

鎮守神として、吉祥天(生駒聖天)をお祀りし、日本三大聖天の一つに数えられます

 

 

 

 

伝承によると、

生駒山は、斉明天皇元年(655) に、役行者が開いたとされる修験道場で、

若き空海さんも修行されたと伝わります。

その後は、分かりませんが・・・・

江戸時代の延宝6年(1678)に、湛海律師が再興し、歓喜天を祀った時が

事実上の開山と思われるそうです。

 

 

 

湛海律師歓喜天に対する修法に優れ、祈祷の効験を発揮していました。

しかし、円忍律師の教えを受け、真の仏法とは何か?を求めることに目覚め

その行を完成させるのに相応しい山として、不動明王の暗示を受け

生駒山に入りました。

村人や郡山藩家老の協力と援助により 延宝6年(1678) 仮本堂で

八万枚護摩を行ました。

寺は当初、都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)と号しました。

その後、湛海は聖天(大聖歓喜天)を山の鎮守に仰ぎ、更に修行を重ね

また、仏像彫刻や仏画制作にも優れ、本堂の本尊をはじめ多くの作品を

今に伝えています。

生駒の伽藍は約10年でほぼ完成し、寺名を「寳山寺」と改めました。

 

 

 

「生駒山に優れた験者あり」の噂は広まり、天皇や将軍家からの祈祷も

相次ぐようになりました。また、現世利益を求める商売関係者や庶民も

お参りするようになり「生駒山」「生駒の聖天さん」と大いに栄えたそうです。

 

 

<本堂>

 

湛海律師作の御本尊、不動明王像が祀られています

 

 

 

お寺のなかに鳥居があって、狛犬さんもいますグリーンハーツ

 

寳山寺の鎮守神・生駒聖天をお祀りする<聖天堂> です。

 

湛海律師の自作の聖天像が祀られています。

 


聖天様とは、

あらゆる障害や困難を取り除き、福徳をもたらす協力な天部の仏様です。

欲望を抑えきれない衆生がいるなら、まずは欲望を成就させてあげましょう、

そうして落ち着いたあとで、その静まった心を仏法へと向かわせなさい。

という修法の本尊となる仏様です。

像は修法の本尊で秘仏です。

 

歓喜天像は秘仏が多いですね、私はまだ一度も見たことないです。

顔が像で身体は人間という二人が抱き合った姿” と言うのが理由からでしょか?

 

 

聖天堂の前には、大きな巾着袋は、歓喜天様が持っておられる

砂金を入れる袋、

大根は歓喜天様の供物であるため図案化され、大根の白色は息災を意味し

食すると、体内の毒矢煩悩を消す作用があるとされているそうです。

 

 

 

 

おみくじも巾着袋でしたニコニコ

 

 

 

 

境内には、

 

<水掛不動尊>

 

 

 

<天神社>

 

 

牛さんが、たくさん奉納されています

 

 

本堂・聖天堂の後方には般若窟という岩屋があり、役行者が梵本の般若経を

納めたと伝えられる所で、湛海は この寺域が弥勒浄土の内院である”という古説に

基づき、弥勒菩薩を造らせ、岩屋の本尊としました。

 

<弥勒菩薩>

 

 

アップにしてみました!

 

現在は落石などの危険もあり、お近くまでは行けないようでしたショボーン

 

 

 

宝山寺にはまだまだお堂があります

これから、階段を上りつつ奥の院まで お堂巡を巡ります。

 

 

訪問いただきまして。ありがとうございました黄色い花