大神神社の前に、前回のブログに書けなかった
市杵島姫命を祀る、市杵島姫神社(大神神社 摂社)
狭井神社の鳥居をくぐるとすぐ左に御鎮座されますが
登拝締め切り時間が迫っていたので、登後の参拝させて頂きました。
久すり道の近くの 磐座神社
薬の神様、少彦名神がまつられています。
社殿はなく、頑固な岩をご神座としています。
↑↑を参拝しながら、久すり道を通り、大神神社へ向かいます
大神神社・祈祷殿
日々の祈祷や結婚式が行われるところです。
本当なら、参道を通って参拝なのでしょうが、
狭井神社方向からきたので、参道は帰りに通る形になりました。
写真の方は参道、一の鳥居から載せていきます。(一部昨年の画像もあります)
<一の鳥居>
当日車で通り過ぎてしまったので、翌日の写真です・・☔️でした。
とにかく大きさに驚きます
昨年はこの広さに驚きました
<二の鳥居・社号標>
扁額には、三輪明神とあります
気持ちのいい参道です✨✨
✨ ✨
✨
✨
<祓戸神社>
心身共に清らかになって参拝する為に、最初にお参りをする場所です。
祓戸の四神
・瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) ・速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)
・気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ) ・速佐須良姫神(はやさすらひめのかみ
<夫婦岩>
三輪の神と、人間の女性の恋物語を伝える岩とのこと!
夫婦のように、二つの岩が寄り添っています
私の写真では分かりにくいので、HPより画像をお借りしました。
<手水舎>
そう、大神神社の神様は、巳様なんですよね・・・・
実は私、蛇🐍が大の苦手なんです
<しるしの杉>
「しるし」とは、神の霊験のことで、
御祭神があらわれたとされる神杉です。
大神神社は その ご由緒が『古事記』や『日本書紀』に記されている
神代の時代から続く古社中の古社です。
『古事記』には、大物主大神が出雲の大国主大神の前に現れ、
国造りを成功させるために、「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつき祀れ」と
三輪山に祀られることを望んだ””とあり
『日本書紀』でも、大物主大神が出雲の大国主大神の前に現れ、
大物主大神大は大国主大神の「幸魂(さちみたま)・奇魂(くしみたま)」と
名乗られ、同様に三輪山に鎮まることを望んだ””とあります。
御祭神は三輪山に鎮まるために、直接に三輪山に祈りを捧げる という
社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝える為、本殿はありません
その祭祀の姿から、我が国最古の神社” とも言われます。
<拝殿>
御祭神 大物主大神
(大いなる物の主)御名から、すべての精霊(もの)を司り、統べられる意味をあらわし、
災いをなすものをも鎮め給う霊威から、厄除け・方位除けの神様としても敬われます)
配神 大己貴神・少彦名神
拝殿と神の山・三輪山の間には『三ツ鳥居』が立っています。
この鳥居を通して三輪山を拝する事になります。
本殿に代わるものとして神聖視されてきました。
拝殿から『三ツ鳥居』は見えませんが、参集殿で三ツ鳥居の参拝を申し込んで
参拝する事が出来ます。昨年は参拝させて頂きました。
神職さんが案内して下さいます。
途中、手水でお清めをしてお祓いを受けます。
『三ツ鳥居』は正面からではなく、斜めから見る形でした
神職さんが説明をして下さったのですが、
あまりの神々さに、覚えていません
(昨年参拝時の写真です)
参集殿の入り口で出迎えてくれたさん
<なで兎>
江戸時代に奉納された鉄灯篭に付いていた 置物のうさぎ
鉄灯篭は第二次世界大戦の悪化に伴い金属供出を命じられましたが、
うさぎは青銅だっため免れました。
いつのころからか、身体の痛い所を癒してくれる、願いを叶えてくれる
「なで兎」として愛され、信仰されるようになったそうです。
今は、たくさんの人になでられてピカピカです
<巳の神杉>
大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられた樹齢500年の御神木
昨年は、巳さんの好物の卵やお酒がお供えされていました
今年は・・・・・なかった・・・な・・・
頂いた御朱印です(作年)
昨年、センリョウと榊 の赤ちゃんを頂いてきました。
埼玉の過酷な猛暑にも負けず、このくらい大きくなりました
三輪山と御神体とする大神神社には いろんな 神話があって、
神話を思いめぐらしながら、境内を歩くのも楽しいです。
また、来年も行けたらいいな〜
訪問いただきまして、ありがとうございました🎏