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わたしの高次脳機能障害

2024年9月10日(火)バイク同士の交通事故で
高次脳機能障害と診断されました。
リハビリ&障害者支援施設の生活訓練プログラムを受けて
復職する予定です。
障害が残ることを未だに容認できません。

ついにこの日が来た。

 
看護師さんたちの見立てでは先週にも退院できるはずが
まだ傷が全部塞がっておらず、
せめて次回外来診察時に抜糸する予定で退院日が決まった。
 
内心、次回も外来に行かなくてはいけない必要性にがっかりしたが
退院できるならなんでもいい。
 
前回おともだちを見送ったあとも他に患者さんは入院されてきたが
どなたも短期間でかつ、お手洗いが不安な理由からかポータブルトイレを
設置されており臭いで精神的に追い詰められていた。
 
リハビリでお迎えがある時以外はなるべく病室に居ないようにして
平日は周囲をウォーキング、夕食後は就寝時間まで談話室で読書していた。
さらに休日の日中は談話室で出してもらった課題をこなした。
その頃には食べられる食事も増えており、お通じも順調。体重も減った。
強いて言うなら急に痩せたせいか尾てい骨あたりが痛かったが気にしない。
退院間近なことから入院生活で一番充実していたと思う。
 
手首を切る(つもりはなかった)騒動から精神科の先生が付いてくれることになったが
最後はご挨拶を兼ねて誤解を解いておいた。
本当は手首を切りたかったわけではなく、幻聴だったこと。
もう精神的に不安定になることはないこと。
ご迷惑をお掛けしたこと。
わたしは晴れやかな顔をしていたと思う。
今だったら本当は縋って話を聞いて欲しいのに。
 
他の入院患者さんがそうされるように一刻も早く帰りたかったので
午後ではなく、午前中に母に迎えに来てもらった。
同じく他の入院患者さんがされたように前倒しで荷物の準備をする。
ただ持ってきたものを片付けるだけなのになぜかうまくできなかった。
理学療法士さんに渡すはずの用紙も見えるところに置いていたのに
見つけられず探すこともあった。
先に用紙を見つけてもらえたから不思議に思ったが気の所為にした。
 
手術後に顔を覗きに来てくれた同世代の男性看護師から
呼び名を間違えられたのは少しだけショックだったけれど
最後お見送りしてもらった。
病院からタクシーに乗ってようやく念願の自宅に帰ることができた。
交通事故から37日後だった。
 
事前に理学療法士さんから提案があった通り、
わたしはその後自宅で療養して、会社近くの障害者支援センターの
復職プログラムを受ける予定だった。
慣れるまで通勤とプログラムを受けるのを半々にする。
 
・・・はずだった。
 
今から思えばバイクで行くのにどうしてだろうと不思議だったが
通勤までの交通手段をやたら聞かれたし、
感覚的にすぐ乗ると答えたらダメなような気がして
「1年半後には乗りたいです」と返事した。
 
会社近くのプログラムを薦めてもらったのは上記の交通の便を
考慮したからだと思っていたし、
退院してからゆっくりでいいやと思っていたのに
「もう電話されましたか?」と退院するまで何度も気にかけてもらっていた。
 
この頃のわたしは薬など処方してもらったときにどんな副作用があるかどうか
スマホで逐一調べていたのに、受け取ったパンフレットの該当項目以外
調べることはしなかった。
 
パンフレットには「高次脳機能障害」について大きく書かれていたのに。
障害者支援センターとも書かれていたのに。
しかも復職プログラムではなく、就労支援の作業体験プログラムと書かれていたのに。
 
自分に都合よく変換して上司に「障害が残らないようリハビリしたい」とまでLINEしている。
その頃のわたしは頭は打ったけど、障害が残らないと思い込んでいた。
もっと言うと事故の交渉にまで利用していた。
 
誰も「あなた、高次脳機能障害が残るからこの施設に行きなさい」とは断言しなかった。
と、思う。
後日母に確認したが、障害が残る説明は誰からもなかった。
 
今のわたしは頭を打ったあとから見えた世界なので実際はどうだったかを検証できない。
とにかく言えることはしばらくのんびりしたらプログラムを受けて会社に戻ろう。
短期間で旅行も悪くないなぁ、そんな呑気なことを考えていた。
その先の地獄を思うと退院するまでが何も気付いていないから幸せだったと思う。